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「惰弱な。なにが、『でもさ』、だ。いい年して、その程度の言葉遣いしか出来ん己を恥と思わんのか」
 この辺は、息子の方がまともだ。剣さえ手にしていなければ、もっと良かっただろう。
「すぐに、シャスマールに行って、間違いだったと土下座して謝ってこい」
「そんな事をしたら、使いの者が殺されちゃうよ。そうしたら、戦争しなきゃいけないくなる!」
「結構なことだ。だったら、てめえ自身で行ってこい」
「父に死ねと言うの!?」
「自業自得だろう」
「酷い! ルーちゃん酷いよ! それが、実の父親に対しての態度なのっ!?」
 ドレイファス王は玉座に座っていなければ、床に斜め座りをして、よよ、と泣き出さんばかりの風情で訴えた。
「気色悪い呼び方するなっ! 怖気がはしるわッ!」
 恫喝ひとつ。
 ざくり、と音を立てて、剣が玉座の背凭れ部分に突き立てられた。王の顔のほんの一センチ脇のところ。
 ひっ!
 泣き声も消え、王もようやく石化した。免れたらしい茶色い目の玉だけが、こわごわと鋼の刃に向けられた。
「息子としても、これ以上の親の見苦しい様を見るは、慚愧にたえぬ。恥を上塗りをされるが前に、潔く果てられるが良い。後のことは御心配召されるな。安心して任されよ。我が手で必ずや、国を導いてみせよう」
 ルーファスは、怯える王をまっすぐと見据えながら、感情を殺した声で言った。
 そこには、冗談のかけらも、わずかな隙も見付けることはない。
 つまり、本気、だ。
 王妃の不貞を疑う声。その原因となるひとつがこれ。親を親とも思わぬ、その態度にある。
 本人はそれに気付いていないようだが。もし、気付いたとしても、今更、改めることはないだろう。
「覚悟」、と誰も動くことのない前で、ルーファスは剣を引き抜き振り上げ直した。
「お待ちなさい」
 と、その時、絶妙のタイミングで割って入ったひとこと。
 控室へと通じる扉が開き、室内にすべりこむように入ってきた者がいた。
 豊かなブルネットの髪をきっちりと結い上げた、黒い瞳を持つ落ち着いた雰囲気の女性だ。めだつ美貌ではないが、品よく整っている。柔らかさよりもしっかりとした理知的な印象が彼女を美しくみせている。そして、その瞳の中に宿る強さは、そこにいる王子と共通する。
「母上」
 剣をおろすことはなく、ルーファスが呼ぶ。
 ルーファスを生した実母であり、第四十二代マジェストリア国王妃にあたる、ビストリア・ルイーズ・フランチェスカ・ド・マジェストリア。
 なにひとつ武器を持たぬ身でありながら、怖れるものなどなにひとつない、と言わんばかりの佇まいを見せつける。
 紫色の豪奢なドレスに身を包みながら、一分の隙もなく、まるで、一流の剣士と見紛うばかりの落ち着きぶりは称賛に値する。
「お待ちなさい。ここで王を誅すれば、家臣にいらぬ動揺と混乱を招くだけですよ。王位とは、一点の曇りもなく受け継いでこそ価値あるもの。無駄に汚点をつくる必要はないでしょう」
 王妃は、その外見に相応しい声で動じることなく言った。
「しかし、このまま放っておけば、私はトカゲの妻を娶らねばならなくなります。母上はそれをよしとお考えか」
「別によいのではありませんか」
 挑むような息子の声音に、ビストリア女王は眉ひとつ動かすことなく答えた。
「貴方が気に入らないのも分りますし、私とても、いくら身分上は姫とは言え、トカゲを娘とは呼びたくはない」
「では、何故、それでよしとお答えになられるか」
「それで事がまるく収まるのであらばよし、ということです。それが王族たるものの務めというものでしょう。なに、先方が一方的に熱をあげてのこと。別に嫌ならば、形だけ式を挙げてうっちゃっておけばよいのです。熱も冷めれば、黙っていても離縁を言い出しもしようし、戦を口にすれば、その時はその時、人質にでもすればよい。そうなるまでの間は、こちらはシャスマールを利用するだけすれば、よろしかろ」
 さらり、と鬼の発言が上品な口元から流れ出る。
「しかし、母上」
「ほかに気に入った娘があれば、側室に迎え入れればよいだけの話。跡継ぎさえなせば、張りぼての王妃の身よりもよほど力を持つことになろうし、シャスマールの姫が離縁したのちに、改めて、正式な妃として迎えればよいだけのことです。おまえとて、恋だの愛だのとの世迷言に振り回され、次代王としての責務を蔑ろにするようでは、陛下の無能さを責める資格などない。即刻、その振り上げた剣を己の腹に突き立てるがよろしかろう」
 手にした扇で息子を軽く叩かんばかりの調子で、ビストリア女王は言った。
「それでも、否と言い立てたいのであれば、事を収めるにたる手段をこうじてのちか、せめて、代わりとなる策は用意すべきもの。でなければ、いかな愚か者であっても聞く耳は持たぬでしょう。出直してくるがよい」
 その弁は、流麗、且つ、潔い。
 ぎり、とルーファスの引き結ばれた口の奥から、歯の軋む音がかすかに洩れた。
 その視線は母親に据えられていたが、表情ひとつ変えることがかなわなかった。
 恐るべき貫禄。
「いいでしょう。式までにはシャスマールを納得させるだけのものを用意して参ります」
 剣が静かに鞘におさめられた。
「それでこそです」
 王妃は、満足げに息子を見やった。
「それまでは、この件に関して余計な手回しをするは、いっさい無用に願います」
「ええ、私がさせないことを約束しましょう。よろしいですな、陛下」
 直接、身をおびやかす物はすでに引かれたというのに、玉座に張り付けになっているかのような夫に視線を巡らす。
 と、顎だけが人形のように、かくかくと何度も上下した。
「ほかの者もよいな。これより式までの間、ルーファスの行動に手出し口出しは、いっさいまかりならぬぞ」
 石像たちは無言のまま、そろって前方につんのめりそうになりながら、身体を九十度に曲げて応えた。
「存分にされるがよろしかろう」
 ビストリア女王は笑む口元を扇で隠しながら言った。
 ルーファスはなにも答えなかった。軽く会釈だけを残し、踵を返して謁見室を出ていった。
 父対息子の一戦は、痛み分けで終了。
 否、無効試合とでもいうのか。ゴングの音もない。
 預かったのは、母。
 母は強し。
 ルーファスの姿が消えて気配が遠のくにつれ、家臣団もじょじょに石化が解け始める。
 ふう、と溜息を吐きながら、ドレイファス王が玉座からずり落ちそうになりながら、緊張を解いた。
 やれやれ、と誰もが胸中で呟いた。
 と、そんな彼等の気の緩みを許さないとばかりに、ビストリア女王のひとことがあった。
「誰ぞ、礼儀作法と帝王学の教師となる者を呼んで参れ。すぐに」
 扇が閉じる勢いで、ぴしゃり、と鳴った。
 その音ひとつで、だらけかけた空気が一気にひきしまった。
 ただ、国王だけが、相変わらず、姿勢もゆるく崩したままだ。
 こういうところが、この王のよいところでもあり悪いところでもある。いまは、間違いなく後者であるが。
 王妃は手の中に握る扇の先で拍子を取りながら、そんな国王に言った。
「これより式までの間、陛下には、礼儀作法、所作、言葉遣いなどを徹底的に叩き直して頂きます」
 それには、ドレイファス王も目を丸くして驚いた。
「なにゆえ、今更そのようなことをせねばならんのだ!?」
「なにゆえ、と?」
 ふふん、と王妃の嘲笑う声が答えた。
 だが、その目は、まったく笑っていない。
「まるでなってないから、に決まっておりましょう。婚約披露の宴席に他国のおもだった方々をお招きしたのは、ほかならぬ陛下で御座いましょう。その席でかようなお振舞いや言動をなされては、我が国全体の恥。また、どこぞの国に舐められた揚げ句につけこまれる事にもならぬよう、国王として相応しい立派なお振舞いを、この機会に身に着けていただきます」
 そして、ちらり、と盛り上がった丸い腹に軽蔑の眼差しもひとつ。
「ついでに、少々、お痩せになられた方もよろしかろう。間食も控えられ、食事制限もするよう料理人たちに申し付けましょう」
「そんなあ」
 ええ、と声に出しながら、駄々っ子のような表情と仕草を見せるドレイファス王に、王妃は口元だけに笑みを湛えたまま宣言する。
「外見を整えれば、おのずと中身がついてくる事もありましょう。私はマジェストリア国第四十二代国王の下に嫁いだのでございます。それ以上も以下も陛下には求めてはおりませぬし、求めるつもりは御座いませぬ。どうぞ、この私を失望させ下さいますな」
 瞳に宿った光は、まさしく先刻はなった王子のそれと同じもの。他者を震撼たらしめる眼力。間違いなくこの女性が、ルーファス王子の実母であることの証にほかならなかった。
「己で撒いた種でありましょう。この私がトカゲ族に義母と呼ばれねばならぬ責は、相応に取っていただかねばなりませぬぞ」
 その心は、教育的指導。

 その甘えきった根性、即刻、叩き直してくれるわ!

 言い換えれば、そんなところだ。
 ごくり、とその場にいた者たちの、いっせいに嚥下する音が響き渡った。
 歴史の影に女あり。
 それは、ここマジェストリア国でも例外ではなかった。
 第四十二代国王妃、ビストリア・ルイーズ・フランチェスカ・ド・マジェストリア。
 彼女の存在なくしては、この国は成り立たない。
 それは、紛れもない真実だ。


 そして。

 ずかずかずかずかずかずかずか……

 母親の手前、大人しく引き下がったものの、腹立ちが収まったわけでもないルーファス王子は、足音高く宮殿の廊下を突き進む。
 ただ歩いているだけなのだが、その様は小型竜巻が移動しているかの如く。そして、その形相は、まさに悪鬼の如し。
 両肩に乗る風神雷神が、景気よく太鼓を打ち鳴らす音が聞こえてきそうなほど。
 周囲の空気は鳴り、周囲の物が軋む音をひびかせる。
 擦れ違った文官の抱えた書類が、自然と渦を描いて舞い上がり、召使いの運ぶ洗濯物が、手を触れるわけでもなく吹き飛んだ。

 ああれえっ!

 廊下の端によけたにも関らず、侍女のひとりが独楽のようにクルクル回りながら、後方に跳ね飛ばされていった。
 依然、勢力拡大中。
 気象予報士もびっくりの警戒警報レベル。
 このまま被害も拡大、甚大な被害をもたらすか、と思い気や、突然、思いもかけず、ぴたり、とその風がやんだ。
 回廊にさしかかったところで、ふ、とルーファスの足が止まっていた。
 向ける視線の先には、盛りの季節を迎えたバラが咲き乱れる宮殿の庭。
 険しかったその表情に、わずかに和らぎが生まれる。
 瞳に映るは、色鮮やかな花々でいっぱいの風景。だが、目の前のそれを透かすように、その眼差しは別のなにかを探していた。
 ぱちり、ぱちり、とどこからか庭木を剪定するハサミの音が聞こえた。
 ぱちり。
 断つ音なのに、どこか愛おしむような優しい音だ。
 甘い匂いの立ちこめる温む空気の中、渡ってきた風が額におちかかる黒髪を撫でていく。
 まるで、柔らかな、女性のアルトの歌声を思わせる優しさ。微睡みのなかにそのまま引き込まれてしまいそうな、穏やかさが支配する。
 くすぐるような少女の笑い声が、ハサミの音に交じって聞こえた。
 黒い瞳が、声の出所を求めて流される。
 そして、すぐに見付けた。
 見付けて瞠目し、次に、我に返ったようすで鋭さを取り戻した。
「あの女ッ!」

《新しい小型竜巻が発生。回廊からバラの庭へと進路変更。付近の住民の皆さまは、すぐに近くの避難所か安全な場所に避難をして下さい》

 警報発令は間に合っただろうか。

 うっきゃああああああああっ!!

 あがった悲鳴に、バラの花が揺れた。
 それは笑ったのか、呆れたのか、嘆いたのか。いずれにしても、人の耳には届かない。
 一瞬で、木端微塵に砕け散った平和なひととき。
 人生まで砕け散りそうだ。

「こんなところでなにしてるっ! 待ちやがれッ!!」
「ぎゃああああああっ!!」

 ルーファス王子 対 銀髪の魔女の娘。
 残念ながら、対決する以前の問題のようだ。




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