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 人に見付からないようにとあちこちウロウロとしたせいで、随分と遠回りをしてしまったらしい。階段も上ったり、下りたり。中央棟に着いた時には、脇腹がきりきりと痛み、前屈みになってぜいぜいと息を吐いていた。私の靴下は、すっかり汚れて赤と黒の斑の柄がついていた。
 着いたのは、中二階と呼ぶのかの場所で、大階段のある中央ホールを下に見下す通路だった。天井中央からは、大きなシャンデリアが下がっている。
 手すり越しに下を見下せば、数えきれないほどの兵や騎士の死体が無造作に転がっていた。階段途中も同様で、豪奢な金の手すりは血で汚れ、白い大理石の床はところどころ赤く染まっていた。
 私はふらふらになりながら、音のする方へと向かった。大階段の前から反対方向の短い階段を上った。
 床には赤い絨毯が敷かれ、壁や床は全て大理石で、上部に金で施された装飾が帯となって連なっている。女の子が喜びそうな、如何にも城の顔らしい雰囲気だ。ただし、死体が転がっていなければ、だが。
 たっぷりと血の染込んだ部分を踏んでしまって、靴下が濡れる感触があった。
 先に進むと、ファーデルシアの騎士の遺体を運ぶランデルバイアの騎士達の姿があった。二人で頭と足を持ち、運んでいる。
 私を見た途端、ぎょっ、とした表情を浮かべて、一瞬、身構える雰囲気があったが、直ぐに私が誰か分かったみたいだ。遺体を放り出す事なく、私の為に道を開けた。
「殿下はどちらに」
「この先の広間です」
「もう、終ったの」
「はい。主だった者達は討取り、今、王子も取り押さえたところです」
「そう。王子はまだ生きてるのね」
「ああ、はい。ファーデルシア王は既に亡くなっていたみたいですが」
「そう」
 ならば、良い。
 私はそのまま真直ぐ、広間へと向かった。途中、落ちていた剣を見付けて拾った。柄を握り、切先を引き摺るようにして運んだ。その重さが心地よいほどだった。
 向かう方向、観音開きの大きな扉は壊れて開かれていた。斧で割られたらしい、木のささくれが剥き出ている。
「王位を継ぐ事のない貴様になにが分かる!」
 ヒステリックな男の声が聞こえてきた。
「力なき小国の王となる事が、どれほどの重圧か分かるまい! 常に敵国の脅威に曝され、強国には頭を下げねばならぬ! その為に苦労して収穫し得たものも端から奪われ、己の手にはさほども残らず力を得る事はない! そうしていつまで経っても、なにも変わらないのだ! それでも、国を守れと、民を守れと、威厳を保てと囀り声ばかりがやかましく響く! その中で、力を欲してなにが悪い!」
 あの野郎……!
「分からぬな。それで忠義を尽くす騎士や兵を無駄死にさせる言い訳にはなるまい」
 決して大声ではないのに、低く響くエスクラシオ殿下の声が答えた。
「では、国が蹂躙されるのを黙って見ていろというのか! 常に周辺国の顔色を伺い、攻める国があれば、抵抗する事なく引き渡せと!? 言われるがままに国を明け渡し、滅ぼされ、搾取され、民は奴隷や家畜の様に扱われながらも黙っていろと!? 嘗てのガーネリアの様に! それこそ、大国の驕りというものだよ! これまで我が国がどれだけの犠牲を払ってきたと思っている!? 民は疲弊し、物資も底が見え始めている! 王となるべき兄はグスカに殺され、嫌がる妹をソメリアに人質に差し出した! 王は腑抜けと化し廃人と変わらぬ! それでも、まだ渡せと要求される! それで、一体、どうしろと!? 自国の不満の声をどう抑える!? 形ばかりの王に何ができる!? どうも出来やしない! そんな存在に意味はないだろう!?」
「こうなる前に、我々に巫女を引き渡せば良かったのだ。何処にいる」
「訊かれて素直に答えるとでも!? 言うものか! こうなってしまえば、彼女こそ希望そのものだ! この身が朽ち果てようとも、彼女の身に宿った命が我らファーデルシア王家の血を伝える! その子が育った暁には、民の先頭に立ってまず真っ先にランデルバイアに向けて、復讐の狼煙をあげようぞ! ランデルバイアの次はソメリアか、いや、ダルバイヤが先か? そして、いずれ我が王家の正当なる後継者として、大陸全土を支配する!」
 上ずった嘲笑が、広間全体に広がっていった。
 耳障りな笑い声。ブタのようだ。いや、一緒にしては、ブタが可哀想だろう。

 やかましい、やかましい、やかましい、やかましい! うっせえわ! ケツ顎野郎! 黙れっ!!

 部屋の入り口に立って見えた光景は、玉座の正面で床に両ひざを付き、二人のランデルバイアの騎士に取り押さえられる帷子姿のジェシュリア王子。そして、その前に立つ黒い甲冑を身に着けたエスクラシオ殿下。
 そのふたりを玉座に座った、年老いたファーデルシア王が見ている。王冠を被り、金糸や銀糸で縫い取られた紺色の豪奢な装束の真ん中を剣で刺し貫かれ、白く濁った瞳で目の前の出来事を見下している。
 その彼等を遠巻きに取り巻く、甲冑姿のランデルバイアの騎士。
 床には、ファーデルシアの騎士の死体が何体か転がっている。
 すべて計算されつくしたかのように、構図が決まっている。
 まるで、コスチュームプレイの映画か戯曲のようだ。レンブラントの絵画のようでもある。
 重々しく、ドラマチックで、それでいて、何処か滑稽で空々しい。
 それは悲劇か……否、喜劇ですらない。茶番劇。
「キャス?」
 呼んだのはアストリアスさんか。でも、耳を素通りしていった。
 目指す相手に向かって真直ぐ歩いていく。
 声だけでなく、姿さえも醜い。長い金髪を振り乱し、歪んだ顔で内なる狂気を露にする表情は畜生にも劣る。底にある下劣さがさらけ出されている。なにが、王子だ! なにが、貴族だ!!
 気持ちが、身体速度を加速させる。
 柄を握る手を絞る。腰を低くし、重心を下に。全体重を剣に乗せるように筋肉を捻り上げて、

 ブッ殺してやる!!

 私はジェシュリア王子に駆け寄ると、その脳天をかち割る為に剣を振り上げた。




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