次の日の午後、クラウス殿下とのお茶の後、タチアナ姐さんに会いに出かけた。そのレティからのドレスを着て……いや、殿下には服のことは話さなかったよ。また、変な風に気を回されても困るし。新品の巫女服とか出してきそうだし、それはそれで問題だろう。自己防衛のため?
 そういや、巫女服あったなあ。でも、あれが使えればよかったんだけれど、如何せん素材が悪い。静電気パチパチだよ。エボナイト棒持ってきて実験にでも使うか? ……てか、エボナイト棒ないし。実験自体、役に立たないし。
 レティは、今日は一緒には来なかった。はっきりとは言わなかったが、二日続けて勉強を抜けるのは嫌なこともあるのだろうけれど、気を遣ってくれた部分もあるのだろう。
「久しぶりなのですから、お二人でゆっくりどうぞ。私はいつでも会いに行けますし」
 そんな断り方だった。

「姐さぁーん!」
「キャス!」
 久しぶり、元気だった? 元気そうでよかった。
 そんな風に言い合いながら、互いに抱きつくように挨拶を交わした。
「髪、伸びたね。少し雰囲気変わった? オトコでも出来た?」
 からかい混じりに、そんな風に言われた。へへへへへー。
「なによ、もお、あたしに内緒で!」
 わかったらしい指先で、頬をつままれた。姐さんは、ちょっとだけふくよかになったみたいだけれど、それがまた良い。相変わらず美人だ。
 おおい、と馬車の影から、聞き覚えのある声がした。
「タチアナ、今日は店じまい……あれ、キャスかあ」
 ひょろりとした姿に変わりはないが、長旅で焼けたらしい、以前よりも少し濃い肌の色に変わっていた。
「リト兄さん、お久しぶり。元気そうでよかった」
「おう、久しぶりだな。そっちも元気そうでなによりだ」
 リト兄さんの後からついてきた顔見知りの団員たちとも、軽い会釈と手を振って挨拶した。……あれ、知らない顔もいる。まだ若い女の子だ。新人?
「まだ明るいのに、店じまいですか?」
「ああ、雲が出てきたから。夜まではもつだろうが、タチアナも今は無理できないし、早めにな」
「姐さん、どこか悪いの?」
 それは、心配。
「いや、悪いわけじゃないよ。リトが、ちょっと神経質なだけ」
「おまえが、気をつけなさすぎなんだろうが」
「具合が悪いんだったら、施療院に行った方がいいよ。時間はかかるみたいだけれど、安くで診てもらえるし」

 施療院は、去年、ケリーさんの提案で設置されたものだ。管轄は、神殿。
 私は行ったことがないが、中腹のちょっと下あたりにある一軒家だそうで、町に暮らす者のためのものであり、また、医者の卵たちの実地訓練の場所になっている。そのうち全国展開、の筈だったんだが……
「問題が山積みよ。主に人の関係で。お薬が足りないこともあるけれど」
 とは、レティの言。
 卵の大半が、跡継ぎにはなれない貴族の次男、三男坊あたりで、騎士になる度胸はないけれど、プライドだけは高い者が多いらしい。爵位はなくとも権威や金は欲しい、と御殿医を目指していたり、貴族専属医で儲けを狙う目的の者たちにとっては、民相手に施術院で働くなど、あり得ない話だそうだ。そして、診られる側の者たちも、そんな医師の態度に腹を立てる者が多く、治療が必要でも二度と来ない者もいる。逆に、そうでない者には、やたら甘えたがって他の診察の邪魔になったり、町医者から得た間違った先入観や知識から治療を拒む者も珍しくないと言う。
 レティたちも努力しているのだが、上手く機能するまでの道のりは遠そうだ。そんなところだが、具合が悪いのに放置しておくよりはましだろう。

「大丈夫。医者に診せる類のもんでもないから」
 と、姐さんは答えると、軽く下腹を手で押さえた。……あり?
「もしかして……」
 赤ちゃんできた?
 頷かれた。
「ひょっとして……」
 兄さんがお父さん?
 横を見ると、苦笑いでちいさく首が横に振られた。
「まあ、俺らみたいなのには、色々とあるからな。気にすんな」
 明言できないなにか。そっか……酷いことをされたんじゃなければ良いけれど……そうであっても、私が口出しできることもないのか。でも、せめて。
「おめでとう」
「ありがとう」
「じゃあ、こんなところで立ち話って良くないよね。中で話してもいい?」
「おう、かまわないぜ。ゆっくりしてってくれ。俺らは、あっちで片付けてっから」
 周囲に人がいないこともあって、幌馬車の縁に座って、姐さんとおしゃべり。
 冬の間、姐さんたちは、リィグまで足を伸ばしていたそうだ。
「あそこは、冬でも暖かいからね。海に囲まれているから、魚が美味しいし、果物もあたしらが買えるぐらい安かったりね」
「えー、いいなあ」
 新鮮なお魚食べたぁい。冬でも果物が食べられるって、羨ましすぎる。
「冬でも暖かいから外で寝ても平気だし、陽気な連中が多いよ。いつも、どこかしらで歌っている声が聞こえてきたりね。でも、他のところより、ちょっと酔っぱらいが多いのが困るかな」
「あっちの方が暮らしやすい?」
「まあね。だけど、ひと所に落ち着いていられないから」
「ああ、そっか」
 姐さん達がこうしてアルディヴィアの都にいられるのも、街に入るための許可証と滞在許可証があるからだ。あと、興業許可証。
「途中、子供が出来たってわかって、産むんだったらこっちの方がいいだろうって。家も借りられるし。移動しながらでもできないことはないし、あたしらもそうやって産まれたけれど……やっぱりね」
「そうだね。そのほうがいいと私も思う」
 事情はあっても、姐さんが産むと決めたんだったら、無事に産まれて欲しい。まだ、出産するのも厳しい世界だから。ちゃんと産まれたとしても、無事に育つ確率も低い。
 折に触れ、お腹に触れる姐さんの表情は優しい。でも、当たり前に不安もあるだろうな。仲間がいるのが幸いだけれど、それだけじゃあ足りない部分もあるだろうから……
「あのね、」
 私は五の付く日には、施術院にケリーさんがいることを教えた。小児科と産婦人科とは違うけれど、妊婦に役に立つアドバイスは出来るだろうし、色々と力になってくれるだろう。レティもいるしな。
「ぜったい信頼できる人だから、一度、診てもらったらいいと思う」
「キャスがそう言うなら。行ってみるよ、ありがとう」
 うん。でも、もっと、私に出来ることがあればいいのに……
「でも、しばらくは、姐さんの踊りが見れないのが、残念。お客にも影響あるんじゃないの?」
 それには、まあね、と軽く肩が竦められた。
「でも、なるようにしかならないし。リトもその辺のことは考えてくれていてね」
「そうなの」
「新しく加わった子がいて……この子もワケありなんだけれど、リジーって娘。今、そのリジーに踊りを教えているんだけれど、なかなか筋がいいよ。今度、よかったら見においでよ」
「へぇ、うん、是非」
 さっきの娘かな? 十代半ばぐらいの、細かくウエーブのかかったセピア色の髪が綺麗な娘だった。
「あとね、あ、そうそう。キャスにお土産があるんだった。ちょっと待ってて!」
 姐さんは、馬車の奥に入ると、ごそごそと音をさせてから何かを持ってきた。
「はい、これ」
 それは、陽に透かせば、向こうがぼんやりと透けて見える薄さの大判の布だった。スカーフ代わりに使えそうなやつだ。墨流しのように青やピンクの色が混ざり合い、ところどころ紫にもなっている。日本にある外国の民芸雑貨店なんかで売られていそう。なんか、懐かしい感じ。
「大したことない物かもしれないけれど、使い勝手もいいし、気に入ってくれると嬉しいな」
「うん、ありがとう。すごい素敵。大事にするね」
 日本だったらまだしも、今の生活だとなかなか使う機会もないだろうなあ。けれど、その気持ちが嬉しい。……ああ、でも、本当にこんなんでいいんだよな。ところどころ糸が撚れててもさ、難しいこともなくてさ。消耗品なんだし。
「ほかにも、耳飾りとか腕輪とかもどうかと思ったんだけれど、お城じゃあ安っぽいのつけていられないだろうし、好みもあるしね」
 うん、私は気にしないけれど、周囲がね。ゲルダさんとかいい顔しないだろうな。
「実は、他にも色々とリィグで買い付けてきてね。装飾品とか布とか。珍しいのもあるだろうからここで売れないか、ってリトがさ。少しは儲けの足しになるんじゃないかって」
 え?
「ただ、街によっちゃあ、通りで売るにも色々と許可が必要だったりするからさ、顔役とか。それで、今、あちこちに聞いて回ってて、」
「姐さん!」
「なんだい、急に大声だして。驚くじゃないさ」
「布あるの!?」
「……あるけど……?」
「お願い! 見せてっ!」
 見たい! 見る!
「いいけど……じゃあ、こっち。ちょっと、運ぶのが重いから」
 と、誘われた馬車の奥。そこは、今の私にとっては宝の山だった。よもや、こんなところで出会えるとは!
「布とかだったら、売れなくても衣装とかにすればいいし、ほかにも使い道もあるから多めに仕入れてね」
 とか、姐さんは言うけれど。
「姐さん! これ売って! 買う! 言い値の倍でも払うから売って!!」
「はあ?」
「ウサギちゃん?」
「なんかあったかぁ」
 思わずでかい声を上げてしまったせいだろう。馬車を覗いたランディさんが、布を抱える私を見て目を丸くした。
 一歩遅れて、のんびりした口調でやって来たリト兄さんに、私はもう一度、言った。
「兄さん、これ売って!」
「あー、そりゃ、かまわねぇけど。こっちとしても助かるから」
 そう答えながら、『どうしたんだ、こいつ』の目つきで、ランディさんを見た。
 ランディさんが苦笑を溢した。
「ここのところ、ずっと布を探していたんですよ。ウサギちゃん、それがいいの?」
 うん!
「あと、姐さんにお願いがある! 仕立屋紹介して!」
「ええと……なに?」
「まあ、ちょっと落ち着けや。話は聞いてやっから」
 呆れた様子の兄さんの言葉に、やっと一息吐いた私は、説明をはじめた。

 これこれこういうわけで、とあちこち迷走しながら姐さんと兄さんに、服に関するこれまでの経緯の説明をした。
「城暮らしってのも、案外、大変なもんだなあ」
「着る服も選べないなんて……逆だと思ってた。キャスはもともとあたしら側の人間だし、よく我慢してるね」
 と、同情に似た言葉をもらった。
「そういうことだったら、協力してやるよ。他の布も出してやるから、好きなの選びな。タダってわけにゃあいかないが、世話になっているしな。サービスしてやるよ」
 リト兄さんの、ぽん、と胸を叩いての返事に、私は大喜び。姐さん、兄さん、大好きだっ!
 それからは、転がるように話が進んだ。
 ランディさんには何回か姐さんのところに足を運んでもらい、私は念願のインナーウエアを数着、手に入れることが出来た。
 姐さんの話によると、ムームーに似たシンプルなデザインは、リィグでは一般的なものらしい。女性用のワイドのフレアーパンツは珍しいが、踊り子の衣装としては悪くないところで、仕立屋に変に思われることはなかったそうだ。仕立て上がりは、お城御用達にはかなわないものの、まずまずの出来だった。
 それから暫くして、姐さんたちから、下町に団員たちが共同で暮らせる一軒家を借りることができた、と報告があった。少しちいさいけれど、なかなか良い家だよ、と安心して子供を産める場所が確保できた事に、姐さんは喜んでいた。それには、保証人になってくれた、ランディさんの力があったと聞いた。
 住居を得たことで、リトさん達は、週に一度立つ露店市での販売許可が得られた。私の分とは別に仕立てられたワンピースは、見本品として軒先にぶら下げられた。リジーさんは、看板娘としてなかなかの働きをしているらしい。
「ありがとう」
 感謝する私の頭の上で、いつものように微笑みと共に手が跳ねた。
 でも、やっぱり、私はまだボケていたようだ。長い間、これに別の思惑が働いていたのには、まったく気が付かなかった。
 すなわち、国外の生の情報を得るための道具。
 しかし、これは私が責められるものでもないかと思う。ランディさんを介して仲良くなったランデルバイアの騎士らに、雑談としてあれこれ旅の話を聞かれるままに答えていた兄さんたちでさえ、気付かなかったのだから。
「おまえは、本当に良い拾いものをしてくれる」
 ディオのその言い草に、私が気分を害したのは、いつもの話だ。
 その後、私は例の事故で大怪我を負い、図らずも、出来上がったばかりのガウンとインナーウエアーが大活躍した。包帯ぐるぐる巻きでも着脱に便利だと、ケリーさんや侍女さんたちに好評だったことに、ちょっとだけ複雑な思いをした。
 部屋で安静の期間、ミシェリアさんから届いた返事が、心の慰めになった。
 自分のとは別に、ルーサー商会と姐さんたちから購入した布が、無事に届いたこと。季節的に、養護院のちびっこたちの服を作るのに、丁度よかった事。お下がりでない自分達の服に、たいそう喜ぶだろうこと。だが、早速にはじめた柄の取り合いに、大変なことになっている、などが書かれていた。
 送り主が私と美香ちゃん、ルーディの連名であることを、二人の名を騙って書いた私の手紙を、ちびっこ達が疑うことなく、素直に信じてくれたことも……良かったと思う。今はまだ……
 視察旅行から戻ってきたディオは、新しいガウンを気に入ってくれたようだ。着心地が良いと褒めてくれて、好んで身につけてくれた。
 初めて羽織った姿を見た時は、かなりキた。普段はかっちりめに着こなしている人の着崩した感じは、破壊力バツグンだった。
 ……うむ、実にけしからん! たまには、衝動買いも悪くないな。
 私自身も気に入ったので、もう一着ずつ作ることになった。お陰で、私はルーサー商会のお得意さまに登録され、その後も幾つか品物を用立ててもらったり、無理を聞いてもらったりもした。
 メイヨーさんには、客の立場から、この世界での商売のことを学ばせてもらった。葡萄畑の経営のほかにも役に立ったと思う。
 それからも、三年ぶりの武闘大会があったり、陛下からの許可が得られて、城の西側の空き地の温室建造に着手したりと、私も、わりと忙しい日々を過ごすことになる。
 ディオが、ガウンの礼だと称して、私を自分の領地へバカンスに連れ出してくれたのは、それから更に二月後のことだ。

 ……ランデルバイアに、本格的な夏の季節がやってくる。







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