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 セルリア大陸は、三角形の東セルリア大陸と、歪んだ台形の西セルリア大陸のふたつの大陸のちょうど真ん中を細い半島で結んだ、すこし変わった形をしている。
 地図で見ると、不格好なやじろべえみたいにも見える。
 大陸には、全部で十二の大小さまざまな国家が存在している。
 人間以外にも、様々な見た目をした種族が暮らしている。外見の種類は、爬虫類以外にも齧歯類系の獣人族、鳥人族なんてものもいる。
 国の形態をなしていない少数民族も存在する。巨人族とか、こびと族、ドワーフ族などがそうだ。
 人と人以外の混血を含める、そうでない種族の人口比率は、およそ六対四。
 人の数は、決して少なくはない。
 だが、国の支配率の数となると、四対六に変わる。つまり、大陸の内、五カ国が人の王を戴き、七カ国がそうではない種族の王を戴く。
 どうして異なるかと言えば、人は他種族に比べて身体能力に劣るからだ。違う言い方をすれば、個体における防御力の弱さがあげられる。身体的に最も脆い種族と言っても過言ではない。
 鋭い爪や牙を持たず、皮膚も薄く破れやすい。逃げる為の強靱な足腰や、翼などももたない。そして、成長が遅いわりに短命である。
 例えば、一対一で他種族に人が殴られた場合、たいていは殴り返す間もなく失神するか、最悪は命を落とす結果になる。
 であれば、とっくに人は滅んでいてもおかしくないのだが、そういうわけでもない。
 弱い者であれば、数を増やして群れを作るのは、自然の摂理だ。数によって個体の弱点を補う。その他にも、人には、他種族が持ちえない技がある。
 そのひとつが、魔法。個々によって能力差はあるが、人の身にのみ魔力は宿る。
 妖精族も人以上に魔力を持つと言われたが、いまは薄くその血を継ぐ者だけが僅かに残されているのみ。人だけが持ちえる力と言ってもよいだろう。
 何故、人族だけが、魔力を持ち得るのかはわからない。
 しかし、鋭い爪や牙をもたない者にとって、そのハンデを補うに充分なものにはなっている。
 やれる事には限界があるが、それでも、身を守ったり、攻撃も可能。それだけでなく、日々の生活のちょっとした事にも使われる。
 直接、何もないところに火や水を発生させたりも出来る。
 魔法を貯めておける魔硝石《ましょうせき》なども使って、長期間にわたって持続する防御壁や灯をともしておくこともできる。
 病や怪我の治癒にも使われる。夜の街灯や、家々を明るく照らすランプ代わりの灯にも使われている。
 魔法に、本来持つ手先の器用さと知恵を加えることで、さらなる効果をあげている。
 お陰で、他国が暴れる事があったとしても、なんとかやっていけていたりもする。
 人の王が立つ、ここマジェストリアもそのひとつ。
 西セルリア大陸の北東よりちょっと下辺りにある、内海に面した小国だ。
 気候は一年を通して穏やかで、比較的、過しやすくある。
 なにもなければ、長閑な良い国だ。
 ここのところは、やけに騒々しいが。
 主に騒動が起きる中心は、国の要ともなる王宮であったりするところが、また問題。
 知ろうが知るまいが、大なり小なりの諍いが常に起きている状態だ。
 そして、ここでも対決する一組。
 所謂、謁見室と呼ばれる広間でのこと。お馴染の一戦が始まろうとしていた。


 ルーファスは、すべてを石に変えると言われるひと睨みを、一段、高い位置にある椅子の主に向けた。
 椅子と言ってもそれは金箔とビロードで装飾された玉座であるが、ルーファスにとっては、いずれは自分が座るものであり、そこら辺にある椅子と変わらない価値のものだ。
 説明するまでもなく、玉座に座る主とはこの国の第四十二代国王――ドレイファス・エンタリオ・ビステリア・ド・マジェストリア国王陛下なのだが、やはり、ルーファスにとっては、どこの家庭とも変わらないただの父親でしかない。
 いや、オヤジと言い直したほうがらしいかもしれない。しかも、枕詞として『クソッタレ』がつく。
 この親子、実は、見た目も性格も正反対と言ってよいほど、似たところがない。
 ドレイファス王は見るからに温厚で、柔和な体つきをしている。
 有体にいえば、メタボリックシンドロームの見本のまんま。朗らかな表情なども含め、ダイエット関連商品の広告にうってつけな体形だ。
 体形もそうだが、顔つきなどについても、こうして見比べても辛うじて髪色だけが同じなだけだ。王の方は、部分的に色を変えつつあるが。
 ルーファスは、顔だけを見れば母親似だ。
 本人に限らず、それを幸運だと思っている者は多い。王もそう悪い作りではないのだが、締まり具合がちがうと言うのか、やはり、王妃の方が細部に渡って出来がよい。
 実をいえば、陰では、王妃の不貞を疑う声もあったりする。が、声高に言うものはいない。
 理由は、言わずもがな。
 それは別にしても、ルーファスにとっては、父親が王という身分であるということは、あまり関係ない。
 その証拠に、正装を常とする謁見室にて、黒シャツに同色のズボンにブーツと、いたって身軽な服装をしている。それもきっちりと着込んだものではなく、シャツの胸元近くまでがはだけ、ブーツも普段履きの、見た目よりも機能性を重視したものだ。先端と踵に、すこし汚れもこびりついている。
 あえて一番それらしいところは、と言えば、腰に帯びた剣ぐらいだろうか。  黒い鞘には銀を流し込んだ細かい模様が施され、抜けば、国いちばんの名匠が腕によりをかけた抜群の切れ味。一番ではないが、常に手放すことのない王子の愛剣のうちの一振。
 しかし、そうであっても、礼儀作法がなっていないと言うべき姿だ。
 それが、この王子の『らしい』ところではあるのだが。
「おまえの言うこともわかるよ。わかるけれどねえ、」
 と、そんな息子を前にしてドレイファス王は石になるどころか、欠伸をしかねない間延びした声で言った。
 この辺はやはり、流石、親だけはある。単に鈍いだけとの噂もあるが、まったく頓着する様子もない。
 周囲に控える家臣たちは、すでに王子の眼力の前に石化して、微動だにしない状態だ。
「だって、しょうがないじゃないか。どうしても、おまえの嫁になりたいって言っているんだから。嫁にしてくれなければ、魔硝石をいまの十倍の値段に引き上げて、しかも、輸出量を半分に減らすとか言ってきてんだから。そんなことされたら、国が潰れちゃうよ。うちはそんな裕福じゃないんだし、破産するか、どこかの国に攻め込まれて滅びるかしかないでしょ。そんなことになったら、民たちが困るじゃない。おまえだって身を固めるには遅いくらいの年なんだし、うちみたいな国でも嫁に来たいって言ってくれてるんだから、ありがたく頂いておくのが筋ってもんじゃないかい」
 魔硝石は、他の石になく魔力を溜め込んだ石だ。石自体になにか起きるということはないが、魔法の媒介として、日常に便利に使用されることが多い。
 簡単に言えば、魔力の電池のようなものだ。灯をともすのに使われたり、竃の火を点けたり、井戸の水を汲み上げるのにも、また、移動手段としても使われる。
 一定期間を過ぎれば交換は必要だが、長時間発動が必要な魔法には便利なものだ。
 しかし、加工するにも難しいという欠点がある。
 マジェストリアは、この石の加工に優れた技術を持つ国であり、シャスマール国は、大陸でも魔硝石を数多く産出する国でもある。マジェストリアも、国内需要のおおよそ七割をその輸入に頼っている。その価格が倍となり、輸出量を減らされるとなれば、死活問題だ。国としての危機でもある。
 ほう、と低い声と共に、黒い瞳がさらに眇められた。
「それで、こんなものを作ったと?」
 突き出されたのは、一枚の紙切れ。
 その一番上に、『招待状』とひときわ大きく書かれている。
 その下に、ルーファス・エルネスト・サルバントス・ド・マジェストリア、と、レディン・クリスティアナ・ローレシア・ド・シャスマール、の名が連ねてある。そして、その更に下には、婚約披露の宴席が催される旨の内容が、勿体ぶった言い回しを使いながらも簡潔に書かれていた。
 開催日は、一ヶ月後。差し出し日付は、昨日。
 魔法で送られたそれは、到着も、あっ、という間。各国の代表は、すでに中身に眼を通してしまっているに違いない。
「あー、もう、見付かっちゃったかあ。当日まで隠しておくつもりだったんだけれどなあ」
 てへっ、と国王は髭面の顔をかしげて、少女のごとく舌先を出すように笑ってみせた。
 本人としては、精一杯、かわいくしたつもりなのだろうが、いい年齢をした男にそんな表情をされて好感を抱くものなど、皆無に等しいだろう。まともな者であれば、引くか怒るかのどちらかだ。
 身内ともなれば、特に反応に容赦はない。現に、目の前に立つ息子のこめかみには、くっきりと青筋が浮き上がっていた。
「貴様」、と更にトーンダウンした声が、地を這う不気味さで呟かれる。
 次の瞬間、手にした招待状はビリビリに引き裂かれ、宙を舞った。
 あああああああ、と国王が惜しむように呻いた。
「姑息な真似しやがって!」
「だって、言えば、反対するでしょう」
「当り前だッ!」
 床に落ちたクズと化した紙切れを、一歩まえに進めた靴の底で、ぐい、と踏み躙った。
「たかが、魔硝石がために人としての誇りも、息子も平気で売るというわけか! さすが、一国の王ともなると、考え方も価値観も人と違うとみえる」
「誇りだけじゃ生きていけないでしょう。魔硝石がなかったら、火ひとつ起こすにも大変だよ? 夜なんか暗くなるし、戦になれば、敵の攻撃を防ぎきれなかったりするでしょう。それに、こういう取り引きに応じるのも王子の務めだよ。ほら、王子が応じる、なんちゃって!」
 冷たい風が、どこからか吹き込んだようだ。
 びしっ、と石になった家臣団からひびの入る硬い音が響いた。
 ちゃきっ、とルーファスの腰で、鍔が小気味よく鳴った。
「今すぐ、剣の錆になりたいようですな」
 獣の唸り声に似た声が言った。
 躊躇いもなく抜き放たれた剣は、脅すだけでは飽き足りないと光を放つ。
 それには、さすがの国王も蒼ざめた。慌てて、両手で息子を制した。
「まあった、待った、待った、待った! そんなに怒ることないでしょう!」
「怒らいでかっ! そんな弱きな態度だから付込まれるとは思わんのかっ! それでトカゲと娶される身になってみろ! 誰がすき好んで、青臭い匂いと卵に塗れて暮らさねばならんのだ!? そんな事になるくらいなら、ここで玉座を奪い、戦って討ち死にした方がマシだッ!」
「こらこら、短気はいけないよ。人生まだこれからだってのに」
「その人生を終らせようとしているのは、どこのどいつだッ!!」
「そんな大袈裟な。結婚は人生の墓場と言うものもいるけれど、そう捨てたもんじゃないよ。多少の不満もあるけれど我慢しながら、支え支えられつつ、」
「なにが哀しくて、トカゲの手に支えられなければならんッ! 状況が悪くなれば尻尾を切り落して逃げられるがおちだろうが!」
「はあ、父は悲しいよ。どうしてこんな風に育っちゃったのかなあ。小さい頃はあんなに可愛かったのに」
「ボケるのも大概にしやがれ! ぜんぶ、てめえのせいだろうがっ!!」
 吼えた。
 怒鳴り声などという生易しいものではない。人が発するものとするには、あまりにも獰猛すぎる声だ。まさしく、吼えたという表現が相応しい。
 石化した家臣団が、ごとごとと音をさせて震えた。ひびは入ったままで。いまにもバラバラに砕け散りそうな勢いだ。
 しかし、そんな脇役たちには目もくれず、ルーファスは凄みをきかせた声と表情で言った。
「国のため、民のためと言いながら、結局はてめえの保身の為だろうが。大方、トカゲ野郎に凄まれて、その場しのぎに適当に頷いて、尻尾巻いて逃げたんだろう。てめえのそういういい加減な態度のせいで、これまでどれだけの者が迷惑したと思ってる。本気で国のためを思うってんだったら、ここで潔く果てるがいいわ!」
「だめだめだめだめ! いくらなんでも、それはやり過ぎってもんだよ! ね、ここはちゃんと落ち着いて、話し合おう。そんな物騒なものはしまってさ!」
 そうして止める様子は、国王としてどころか、父親の威厳も既にない。いや、端からあったかどうかも怪しいものだが、余裕は完全にうしなわれているように見えた。
「今更、何を話す事がある。てめえは、どうやったってあのトカゲ野郎の娘をこの城に迎え入れるつもりなんだろうが」
 冷えた声とともに軽く振られた剣が、ぶん、と空気を斬った。
「だって、あのトカゲ族だよ? 怖いんだよ。あの細い目で睨みつけられて、舌先なんかふたつに分れていて、それが喋りながらちろちろ口の中から出てくるんだよ。爪だってあんなに鋭いし。私だって、トカゲ族を娘とは呼びたくはないよ。でもさ、」
 ドレイファス王は、見下す立場にいながら上目遣いで見上げるという離れ業をやってみせた。
 が、そんな芸当は、五十前の男がやった所で意味のない、かえって状況を悪くするだけのものだ。ところが、不思議なことに、本人はそんなことすら気付かなかったりするから、余計に鬱陶しがられるのが常であったりする。本人は切羽つまっているつもりでも、案外、余裕に感じられてしまうからたちが悪い。
 別の言い回しとしては、『墓穴を掘る』、がある。
「話にならんな」
 たった一言で、部屋の気温が氷点下にまで下がった。激昂の表情が、冷たいものに変わっていた。




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