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 私が異世界と呼ばれるこの世界に来て、七ヶ月。
 当初、ファーデルシア国で無事に暮す筈だったのが、なんの因果か国家間の争い事に巻込まれ、本来、行くべき人間の代わりに人身御供の状態でランデルバイア国に引き渡された。
 そして、まな板の上の鯉というか、ドナドナの子牛状態で一度ならず死を覚悟したその身が、なんだかよく分からない内にエスクラシオ殿下に引取られ、その部下として、死んだその先までランデルバイア国と国王への忠誠を誓わさせられた。
 あー、言い方によっては、『捨てる神あれば、拾う神あり』。当然、感謝しなきゃいけないんだろうが、正直に言って抵抗がある。
 それから、更に半月近く経ったいま、私はまだ生きている。ランデルバイア国の黒い軍服を着て、ランデルバイア国王城の片隅に生きて暮している。
 ……いや、でも、やっぱり死にそう。

「背筋が曲がっている。伸ばして、脇を締めて、そう」
 少し離れた位置に立つカリエスさんを高い位置から見下して、私は手に絡めた革のひもを適度に絞る。
 ぱっこ、ぱっこ、ぱっこ、ぱっこ、
 上下左右に揺られながら、ゆっくりと前進している。蹄の音がどこか間が抜けて聞こえる。乗り手が悪いせいか?
 ああるぅ晴れた、ひぃるぅさがり、いぃちぃばぁへつづぅくみちぃ……
 リズムがピッタリだ。
 私の頭上では青空が広がり、小鳥が楽しげに囀っている。吹く風は爽やかで、うららかな春の陽射しが降り注ぐ。恰好の昼寝日和だ……なのに。
 ああ、なんだかなぁ。がに股になりそうだ。しこを踏んでいるような歩き方になったら、どうしてくれるんだ。
 説明するまでもなく、いま、私は乗馬の練習中である。
「膝が緩んでいる。引き締めて。振り落とされるぞ。中心軸をずらすな」
 教官はカリエスさん。
 騎士で、私をファーデルシアからこの国まで連れてきた内のひとりだ。今は私の教育係として面倒を見て貰っている。
 軍に所属するからには、馬のひとつも乗りこなせなければならず、また、その他にも最低限できなければならない事も数多くあるそうで、カリエスさん以外の人たちにも代わる代わる、いろんな事を仕込まれている最中だ。はっきり言えば、しごかれている。
 剣の扱い方とか、兵法とか、行儀作法とか……つうか、私は、騎士でもなんでもないから、ほんとうはこんなこと覚える必要ない筈だ。ない筈なんだが、エスクラシオ大公殿下の直属の部下ともなれば、いつ何時なにがあろうとも対処できるだけの能力と実力を……って、そんなん知るかーっ!
 声を大にして言ってやる。こちとら、産まれてこの方、筋金入りの文系だぞ! 体育会系の理屈なんざぁ、知るもんかあぁっ!  告白すれば、学生時代の体育の授業は常に心身症だった。月曜日の一限目からあろうものなら、毎週、死ねと言われているように感じたほど身体を動かす事は苦手だったし、今でも苦手だ。短距離走のタイムは、毎度、後ろから数えた方が早いぐらいだったし、クラス対抗戦においては完全なお荷物扱い。当然、成績もろくなモンじゃなかった。いわんや、今はそこから更に年齢を重ねているのだ。お肌の曲がり角を迎え、肉体的にもっと衰えていてもちっとも不思議じゃない。いや、当然の事だ。
 そんな私を軍人と同じように仕込もうなんぞ無茶な話ですぜ、旦那方。てか、ぜってぇ、無理!
「キャス! 余所見をするなっ。真面目にやれ! 集中しろ!」
「へえぇい……」
 カリエスさんの茶色の短髪が逆立っている。
 馬が不満そうに鼻を鳴らした。

 ……ほんと、暑苦しいのは嫌いなんだよ、ドナドナ。

 そんな理由は別にしても、実際、私にはこんな事をしている暇はない。
 私が今、生きている理由。それは、近々、敵となる国に暮す私の大事な友人たちを助けるための方策をなんとかして考え出す為である。その目的を達成する為の時間は幾らあっても足りないし、どれだけ費やそうと惜しくはない。
 突然、異世界である日本から来て、なにも分からない私に親切にしてくれた、優しくしてくれた人たち。数ヶ月だけだったけれど、保護施設だった養護院に一緒に暮して家族のように接してくれた、ルーディ、ミシェリアさん、ちびっ子たち。恩義ある彼女たちを救うために、私は生きる道を選んだ。
 敵国にいて助けるなんて矛盾しているが、戦争の被害を出来るだけ少なくすることに尽力する。そして、彼女たちがそれに巻込まれないように、最低でも、命を失うことがないように努力する……それが、私の為すべきこと。
 それは、取りも直さず、上司となったエスクラシオ殿下の希望でもあり――侵略するにしても、敵味方共にできるだけ手傷を負わない状態で手に入れられる方が、あとあと良いからね――最終目的は違えど、目標は一致したわけだ。そして、それがそのまま、今の私の主な仕事になった。即ち。
 対ファーデルシア、グスカ、両国の戦に於て、自国、他国ともに最小限の被害に押さえる為のなんらかの方策を立案する、って事。
 ……おいおい、グスカもかよ。無茶だろ、そりゃあ。
 グスカもファーデルシア同様、ランデルバイアと国境を隣接する国で、長らくこの三国は三竦み状態にある。どちらかと戦をすれば、もう一国とも戦うのは必定のことらしい。
 とは言っても、現代日本に生まれ育った私は、当然、戦争のことなんぞ何も分からないし、国家戦略なんぞに関った経験もない。政治の事など、報道される中での一般的知識からグチを垂れるか、たまにある選挙に行くぐらいの関りしか持たなかった。
 そんな私に、一体、なにが出来る?
 単純に考えて、何もできないと思うのが普通だ。だが、上司となった男の考えは違った。日本では弱小広告代理店の企画担当として働いていた私のノウハウを使えば、多少なりとも被害を減らすことは可能、と考えたようだった。
 つまり、直接対峙する以前に、多数の人間の心理になんらかの形で働き掛けることによって回避できる戦いもあるのでは、と思ったらしい。或いは、対峙したとしても、かかる被害を押さえることが出来るのでは、と。そして、私を部下にすることで、その方法を考えるように言い渡した。
 所謂、情報心理戦というやつである。近代的な戦争の仕方だな。
 ……んなもん、素人にそうそう都合よくできる筈ねぇだろうがよ。
 私の本音としてはそうだ。そうではあるが、『死ぬかどちらかを選べ』、と言われて、生きる方の道を選択した。
 ――死ぬ道を選べばそこまでだが、生きていれば出来る事はある。それを考えはしないのか。
 上司である男は、オットコ前な顔に余裕を加えた表情で私にそう言った。
 確かに。
 僅かな望みであったとしても、ルーディたちを助けることが出来るならば、その可能性にかけてみることにした。微力ながら、力を尽くしてみることにしたわけである。まあ、死ぬのはいつでも出来る。
 というよりも。
 無能と分かった時点で、殺される可能性は大。
 その危険性が私の前から去ったわけではないに違いない。こんな私ですら、国家間の争いの火種となり得る要素を持ちあわせてもいるのだから。
 ……ほんとうに、よく分からん価値観の世界だ。絶望的とも言えるほどに。

 高原 霞《たかはら かすみ》。女。二十七才。職業、ランデルバイア国軍情報戦略課所属、企画立案担当。
 今の私の肩書きとしては、こんなところだろう……やれやれ。




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