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 シャリアさんの牧場を出て四日。
 私達は、漸くグスカ軍本隊、後方に追いついた。そして、夜になるのを待って、中佐の幼なじみである准尉に近付く事にした。
 移動中の小休止の合間に近付く。
 とは言え、大勢いる兵士の中、探すのも大変だ。
 というわけで、ここでも中佐の軍服が役に立った。

「ゼグス准尉はどこにいる」
「はっ、あちらに」
 まず、グスカの軍人に扮したランディさんが単身、会いに行く。
「ゼグスであります」
 見かけない顔の騎士の突然の訪れにゼグス准尉は警戒心を抱きつつも答える。
 それに対してランディさんは、
「閣下より先日、支給されたひげ剃りクリームについて、サンカラーの物はないかとの問合せだ」
「サンカラーのひげ剃りクリームでありますか……」
 『ひげ剃りクリーム』と『サンカラー』という単語が、彼等、仲間内で通じる符牒のようなものらしい。昔、こどもの頃にやった悪戯に由来しているそうだ。
「閣下はいたく不自由を感じておられる。急ぎ用意して貰うか、或いは無理である旨を、直接、閣下に伝えてくれ」
 ランディさんは身の証のために、剣の柄の先に結びつけた、中佐から預かったミサンガのような紐飾りを示して見せる。これも仲間内の印になるらしい。
「ああ、では、私から御説明いたしましょう。閣下はどちらに」
「こちらだ。ついてこい」
 そうして、ふたりはそれとなく隊列を離れ、近くの小陰に身をひそめた私達の所まで来るという寸法だ。

「スレイヴ!」
 ランディさんに連れて来られたゼグスさんは、小声ながらに叫び中佐の下へ駆け寄った。
「心配したぞ。逃げたんじゃなかったのか? どうしてこんな所へ。なんだ、その女みたいなカツラは。似合わねぇな」
「ラル達はどうしている。無事か」
「詳しい事は分からんが、隊ごと最前線に出されたみたいだ」
「では、リーフエルグは」
「ボズライア将軍が入ったって聞いた」
「ノルト将軍じゃないのか」
「自分にやらせてくれって、陛下に直訴したんだとよ。功名心ってやつだな。ノルト将軍はマジュラス待機でえらくおかんむりって話だ」
「最低の状況だな」
 中佐は溜息を吐いて言った。
 『最悪』ではなく、『最低』?
「前線の指揮は」
「ザンバッハ中将とドゥーア少将、ガンゼルイア中将が、それぞれ左翼、中央、右翼だとさ」
「その配置って事は、ボズライアの為の花道作りって事か。中央を囮にして数を減らす気でいるな。すると、ラル達は中央か」
「だろうな。死神の首をとるって息巻いているそうだぜ、肉切り将軍閣下は。ったく、兵士の命をなんだと思ってやがる。たまんねぇぜ」
 肉切り将軍? どういうネーミングセンスだ。というより、会話自体がよく分からない。
 ゼグスさんはそばかすが多く浮き出る童顔が特徴というだけで、体格としては目立ったところのない人物だった。赤茶色の髪は漫画のタンタンのように短く刈り揃え、堅くはないが真面目そうな普通の人だ。
うん、普通。ここで会った男達の中でいちばん普通かもしれない。きょろきょろとよく動く青い瞳は、落ち着きがない性格なのか、それとも警戒心の表れか。
「それで、どうしてここにいるんだ。この人達は」
「協力者だ。ラル達を助ける」
「バッ……そんな事できるわけないだろう! 敵さんはすぐそこまで来てんだぞっ!」
「シッ! 大声を出すな」
 鋭く注意を促す中佐に、ゼグスさんは、はっ、として息をひそめる。
「開戦はいつごろとみられているんだ」
「そうだな……聞くところによれば、あちらさんは既に国境近くにいるらしいから」
「ヨルガはどうするんだ」
「さあ、カラスタスまでの途中、適当に形だけの追い討ちをかけさせる程度じゃないか? おそらく、明後日には間違いなく始まるだろう」
「そうか。早ければ陽が上って直ぐか、遅くとも昼までには始まるか」
 ゼクスさんの言葉に中佐は思慮深いようすで、うん、とひとつ頷くと言った。
「カイル、いや、ゼグス准尉、私はこれからラルの所へ行く。その手引きをしてくれ。そして、上には知られないように、兵士とおまえの信頼出来る者達に伝えてくれ。戦が始まると同時に逃げろ、と。ランデルバイアは、手向かいしなければ見逃すと言っている。生きて帰りたければ逃げろ、と出来るだけ多くの者に伝えろ。あと、ハスレイド大尉とグランバディア少佐にこの手紙を。同じ内容が書かれている」
 みるみる内にゼクスさんの表情が引き攣った。
「そんな! そんな事できるわけないだろっ! そんな事をすれば、グスカが乗取られちまう!」
「ラル達をこんな所で死なせるわけにはいかない」
「だからって!」
 夜の森の暗闇の中、葉擦れに似た声の会話が続く。樹木の隙間を抜ける月明りが照らすゼグスさんの蒼白い顔に向かって中佐は言った。
「カイル、私はこの国をランデルバイアに預けてもかまわないと思っている」
「なにを馬鹿言って、」
「どの道、この国はもう終っている。腐敗した貴族共は己の益を増やし、利をあげる為ばかりに躍起になって民から税を毟り取り、多くの兵士達の命を犠牲にしようとしている。ここでランデルバイアを退けたところで、次は直ぐにファーデルシアでの戦だ。命が幾つあっても足りない。この状況をなんとかするにしても、今の私にはラル達を救うだけで手一杯だ」
「それはそうかもしれないが、無茶だ!」
「もし、ランデルバイアが更にろくでもない真似をしようとすれば、その時こそ念入りに準備を整えた上で立ち上がれば良い。その時の為にも今、ここで犠牲を出すわけにはいかない。だから、この戦は避ける。その代わり、ランデルバイアにはこの国の大掃除をして貰う」
 嚥下するゼグスさんを見る中佐の瞳が一層、鋭さを増した。
「そうは言っても、当のランデルバイアがどう動くかなんて……見逃す保証なんてないだろう」
「保証はある。人質がいるようなものだからな」
 そう言って、私を見た。
「この子が?」
「死神の手の者だ」
 途端、いきり立った足摺りの音が私に迫ろうとした。が、それより早くランディさんが前に立ちはだかる。
「カイル」、と中佐が呼び、ゼグスさんを抱き締めるように止めた。
「なんで!」、と殺気立ったゼグスさんの叫びに似た声が答えた。
「おまえ、いつから通じていた!? 一年前の事を忘れたわけじゃないだろう!? キリヤもクルトもケルディオスも、皆、ランデルバイアの奴等に殺されたんだぞっ! 皆、気の良い連中だった、一緒に戦った仲間だった、そいつらを裏切る気か!?」
「忘れはしないさ……忘れる筈がない」
 苦しそうな、搾り出す声が答えた。
「だが、それをいつまで続ける? 上の言いなりになって戦い、殺し殺され、いつまで続ければ気が済むんだ? 自分が殺されるまでか? 私はもう嫌だ……そんな事はもう嫌なんだ……大した理由もなく、いや、理由があろうと仲間を失うのは」
「スレイヴ……」
「頼む、堪えてくれ。ラルやギャスパー達を助ける為にも」
 分かった、と剣の柄にかかっていた手がゆっくりと離された。
「分かったよ」
 そう頷いて、ゼグスさんは中佐の肩を二度、軽く叩いた。
 同時に、やっと、私のそれまで強ばっていた身体の力もゆるゆると脱け落ちていった。
 ランディさんの肩も、ほっとした様に下がるのが分かった。
「それで、具体的にどうするんだ」
 ゼグスさんの問いに、中佐は身体を離して静かに答えた。
「私は前線に行って、直接、隊の指揮を執る。その間、彼女とひとりはおまえの方で匿ってくれ。そして、ひとりはこちらの状況を伝える使者としてランデルバイア側へ送る」
 それでいいな、と中佐が私を見た。
「いいえ」
 そこで初めて、私は口を開いた。
「私も一緒に前へ出ます。出来るだけ多くの兵に逃げるよう促します」
「ウサギちゃん!」
 ランディさんが叫んだ。




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