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カスミはああいった性格であるし、私もこういった性格であるし。
いまでも、必要なこと以外は互いに訊ねることも話すこともあまりない。
同じ空間にいたとしても、会話するよりも沈黙が長い時がある。
他人から見ればよそよそしくも感じるのだろうが、違う世界にいた者同士としては、ひとつの事柄について説明するのもむずかしいし、面倒だったりする。
それに、あれこれと話しかけてこないカスミの態度が、逆に好ましくも感じている。
普段は話しても、高すぎず、けたたましさを感じさせない声音も。
静かで柔らかい声だ。猫の毛皮の感触を思い出させるような。
私が彼女に猫の印象を持つのは、声によるところもあるだろうと思う。
「ディオのお母さんってどんな人だったの? 優しかった?」
改めてそう問われた時、どう答えようか少し迷いもした。
兄やウェンゼルから、カスミが自分の家族に対し、あまりよい思いを抱いていなかったことをそれとなく聞いていたから。普段、敢えて、話したがらないことにも気付いたから。
この話が呼び水になって、つまらないことで嫌な思いはしたくないし、させたくない。
「そうだな。病弱で、起きて動いているよりも寝台の上にいることの方が多かった。身罷ったのは、私が七歳の時だ。だから、一緒にいることもあまりなかったし、他の母親がどのようなものか私は知らないが、優しかったと思う」
端的に答えれば、そう、とカスミはソファの上で相槌をうちながら、クッションを胸に抱え直した。
「綺麗な人だったんだよね」
「そうだな、美しいと言われていた」
「肖像画とかはないの?」
「あるが」
「どこにあるの? 見たい」
蝋燭の光を吸収することなく映す黒い瞳が、磨かれた石のようにも見えた。
興味津々といった様子だ。
「別室だが……いまから見に行くか?」
すると、頷いたので、連れていくことにした。
燭台を手にし、外套を羽織らせた。息も白くなる部屋では、ドレスのみでは風邪もひく。
廊下に出て、二部屋先の扉を開いた。
「うわあ」、と一歩部屋に入って、カスミが声をあげた。
「肖像画ばっかり! 壁一面に大きいのから小さいのまでいろいろ。すごいね。でも、暗いから、ちょっと不気味」
そう言って、私の方へ身を寄せてきた。
「祖父の代からのものが飾ってあるからな」
私もこの部屋に入るのは久し振りだ。
他の部屋にくらべて狭い作りのその部屋は、血縁者の肖像画ばかりを飾る用途に使われている。
揺らめく蝋燭の灯のみで照らされるその光景は、光に反射して降り積もった過去が立ち昇ってくるようだ。そのせいか、息が詰まりそうにも感じる時がある。
カスミの手を引き、中で最も大きな一対の前に連れていった。
覆いのカーテンを開ければ、懐かしい姿が目の前に現れた。
「これが母上だ。隣が父上、前の国王だ」
燭台を掲げ、照らす。
クリーム色のドレスを身に着け、椅子に腰かけて微笑む母と、厚手の深緑色をした王だけが身に着ける儀式用の服を纏った父の立ち姿。
ふわあ、と白い息の塊を吐きながら答えがあった。
「綺麗な人だねえ。見るからに上品で優しそう。お父さんは『立派な人』って感じ。厳めしいっていうのか、生きて会っていたら、行儀が悪いとかで叱られていそう」
思わず苦笑した。
「叱りはしなかっただろうが、良い顔はしなかったかもしれないな。父上は猫を好まれなかったから」
「やだ、そっちの方がよけいに良くないじゃない」
カスミは少し不満げに言うと、ふうん、と目の前に座る母を見上げた。
「金髪なんだね。目の色は? 暗いからよくわからないけれど」
「紫だ。陛下や兄上と同じ色だ。髪の色は、嫁いだ姉上が同じ色をしている」
「お父さんの髪の色はディオと同じ色だね。同じ赤でも、陛下やクラウス殿下は少し黄色みが強い感じ」
「そうだな。目の色は私だけ祖父譲りだが」
「そうなんだってね。前にカリエスさんから聞いた」
「そうか」
「でも、笑った時の顔がお母さんにもちょっと似てる気がする」
そんな事、はじめて言われた。
「一番、お母さんに似ているのはクラウス殿下だね。陛下はお母さん寄りだけれど、お父さん良いところどりで混じっているって感じ。ディオはお父さん寄りで、部分的にお母さんの良いところがちょっと混じっているって感じかな」
「そうか」
「うん。でも、こうして見ると、やっぱりみんなのご両親って感じ。血が繋がっているんだなあって、この絵を見ただけでわかるよ」
カスミはそう言って、肖像画の前で軽く膝を曲げて挨拶をした。
「はじめまして、霞です。ふつつか者ですが、今後とも宜しくおねがいいたします」
父が生きていたら、多少なりとも文句を言いそうな挨拶だったが、私は彼女のこういうところも気に入っている。
その後、カスミは他の肖像画も見たがったが、別の機会に、と言って部屋に連れ帰った。
やはり、いまの時期のあの部屋は長くいるには寒すぎる。
それから、暖炉で暖まった部屋で、カスミに乞われるままに少ない母の思い出話をぽつり、ぽつり、として聞かせた。
彼女は時々、相槌を打ちながら、私の話も沈黙も邪魔することなく微笑んでいた。
「ユーリ、ねえ、ユリウス」
カスミが私のことを、たまにそう呼ぶようになったのは、それからのことだ。
最初、聞いた時に、つい、軽く狼狽えてしまったのがいけなかったのだろう。
こっそりとからかうように微笑みながら、私の耳元で囁くようにそう呼ぶ。
母が呼んだものとは違う調子と声で。
それでも私は、その響きが含む慕わしさに笑みを浮かべてしまう。
都合の悪い時でさえ。
カスミはそれが面白いらしい。すぐに調子にのろうとする。
彼女のよくないところだ。
が、癪に障ることにその時の声と笑顔は、私の最も気に入っているところでもある。
その声で呼ばれるその名は、もうひとつの私の名。
私だけの名だ。