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 眩暈がする。
 頭がぐらぐらと揺れる。
 全身がじっとりと汗に濡れて気持ちが悪い。
 なのに、暑いわけじゃなく、芯から冷えきっていて寒い。
 ざわざわと肌が波打つ。
 がたがたと身体が震え、悪い風邪にかかってしまったようだった。
 寒い。寒いよう……でも、頭蓋骨の中だけ種火を宿している。
 痛いばかりに、熱い。

 ランディさんは私を抱えて階段を上ると、同じ棟にあるひとつの部屋に入った。窓から、上った陽が明るく室内を照らしていた。
 長椅子のひとつに、私は下ろされた。
「これを飲んで」
 部屋に置いてあったボトルからお酒を注いだグラスを手渡された。
 手が震えて取り落としそうになったのを、両手で抱えた。琥珀の液体が揺れて、少し手にかかった。
 ランディさんは私の前にしゃがむと、顔にかかっていた前髪を指先で直した。
「私は戻らなければならないけれど、ここにいて。決して、部屋から出ちゃ駄目だよ。直ぐに終るから。終ったら、安全な場所に連れていってあげるから、大人しく待っているんだよ。何かあれば、外にいる者に言いなさい」
 小さなこどもに言いきかせるように言った。そして、頷くことのない私に少しだけ微笑んで、頭の上で手を軽く二回跳ねさせると、部屋を出ていった。
 ひとり取り残された部屋で、私はグラスを抱えて震えていた。
『王子が来て、酷く鞭で殴るんだ。俺も殺されちまうよう』
 何も考えられず、ただ、先ほど耳にした男の言葉が頭の中でぐるぐると巡っていた。頭がおかしくなりそうだ。
 王子。ジェシュリア王子。ファーデルシア国第一王子にして、ただひとりの王位継承者。

 あの男が、ルーディを殺した?

 ……そうはっきりと形をなした途端、頭をハンマーで殴られたような気がした。
 体内から炎が噴き出したかのように感じた。
 慌てて手に持っていた酒を煽った。味はなかったが、一気に食道に流れ込んだ刺激に噎せた。
 ちくしょう……畜生、畜生、畜生ッ! あの外道ッ!

 あの野郎!

 頭の中で激しい渦が巻いている。
 心臓が全身を揺らすぐらいに、大きく鼓動を続けている。
 その音しか聞こえない。
 息が苦しい。
 口を大きく開けても呼吸は浅く、魚みたいにぱくぱくと動かす。
 長椅子に蹲り、布張りの表面を爪で引っ掻いた。拳で殴りつけた。何度も、何度も。
 あの顔を思い出すだけで、引き裂いてやりたかった。ズタズタにして地に這い蹲らせ、この世で最も惨めな思いを味あわせてやりたい!

 あんまりだ、あんまりだ! 何故、ルーディがあんな死に方をしなきゃならない!? あの娘が一体、何をしたって言うんだ!!
 
 爪を立てて椅子の表面を掻き毟るが、滑るばかり。
 殴りつけても、拳は跳ね返される。

 何故!? どうして!?

 その答えはない。いくら求めようと、答える者など何処にもいなかった。
 この気持ちをどうすれば良いのか分からなかった。受け皿もないのに尽きることなく湧いて出て、皮膚を焼き焦がしている。いや、いっそ全てを燃やしてくれれば良いのだが、表面上は何の変化もない。
 こんなに熱いのに。こんなに、苦しいのに。燃やし尽くせよ! 消し炭になるまで!
 体内に燃え盛る炎を感じるのに、何故、表れて見えないのか。
 どうしようもなく、私は椅子に突っ伏し蹲った。
 ふ、と鳴動を感じた。耳の奥に響く音だ。不可聴の音が振動となって伝わってくるような、空気のうねり。
 外からだ。
 ふらふらしながら窓に近付いたが、外を見てもなにも変わった様子はない。樹木の緑の葉が風に揺れているばかりだ。そのまま、扉の方へ移動して開けてみた。
 隙間を開けて覗いて見ると、先ほど地下からついてきたのだろう騎士が二人、廊下に立っていた。こちらに背を向けて、窓の外を覗いていた。
 慌てている様子はない。逆に、リラックスした雰囲気があった。顔を見合わせて話しては、微笑みさえ浮かべている。

 ――第二陣の到着は
 ――もう間もなくかと
 
 ファーデルシアに留めを刺す部隊が到着したらしい。
 胸焼けを感じた。
 また、私の知らないところで、終らせるつもりか……
 私は騎士達がこちらに気付いていない事を確認して履いていた靴を脱ぐと、そっ、と廊下に身体を滑り出させて、そのまま廊下の反対側へと音をたてないようにして移動した。角を曲がり、誰も追ってきていないのを確かめてから、走り始めた。



 石の床の冷たさが、靴下を通しても伝わった。
 硬い振動に、痛みを感じた。
 胸がつかえる苦しさが、ずっと続いている。
 跳ね上がる息苦しさに、時々、立ち止まっては休むが、すぐに何かに突き動かされて走る、を繰返す。
 道は分からなかったが、目指す場所は分かっていた。
 中央棟。ファーデルシア王城の中心を為す、最も高い尖頭を有する建物へ。
 早く。早く!
 終らない内に。
 あの男が、死んでしまう前に。生きている内に。
 芯がぼやけた頭で、ただ、それだけを思って走った。




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