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 それから三日間、エスクラシオ殿下は寝たり起きたりの生活を続けた。
 絶対安静。
 私はすっかり殿下の看護要員として定着して、やっぱり、それに付合って寝たり起きたり。非戦闘員だから仕方ない面もあるが、不規則な生活がすっかり身についてしまった。ちっ!
 私が寝ている間は、ランディさんやグレリオくんが代わってついていてくれるが、彼等も普通の男性であるらしく、細々とした面で気が利かないというのか……いくら命令されたからって、酒を与えるな!
「おまえは医者並みに口喧しい。一杯ぐらい良いだろう」
 ベッドの中から恨みがましい目付きで、そう文句を言われた。
 ……アル中か、あんたは。
「いつまでも寝て暮したいんだったら止めやしませんが、でも、道連れにされるのはごめんです。侍女を呼ぶか雇うかして下さい」
「それも面倒だ」
「だったら、お医者さまの指示に従う事です。ほら、薬を飲んで下さい」
 途端に、眉が顰められた。
 エスクラシオ殿下は、この飲み薬が苦手らしい。
 多分、私が一度、飲んだ事のあるものと同じものだと思うのだが、漢方の生薬を思い出させる匂いがする。多分、効くだろうなあと思われるのだが、滅法、苦いし不味い。
 それを、文句は言わないまでも、見るからに嫌そうに飲んでいる殿下の様子というのは、なんというのか……面白い。普段、あまり表情を変えない人間が、こうもあからさまな表情を浮かべるというのは、見ていて新鮮だ。薬湯の作り方を教えて貰って、腹が立ったときになにかにすり替えて飲ませてやるといいかもしれない。そんな悪戯心さえ刺激される。
 そんなこんなではあるが、元々、体力があるだけあって、傷の治りは早いようだ。熱も下がった。上半身を起こした姿勢を長時間続けても、苦にはなっていないようだ。明日にはベッドから出て、無理しない程度にならば、普段通りの生活が許されるだろう。
「都の様子はどうだ」
「ふれ書きを出しても、今ひとつ、民の方は呑み込めていないみたいですね。一応、新しい王が立ってグスカは残るという点は理解して、安心はしているようです」
「だろうな」
「ただ、治安の方が、やはり、悪くなっていますね。貴族の邸を中心に、盗みやら略奪やら。解放されたガーネリア人奴隷の中にも、これまでの恨みを晴らそうって者もいますし。ロウジエ中佐ら生き残ったグスカ兵が治安維持に協力してくれているので暴動までには発展していませんが、南の鉱山周辺の地区では緊張状態が続いています」
「スレイヴ・ワイアット・ロウジエ、か」
 溜息を吐くようにその名が呼ばれた。
「なにか」
「いや、ただ、あの男がおまえと出会い生き残った事も、天の配剤かと感じいるだけだ」
「ただの偶然ですよ」
 大袈裟すぎる。神様なんぞいるわけがない。いたとしても、関係あるもんか。
 殿下は、そうか、と頷く。
「ともあれ、新体制が整うまでは、ある程度の混乱が起きるのは致し方あるまい。旧体制の膿を出しきるだけの時は必要だろう」
「そういう事もあるかもしれませんね。でも、今はなんにせよ、アストリアスさん達が頑張ってくれていますんで、傷を治すのに専念して下さい」
 と、私が言えば、「寝過ぎては身体がなまる」、とぼやいた。
 そう言いながら、起こしていた上半身をベッドの上に沈めた殿下は私の方をちらり、とみやって、そう言えば、と言った。
「おまえに褒美をやらねばならんな」
「褒美?」
「この戦での功績に対するものだ」
「それは、命と身の安全の保障と引き換えだと思っていましたが」
 タダ飯ぐらいは嫌だから、そのぶん働いたつもりだが。
「それにしても、何も与えぬわけにはいくまい。隠し通路の発見も含めて、それに値するだけの働きはあった。何か欲する事か願い事はあるか」
 欲しいもの。願い事、か。
「与えられるものならば、与えよう」
 最も欲しいのは、自由な生活。でも、それは、瞳の色が変わらない限り不可能な事。
 それ以外で欲しいのは、ルーディ達の無事な姿。願うのは、彼女達がこれから先、戦に巻込まれる事なく、平穏無事な一生を送れる事。でも、それは私自身も力を尽くすべき事だ。
「さあ、今は特には思い付きません」
「ないのか」
「はい」
「欲のないやつだ」
 それには苦笑が洩れた。
 嘗て、日本で働いていた時も上司に同じ事を言われた。『欲がなさ過ぎて心配になる』、とまで。
「訊かれてすぐに欲しい物が思い浮かぶ方が、私には驚きなんですが」
「では、考えておけ。他の者への示しの為にも、何も与えずというわけにはいかない」
「はあ」
 それも、また、鬱陶しい話だ。
 人を不幸にして褒められる。命を奪って、褒美が貰える……納得しづらいものだな。ああ、だから、現実の戦争でも、そこはかとなくゲーム感覚的なところを感じていたのか。
「そう言えば、ひとつお訊ねして宜しいですか」
「なんだ、改まって」
「今回、私の策が効をなさなかったとしても、叱責を受けるものではないと聞きましたが」
「そんな事か」、と鼻先で笑うような答えがあった。
「不確実な策を当てにできるほど戦は甘くはない。確実に勝利できる策をもって、補助的な意味合いで効果を発揮できれば良し。それがなくとも、結果に変わりはなかった。よって、咎める理由にはならない」
 端から敗ける気はなかったって事か。
「でも、経費がそれだけかかるわけですから」
「勝利によって得られる益に比べれば大したものではない。叱責するにも値しない損害だ。だが、今回、おまえの策が功を奏した事で我が方の損失は減り、得られる利益は増した。金銭的なもの以上に、戦死する兵の数が格段に減った。単純に比較できるものではないが、一年前に比べてその数の差は顕著だ。それはおまえの策によるものと見て間違いないだろう。功績として認めるに不足ない」
 ええと……収支の計算でいけば、雑費扱いに出来る程度って事なのか。
「それは分かりましたが、その利益を得る為の策というよりは、私の身の安全、命を優先させて城外に出されたと聞きましたが、それはどうしてですか」
「おまえを守ってやると誓約した」
「いや、でも、そうすると、割りに合わないじゃないですか。もし、策が当らなかった場合、役立たずに対して無駄な経費をかけているって事になるじゃないですか」
 リスクを支払っても置いておくだけの価値を私のどこに見出したのか。
「……おまえが何を問題にしているのか、分からんな」
 いや、だって。
「成功しようが失敗しようが、おまえはそれだけの労力と出来うる限りの努力を払い、私の期待に応えた。私は誓約に従って、出来うる限りの方法でおまえの身の安全を計った。それだけの事だ」
 ああ、まあ、そう言われればそうかもしれないけれど。
「おまえの存在によって、かかる損害があったとしても、それは、おまえを抱えた私に見る目がなかったというだけの話だ」
「でも、私が死んだ方が、そちらにとっては都合が良いんじゃないですか。 トラブルの元がいなくなるわけですし」
 それには、あからさまに眉が顰められた。
「おまえは死にたいのか」
「……いいえ」
「であれば、問題なかろう。城を出る前に言った事を覚えているか」
「はい」
 必ず生きてこの城に戻れ、と。
「ならば、良い。私に誓いを破らせるような真似はするな」
 むっつりとした顔で、呟く。
 ご機嫌を損ねてしまったようだ。そうか、誓いの言葉ってのは、この人にとっては重いもんなんだな。何をもよりも優先させるほどに。
「少し休む」
 青い瞳が閉じられた。
 でもね、とその寝顔を見ながら思う。
 私は、何を優先すべきなのか見極めなきゃならない。嫌でも、結論を出さなきゃいけない。
 そう分かっているが、溜息も出る。

 今にも雨の降りそうな曇天が、私の心の内に広がっている。




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