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 何がなんだか分からない内に、ランデルバイア国王との謁見は終った。
 床に座ったまま呆ける私を置いて、アウグスナータ王は一仕事を終えたとばかりにさっさと玉座を立って、行ってしまった。
 えー……?
「さっさと立て。いつまでもそんな所にいては、邪魔だ」
 邪魔って、あんた……いや、俺様にしても、これだけ男前ならば許そう。なんたって、王子さまだしな。
 とか言いながら、目の前に手が差し出された。私はそれに捕まって立ち上がった。
 よっこらしょっ、と。あいたたた、足がちょい痺れた。
「来い」
 殿下はそう言って、先に立って歩き出した。私は空になった箱だけを拾い上げて、慌ててその後を追った。
 長い廊下を歩き、辿り着いた先は、石の壁と床に囲まれただけの殺風景な部屋だった。窓はついているが、陽当たりは悪く薄暗い。ある調度と言えば、玉座ではないが、一段高い位置に木製の椅子――シンプルながら頑丈そうな、が置かれているだけで、他には何もなかった。
 冷え冷えとした硬いの空気の中、エスクラシオ殿下は椅子に近付くと、どっかりと腰を下ろした。
 私はその前に、両手で箱をかかえたまま突っ立っていた。……ええと、レディファーストはどうなりました? 私、立ったままなんでしょうか。
「あの、」
「なんだ」
「良く分からなかったんですが、結局、私はどうなるんでしょうか」
 そう訊ねると、殿下はひとつ鼻を鳴らして答えた。
「おまえの処遇は私に任される事になった」
 聞いていなかったのか、と言わんばかりの言い様だ。
「それは分かりました」私は頷いた。「でも、それがどういう意味なのか分からないのですが」
「おまえを生かそうが、殺そうが、私に一任されるという事だ」
 はあ。
「それで、どうなさるおつもりで」
「私の下で働け」
 は?
 思わぬ一言に、唖然とした。大口を開けた間抜け顔を曝していた。
「働けって……」
 どうやって? 何の仕事をさせるつもりだ、馬にも乗れないんだぞ。
「おまえは言ったな。一度、依頼を受ければ、己の知識、経験を使って最大限の努力はする、と。だから、私はおまえに仕事を与えよう。我が国はこれよりグスカとファーデルシアを攻める。それを手伝え。そして、その後も戦が続くようであれば、それからも我が軍の勝利を導く手伝いをしろ。報酬はその身の安全……おまえの命だ」
 思考が止った。
 頭が真っ白になるというのはこういう事か、と初めて実感した時でもあった。
「そ、んな」
 最初に思ったのは、なんでこの人がこんな突拍子もないことを言い出したか、という事だ。そして、次にルーディの泣き顔を思い出した。続いてミシェリアさんと、私に向かって手を振っていたちびっ子たちの顔。
「不服か」
 そんな奇麗な顔をして、なんてむごい事を言うんだ!
「私にファーデルシアを滅ぼす手伝いをしろ、と」
 そうだ、と頷きがある。
「自分の命と引き換えに、助けたい者を不幸にする手助けをしろだなんて……ひどすぎます! 人をなんだと思ってんですか!」
「そうかな」
「そうですよ!」
 私は目の前に座る白々とした表情の男を睨んだ。
「ならば、死を選ぶか。それでもかまわんが」
「人の道を外れるよりは、その方がましという事もあるでしょう」
 間接的にでも、ルーディたちを傷つけたり、殺したりなんかしたくない。
「なるほど。しかし、少々、落胆もする。もう少し気概のある女かと思ったが」
 エスクラシオ殿下は、その口元にうっすらと笑みさえ浮かべて、例えば、と言った。
「例えば、考えたりはしないのか」
「なにをですか」
 ああ、憎たらしい。ルックスが良いだけに、憎たらしい。魅力的な分だけ、余計、憎たらしく見える。畜生、なんて余裕なんだ!
「おまえの持つ技量、裁量次第で戦の被害を最小限に押さえる事が出来るのではないかと、おまえの大切な者たちを戦火より救う手立てが、何かしらあるのではないかとは考えないか。守る側にあればできぬ事も、攻め手にあれば出来る事もある、そう考えないのか。死ぬ道を選べばそこまでだが、生きていれば出来る事はある。それを考えはしないのか」
 言われて、息を呑んだ。
 確かに。確かに、そういう考え方もあるのかもしれない。目から鱗。盲点を突かれた発想……いや、でも、しかし。それは現実味がなく、それだけに思い付きもしなかった。
 アドバタイジング。それを表す単語はこの世界にはない。つまり、そういう手法が存在していない、確立されていないという事だ。
 ……そんな事が出来るのか、この私に?
 国家戦略に関る広告代理店の役割。それは、アメリカでは顕著だ。
 大統領選挙の大イベントに始って、大統領就任式ほか各種の催し物を盛り上げる為に常に関るのは勿論の事、政治を行う上でのメディア戦略にも大きく関る。身嗜みから始まって、コメントや政治コンセプトの提案からのイメージ戦略。時には戦時の現地からの報道にさえ演出を加える。流行を起こそうという広告の手法を駆使し、完全に裏方にいながら、権力中枢近くで国民感情に影響を与える役割を担う。でも、それは長年に渡って蓄積されたノウハウと大手代理店ならではの人脈とスタッフ、そして資金が揃ってこそ為しえることだ。それに、上手くいったとしても一度失敗した時のダメージは大きい。政権をひとつ潰すくらいの事にはなる。しかし、成功すれば、殿下の言うような事も可能かもしれない。
 だが、私が相手にするのは国。扱うは、戦争。未知の事ばかりのその中で、どれだけの事ができる?
 日本でもない事はないが、殆どが議員個人に対するもので、それほど大きな影響力は持たないと聞く。噂では、せいぜい合法的に政府にとって都合の良いアンケート調査の結果を出すくらいだと言う。それに、私にはそんな経験もなくノウハウを何も持たない。
 では、諦めるか?
 このまま指を銜えて見ているか。ルーディたちが苦しむのを分かっていて、何もせず、何も訴えることさえせずに黙って死んでいくか。
 箱を持つ手が震える。
 出来るのか、私に。そんな大それた事が。

 心の中で叫び声があがる。

 殿下は、深く耳に残る声で言った。
「死にたいのであれば、以前、口にした望み通りに殺してやろう。死したことさえ気付かないほどにな。だが、そうでなければ、私に手を貸せ。その中でおまえの願いを叶えようとする事については、我が方の条件さえ満たせば、なにも言わん。ただ、これだけは言っておく。それにしても、無傷ではいられまい。おまえの目の前で多くの人の血が流され、傷つき、ありとあらゆる苦しみを目にもしよう。受ける憎しみに、死以上の苦しみが伴うかもしれん。魂は穢れもしようし、死してのち、天への道も閉ざされよう。それだけでなく、今生、おまえには女としての価値は失われる。子を為し、愛する男の為に尽くして穏やかに暮そうなどという望みは抱くことさえ許されない。その理由は言わずとも分かるだろう。それでも叶えたいと願うならば、それだけの犠牲を払ってでも願いを叶えようと覚悟を持つならば、」

 熱砂の中、冷えた水を湛える瞳が私を押し包む。
 私は錆びた味を口中に噛み締める。


「おまえの命、私が預かろう。おまえに害を為そうとする者から、おまえを守ってやる」




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