『名を呼ぶ声』





 ディオはあんな人だし、私もこんなんだし。

 だから、「おまえの家族はどのような者たちだった」、と訊かれるまで、まったく家族について話していなかったことに気付かなかった。
「どのような……ええと、血の繋がった両親と同い年の姉がひとり。あと、実の両親は私たちが十三歳のころに離婚して、十八歳の時に父が再婚したので、義理の母親と弟がひとり。でも、その時には私は一人暮らしをはじめていたから、義理の母と弟は家族って感じではなかったかな」
 と、ざっと説明をした。
 家族の話をするのは苦手だ。
 私のそれに対する感情には、よくないものが混じっていることがわかっているから。
 でも、そんな話をするのも嫌だった。表向きは兎も角、その実、仲の良いというか、弟に対する愛情を隠そうとしない兄ふたりを持っている彼には。
「同い年の姉とは、双子だったのか」
「ああ、うん、そう」
「似ていたのか」
「そうだね。見た目は。でも、見分けがつかないってほどのことはなかったよ。性格はまるっきり反対だったし」
 そう答えると、ディオは、そうか、と呟くように言って、私の好きな青い瞳を伏せた。
「名は? 姉の名はなんといった?」
「穂乃香」
 『ほのか』に『かすみ』。見た目の印象はともかく、名前は影が薄そうだ。他の子に比べてちいさかったからだと聞いた。なんちゅういい加減な。
「ホノカ」
 完璧な発音。一発だ。ちょっと悔しい。だから、
「本当は、私の方が穂乃香になるはずだったんだよ」
 そう言った。
「そうなのか?」
「うん。産まれて役所に名前を届けに行った時、お父さんが書類を書く時にまちがえたの。だから、私の名前は最初、姉の名になる筈だった霞になったの」
 こどもの頃、一度だけ母からその話を聞いて、すこしショックだった覚えがある。『双子なんだし、まあいいだろ』、と後から父は母に言ったそうだ。
 考えてみれば、私のいい加減さはその時から培われたような気がしないでもない。
「もし、私の名前が穂乃香になっていたら、ひょっとしたら、この世界に来たのは姉の方だったかもしれないね」
「それはないだろう」
 ディオから間を置かず、やけにきっぱりとした答えがあった。
「そうかな」
「ああ。おまえがホノカであったとしても、この場所にいたのはおまえの方だろう」
 空の色が真直ぐと私に向けられた。
 そう言われると、ちょっと嬉しい。
「戦に勝つため?」
 悪戯でそう答えたら、むっとした感じで「馬鹿者」、と言われた。
 久し振りに聞いた。
「ね、もし、穂乃香だったとしたら、私、ここではなんて呼ばれてたのかな? キャスじゃなくて」
 そう問えば、僅かに赤い髪が僅かに傾げられた。
「そうだな……フォーノか、フォンカとか」
 私は噴き出した。
「誰よ、それ!」
 フォーノにフォンカ。やっぱり、まったく別人だ。
 というか、穂乃香って名前も、ここの人にはすぐに発音できるわけじゃないんだ。
 私の名前をちゃんと呼べるこの人だから、一発で言えただけだったんだな。
「じゃあ、やっぱり霞で、キャスって呼ばれて良かったんだ」
 そうだな、とディオも微苦笑を浮かべた。
「名はどうあれ、おまえはおまえであったろうが、カスミでよかったと私は思う」
 その名を発音するその声。
 夜の安らぎを与えられる気がする。
 はじめて自分の名が、本当に自分のものになった気がした。
 そして、キャスって呼び名もより身近なものに感じた。
 自然と笑みが浮かぶ。
「ディオ」
 彼の名を呼ぶ。
「やっぱり、最初からここにいたのは私だと思う」
 あの世界のあの場所で、偶然、鏡像物質の衝突に巻込まれた私。
 なにがあっても、あの時あそこにいるのは姉でなく、私だったんだと実感した。
 この異世界に来て、辛いことや悲しいことはいっぱいあったけれど、やはり、経験すべきは私だった。
「だから、そう言っているだろう」
「うん」
 そして、この腕に抱かれるのも。
 偶然とか、運命とかでなく。
 私はだれにもこの場所を譲るつもりはなかったってことだ。
「カスミ」

 この声で呼ばれるこの名こそが、私の真の名前。
 ……私だけの名。




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