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 坂道を下って山の中腹辺り、本道より二本道を入ったところに広場があった。出店が並ぶ賑やかなその一角に幌馬車が二台並び、周囲に人だかりが出来ていた。その向こうから、以前に聞いた曲調の音楽が流れてくる。
「あそこですね」
 少し離れた位置で馬車を降りると、ランディさんが言った。
「思ったよりも人が多いな。キャス、万が一の事があるかもしれないから、私達から離れないように。勝手に動き回らないで」
「はい」
 人込みに紛れないように、数メートル離れた位置で人が捌けるのを待つ。
 観客が壁になって、タチアナ姐さんの踊っている姿を垣間見ることさえ出来なかったが、心浮き立つような音楽に手拍子や掛け声を聞いているだけで嬉しくなってしまう。僅かなりとも自分がこれに貢献できて、良かったな、と感じる。
 本当は、戦争なんかに関るより、こういう自分が良いと思ったものを広めたいよな。その方がよほど人の為になるし、私の精神衛生上も良いに違いない。
 そんな事を思っている内に、音楽が鳴り止み、拍手がそれにとって代わる。おひねりを集める帽子が観客の間で回されていた。結構、中身も入っているみたい。
 笑顔をみせて散っていく観客の間から、ようやくリト兄さんの姿が見えた。
「リトさあん」
 手を振ってみたが、気付いて貰えなかったようだ。近付いて、漸くグレリオくんの顔みて、ああ、という顔をした。でも、私には気付いてないみたいだ。
「盛況のようですね」
「お陰様で、皆、喜んでいますよ」
 グレリオくんと会話するその裾を少し引っ張ってみた。
「リトさん」
 それで漸く、私を見て首を傾げ、
「ひょっとして……キャスか?」
 頷けば目を丸くして、次に破顔した。

 予告なしの訪問だったが、姐さんたちはとても喜んでくれた。
「こりゃあ、本当に口説いておけば良かったなぁ」、とリト兄さんが言えば、「なんか良い匂いがする」、と姐さんは私をハグしながら、くんくん犬のように私の匂いを嗅いだ。
「やあめぇてぇっ!」
 笑いながら抵抗すると、やっと離してくれた。
「この間は、ある商人のお屋敷でパーティやるからって余興に呼ばれたりさ、あと、ガルアの街で小屋掛けしてる人からも、あっち行く事あったら是非、寄ってくれって。小屋での興行もさせてくれるって言うんだ。それもこれも、みんなキャスのお陰だよ」
「姐さん達の実力あっての事だよ。でも、良かったぁ」
 嬉しそうなタチアナ姐さんの笑顔は、薄暗い幌馬車の中にあっても太陽のように眩しい。
「なに言ってんの。こうして都の中に入れて貰えなけりゃ、こんな話もなかったんだからさ。あんたに引き会わせてくれた神様に感謝しなきゃね。ああ、でもほんと、見違えた。あの薄汚かった娘が、どこのお嬢様かと思っちゃったよ」
「レティが用意してくれたの。レティはこういう事が上手だから」
「へえ、そうなんだ」
「上手ってほどじゃないですよ。ただ、好きなだけです」
 私の隣に座ったレティは姐さんを前にして謙遜しながら、にこにことした笑顔を見せている。
 思った通り、レティは素直で柔軟な思考の持ち主だ。姐さんに紹介した時も気後れすることなく、私の友達であれば、自分の友達だ、と言って受入れてくれた。よくは知らないが、貴族のお嬢様でそういう人も珍しいのではないかと思う。
「じゃあ、私も衣装のことで相談乗ってもらおうかな」
 と姐さんが言えば、「なにかしら」、と身を乗り出す。きっと、世話焼きの一面もあっての事だろう。 自分の好きな人達が仲良くしてくれている様子は、見ていて嬉しい。
「……ああ、だったら、ここをこうして留めてみたらいかがでしょうか。そうしたら、動きやすさを損なわず、露出も少なくすむんじゃないでしょうか」
「ああ、なるほどねぇ」
「こっちの方ではこういう形のドレスはないの? 例えば、前を短くして逆にドレープを多くして……」
 と、私も話に加わる。
「それは素敵だわ。華やかで見栄えもしますし」
「ただ、裾捌きが難しそうだね。踊っている最中に踏みつけそう」
「多少は気をつけなきゃいけないかもしれないけれど、大丈夫じゃないかな、姐さんなら」
 女ばかりでの他愛ないお喋りはとても久し振りで、笑いもしたし、ちょっとはしゃぎ過ぎてしまったかもしれない。けれど、本当に楽しかった。

 でも、やはり、現実は厳しくて。

 次の日、エスクラシオ殿下の呼出しを受けて訪れた執務室。
「一ヶ月後の出兵が決まった。まずは、グスカを落とす。そして、ファーデルシアだ」
 ついに、グスカにも黒髪の巫女の存在に気付かれてしまった気配が感じられるそうだ。まだ、はっきりとした動きにはなっていないが、再びファーデルシアの侵略を開始するのも時間の問題だろう、と言う。
 それに対し、ランデルバイアは先んじて動き、グスカの目をファーデルシアより引き離しつつ、同時にファーデルシアには巫女の引き渡しの要求を続ける、とエスクラシオ殿下は全身を硬直させる私に言った。
「以前、こちらから流した噂はグスカ国内に徐々に広まり、効果をみせ始めている。おまえはそれらの効果をより強め、また、侵攻作戦に伴う具体案を早急に示せ。承認でき次第、実行に移す」
「畏まりました」
 口の中に錆の味を思い出しながら、頭を垂れる。
 冷えた水を見せつけられながら、より干からびる思いを抱く。
 圧倒的な力強さを見せつける黒き影を前に、逃れる術は私にはない。

 その時、私の耳にはまだ届いていなかった、兵士らの間で流れる噂。

 『一見、こどものような様でありながら、人心を惑わす力を持つ。炎を呼び出し、時には蛇をも食らうそうだ。下手に手を出そうものならば、その身ならず、一族ともども永遠の呪いを受ける事になるぞ』

 それは、『白髪の魔女』の名と共に語られる。
 のちにそれが私のふたつ名として定着されようとは、その時の私自身、思いもよらずにいた。



『魔女の作り方と飼い猫生活』

  END





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