「それは許可できないね」
 早速、アストリアスさんのところへ外出許可をもらいにいった所、思いがけない返事に、一瞬、言葉が詰まった。
「……今からっていうわけじゃないですよ」
「勿論、わかっているよ」
 アストリアスさんは表情も穏やかに頷いた。
「だが、いつであろうと、ベルシオン邸である事が許されないんだ」
 部屋の外で待機している、アストリアスさんにとっても信頼篤いだろう仲間を指して言う。
「なんでですか? ランディさんのところだったら危険もないし、事情がわかっているから問題ないかと思いますけれど」
「そうではあるが、殿下がお戻りになられた時に、このことを報告しないわけにはいかない。それを考えると、許可は出せない」
 どういうこと?
 わからないと表情に出す私に、アストリアスさんは困ったような笑みを浮かべた。
「下世話な話になるが、ランディは君を完全に諦めたわけではないだろう」
「今、その話だしますかっ!」
 えええええええええ、吃驚だ。
「レティや商人が一緒にいて、それでなにがあるっていうんですか」
 大体、既に、お互いにその辺の気持ちは割り切ってるぞ。線引はできている。
「なにもないだろうね。私だってランディを疑うわけじゃない」
「だったら、なんでですか」
「ディオ様のお心を煩わせるわけにはいかないのだよ」
「私が浮気するって思ってんですか」
 なにそれ、すんげー心外なんですけれど。むかつくわあ!
 明らかに私が怒っているのがわかったのだろう。アストリアスさんは宥める口調で、「そうじゃないよ」、と言った。
「例えば、気を悪くしたら申し訳ないが、逆の立場だったらどうだい? 今、もし、コランティーヌ妃がご存命であらせられて、殿下がその居室を訪れたとしたら?」
 そこまで言うかあ?
「それが、務めであれば仕方ないと思います」
「でも、気分は良くないだろう。簡単に割り切れるものではないと思うのだが」
 当たり前だ。
「そういうことだよ。それにね、」
 するり、とおヒゲが撫でられた。
「もし、近くで君が子を妊った場合、少々、面倒にもなりかねない」
「だからそういうことは……」
「事実かどうかは別にして、わずかでも隙があってはならないのだよ。君自身を守る意味だけでなく、子の安全、引いては王家の血筋にも係ることだ。君たちの子が、将来、王子の妃になるとしたら? 或いは、エクスラシオ家を継ぐ者は、臣下の中でも王家の血に連なる者として重んじられることになる。髪や瞳の色を別にしてね。その時、それを面白く思わない者が、出自を問う者がいるかもしれない。遡って些細な傷を見つけては穿り返そうとする輩もいないとも限らない。疑いを持たせるようなことは出来ないのだよ、ディオ様が長期不在である今の時期は特にね」
「でも、私の存在は『不明』扱いでしょう?」
「そうだね。でも、君の存在が明らかになった時、その髪の色から、当然、多くの者が何者か知ることになるわけだし、貶めるためにそれを足がかりに粗を見つけようとしたり、話を捏造しようとする者もいるかもしれない。そういった隙を作らないに越した事はない」
 面倒臭ぇ。なんて、面倒くさいんだ! それこそ不敬罪でぶちこんじまえ、そんな馬鹿。
「……少し、神経質すぎやしませんか?」
「備えて損することはないからね。それに、備えると言えば、君の所の侍女もそうだろ」
「侍女?」
「二人ほど減ったと聞いたが」
「ああ、はい。結婚したので」
 冬が明けてすぐに、ロイスとクルシェッタがめでたく寿退職した。相手がどういう人かは殆ど知らないが、良い人らしい。それぞれに、ささやかだが祝いの品を贈った。
「もし、うまく時期さえ合えば、彼女たちは君の子の乳母として戻る手筈になっているだろうね。事情もわかっているし、君も知らない相手ではないから安心だろう」
「ひょっとして、その為に相手を?」
「無論、それなりの家柄で、信用ある者が紹介されている筈だよ」
 ううわぁ……私の気づかないところで、色々な事が進行していたようだ。全然、気付かなかった……てか、それだけ浮かれてたってことか。気が緩んでるなぁ。
「勘違いしないで欲しいのは、これらはディオ様だけでなく、陛下のご意向でもあるという事だ」
 へこむ私に、アストリアスさんは含めるように言った。
「……ああ、そういうことですか」
 自分とこも娘が出来て大変な時期に……いや、だからこそか。次代に男女が揃った今、私の産む子がどの子かの伴侶になる事は既に確定済みだ。そして、王族として表立って国の中枢を担う者となる。だが、その外見が日本人の私に似たものであって、それが一度露見すれば、戦争の引き金にすらなる。公に出る為には、緻密な計画に基いて、タイミングを計る必要がある。その為には、今から周囲に置く者を厳選し、本当に信用の置ける者ばかりにしなければならないということなんだろう。
 ……覚悟を決めたとは言え、こうして現実を突きつけられると重いなあ。性格がディオに似ればいいけれど、私に似てたら最悪だな。ほんと、そういうこと分かっていて、グレさせずに育てる自信ないなぁ。だからと言って、端からそういうもんだって言ってきかせるのも抵抗あるし、自意識過剰にも卑屈になられても困るなあ。先々、苦労しそうだし、させそうだ。
 ま、今は、これ以上考えても仕方がないか。まだ、出来てもいないしな。
「こういう事は、本人に話すべきではないと思うのだが……相手が、他ならぬ君だからね。変に隠すよりは、正直に話した方が良いと思った。気を悪くしないで欲しい」
「いえ、ありがとうございます。了解しました」
 溜息しか出ないけれどな。たかが服買うだけのことで、なんでこんな話になるのやら。
「しかし、君にこんなことで我慢させるのも、私としても本意ではない。ランディの邸は駄目だが、よければ、私の邸に招待しよう」
「え、」
「後見人としての役目もあるし、グレースも君に会いたがっている。そういうことであれば、レティシア夫人も気を悪くすることはないだろう。よければ、一緒に来てもらってかまわないし。勿論、旅芸人の彼らとも会う許可を出そう」
 ふむ。落とし所としては妥当か。服は欲しいしな。
「では、お願いします」
「商人の手配もあるし、三日後ぐらいでいいかい」
「はい」
「では、詳しい時間などは、決まったら知らせよう」

 ……快適に暮らすって、本当に大変だ。


 詳細を知らせず、アストリアスさんの邸に場所が変更になった事をレティに伝えたところ、「ああ、そちらの方が良いわね。お部屋も広いでしょうし、良い買い物ができるでしょう」、と気を悪くした様子もなく、同行も了解してくれた。
「ガルバイシア卿の奥様お抱えの商人だったら、良心的で、きっと良い品を揃えて下さるところでしょう。私も紹介していただけるだろうし、楽しみ」
 三日後、向かう馬車の中でも、レティの機嫌が良くて安心した。
「貴族の家に出入りする商人ごとの差って、あるもの?」
 好奇心で質問してみると、「そりゃあ、あるわよ」、と彼女らしからぬ口を尖らせた答えがあった。
「商人にも色々いるから。侯爵家に出入りする店ともなってくると、私がその店の商品を欲しいからと呼んでも、紹介がないと、なんだかんだ言って断られることになるわ。あからさまな言い方はしないけれどね」
「会ったこともない客だと、商売になるとしても、向こうも警戒して断るってこと?」
「そう。いざ支払いの時に『支払えませんでした』ってなった場合、損することになるでしょう? 後払いに限って」
「つい、余計な物まで買ってしまったりして?」
「ええ、ろくに値段を聞かずに買う人もいるそうだし。私には信じられないことだけれど、上流でも上の方の奥様方にはそういう方もみえるらしいわ。一度も外で買い物された事のない方とか」
「ああ、いそう。でも、払えなかった場合、どうするの?」
「そういう時は、紹介した方のところへ、商人がこれこれと訴えに行くことになるわね。それで、大抵は、紹介した手前、その方の分まで立て替えることになるの」
「でも、立て替えた金額をどうしても払えずに踏み倒されちゃった場合は? そのまま?」
「いいえ、そういうことは、いずれ社交界で噂になるわ。必ずどこからか漏れるものよ。それで、当然、誰もそんな方と付き合おうとしなくなるから、いたたまれなくなるでしょうね。お務めもままならなくなるでしょうし、お金を貸そうという人もいないでしょう。その内、お城への出入りも禁止されるわ。そして、税も払えなくなれば、爵位剥奪もあり得るし、相応の罰を受けることにもなるし。でも、勿論、逆に商人が不正を働いていた場合は、間違いなく店はお取り潰しになるし、それ以外の重い罰も受けることになるのよ」
「成る程ねぇ」
 京都の『一見さんお断り』システムか。客相手でなにかあった時は、紹介者が責任取るっていう。
 老舗というか、代々、家を継ぐことが当たり前で、職業選択範囲が限られているこの世界だと、店ごとの縄張りもはっきりしてるんだろう。物品の生産力が限られている分、薄利多売はあり得ないし、下手に新規顧客を得ようとすれば、仲間内でボコられなねない。より儲けるより先に、信頼と実績に裏打ちされた確実な利益を守るってところか。なにがしかの協約とかもあるのかもな。
 それにしても、同じ不正でも、貴族に比べて庶民の罰が重いってのは、デフォルトだな。
「こちらとしても、信用できる商人でなければ、家に上げるのは怖いもの。だから、信頼できる方に紹介していただいた方だと、安心もできるわ」
 だろうな。ひょっとすると、信用第一の理念は、日本以上かもしれない。その上で、如何に品揃えを良くするかってところで、商人の格も決まってくるのかもしれない。商売するのも大変そうだな。
 というところで、アストリアスさんの邸に着いた。




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