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その時、空は歪んで見えた。
レンズを通して見た時のように、薄青い色と白く棚引く飛行機雲がねじ曲がって見えた。
ふ、と見上げてそれを目にした私は歩道の真ん中で眩暈にも似た感じを受け、一瞬、目の焦点がずれたか、立ちくらみを起こしたか、と目をこすった。
でも、本当にそれは一瞬の事。
突然、全身を押し潰されそうなほどの重いゲル状のものに覆われる感触があった。
溺れる!
何もない道端で、そう思った。それぐらい息苦しかった。死ぬ、と。
生暖かい弾力のある液状の中で宙に浮く身体をなんとかしようと、必死になってもがいた。なにか掴まる物はないかと無闇に手足をばたつかせた。
呑み込んでしまった生暖かいゼリーに口の中は不味く、鉄を舐めたような味がした。
私の目を真っ白い光が射た。眼球を灼くような眩しさで、目を閉じているのか開いているのかも分からなくなるぐらいに白く、物の輪郭は失われ、影という影は消えた。
私を覆った『なにか』ごと、地面に沈み込むような感じがあった。沈み込みながら薄れゆく意識のなか、『ああ、死ぬのか』、と思った。苦しくはあったけれど、痛くなくて良かった、とも思った。
低い咆哮が聞こえたような気がした。
いつの間にか、周囲はオレンジ色に染まっていた。周囲にあった壁や家が跡形もなく吹き飛ばされていくのが、やけに細かいところまではっきりと見えた。
もがき苦しみながらも、まるで、時が止っているかのように瓦礫のひとつひとつが飛び砕け、消し炭から塵へと変わるその最後の瞬間まで、私の目はとらえていた。
大地はひび割れ、裂けた。
あがる断末魔の一声さえ聞き漏らさず、私の耳はすべての音を拾い集めていた。
その時、空が砕ける音を聞いた。
――それが、その世界での私の最後の記憶だ。
次に気が付いた時には、私は地面に俯せになって倒れていた。
青い草の匂いと、土の匂い。地面についたお腹と頬は冷たかったけれど、背中には太陽の暖い光を感じた。
耳元で虫が飛ぶ羽音が聞こえた。
風が髪の毛を揺らしながら吹き通っていった。
何故、私はこんなところで寝ているのだろう?
ぼやけた頭でそんな事を思った。だが、身体が動かなかった。力が入らなかった。瞼さえ開けられない。
骨がなくなってしまったかのように、だらりと半覚醒状態のまま寝転がっていた。
人の声がした。複数。
男の声とこどもも混じっているようだ。気配と音が近付いてきた。何か大声で喚いていて、とても慌てた雰囲気があった。
――ああ、まずいな……
助けてくれるのか、或いは、害するつもりなのか。どちらにしろ、自分のこの状態はまずいと思った。
でも、相変わらず指先ひとつ動かせず、どうしようもなかった。
そうしている内、身体を抱え上げられ、上向きにされた。
頬を指先で軽く叩かれる感触があって、何事か話しかけられた。でも、なにを言っているのか分からなかった。それでも瞼の裏で、どうやら助けてくれるらしい雰囲気を感じた。
身体を抱き上げられた時に乱暴さはなく、『ああ、お姫さま抱っこだ』、なんて事をのんびり思った。
そこから、また意識が途切れている。
そして。
次に目を完全に覚ました時、私はベッドの上にいた。私は自分が生きていた事を知った。
それから色々なことがあって、色んな人に会って、今また私は空を見上げている。これまで私が生きていたのとは、別の世界の空を。
足下には大地。手に鍬を持ち、畑を耕している真っ最中だ。
……あいててて、腕が筋肉痛で腰も痛い。もとが頭脳労働者にはむかないよ、この仕事。でも、しょうがないんだよなぁ。ここでは、他に出来る仕事ないし。
私の名前は、高原 霞 《たかはら かすみ》。二十七才。女。独身。無職。
社会的立場としては、おそらく――難民だ。