真っ黒のつぶらな瞳。先の尖った鼻。丸みを帯びた身体に、鋼のように真直ぐな毛は光を帯びている。頭に乗せた麦わら帽子に、裾を折り返しただぶだぶの作業ズボン姿が、とてもキュートで似合っていた。
年齢は見た目では判断がつかないが、成人していることは間違いない。ひょっとしたら、シュリよりも随分と年上の男性かもしれないが、それでもときめきに似た感情をシュリは抱いた。
庭師は身体に似合わぬ小さな手で、被っていた麦わら帽子の縁を、ちょいと押し上げて娘を見た。
「見かけない顔だけれど、どこのお嬢さんだい」
口調はのんびりしていても姿に似合わぬ、きしむような甲高い声が問い返した。
「あ、シュリと言います。きのう、お城に連れてこられました」
「シュリさんか。おいらは、エンゾ。庭師だ」
よろしく、と差し出された身体つきに似合わぬ小さな手と握手をした。
軽く振る手にあわせて、シュリの胸は、きゅん、きゅん、音を立てていた。
「キロスって名前は、覚えがないな」
しかし、続く答えにシュリは、しゅん、と肩を落した。
「……そうですか」
「そのキロスさんて人がどうかしたのかい?」
「いえ、知り合いなんですが、よく似てらっしゃるので、ひょっとしてって思ったのですが」
「そいつもハリネズミ族なのかい?」
庭師は言うと、撫で付けたように背中を覆う硬い体毛を、ほんのわずかだけ動かした。
先の鋭く尖ったいくほんもの太い針が、脅すでもなく波打った。同時に麦わら帽子も少しだけ浮き上がり、鼻の脇から横にのびる髭も、ひくひくと前後に動かす。
繰り返し開いて閉じる針の動きを前に、シュリははにかんだ笑顔で頷いた。
「近所に住んでいて、物静かでとても親切な方なんです。困ったときは色々と助けてもらっています」
「ああ、ハリネズミ族は気がいいやつばかりだからな。ちょっと臆病で、なにかあると針を開いちまうのが玉に瑕だけれど、お嬢さんみたいな人にはなにもしないだろ」
「ええ、とってもよくして貰っています。たまに、力仕事なんか手伝ってもらったりして。奥さんも優しい方で、キノコや木の実のなっている場所を教えてくれたり。こどもたちもとってもよい子ばかりで」
「子沢山かい?」
「はい、七人家族です」
「そりゃあ、結構なことだ。仲間の数が増えるのはうれしいね」
ハリネズミの庭師は笑った。
シュリの口元も自然な弧を描いた。
「うちにも十を頭に六人いるよ。お陰で毎日が賑やかだ」
「かわいいんでしょうね」
「ああ、ときどき憎たらしい時もあるけれど、それも含めてかわいいもんさ。それで、シュリさんは? 近所って、どこに住んでいるんだい」
「イディスハプルの森に暮らしています」
「イディスハプルっていったら、国の西の方だろ。遠い所から来たんだな」
「そうなんですか?」
「の、はずだけれど」、とエンゾは不思議そうに言った。
「そこから来たんだろ?」
「の、はずなんですけれど」、とシュリも答える。
「よくわからないんです。森から出たのは初めてだから」
「ああ、そうなんだ。西のはずれってほどじゃないが、馬車をつかっても五日ぐらいはかかるんじゃないのかな」
「そんなに遠いんですか?」
「ああ、移動用の魔方陣を使えば一日とかからず着くだろうけれどね」
「移動用の魔方陣……その魔方陣って、このお城にもあるんですか?」
「ああ、なきゃ困るだろう?」
「どこにあるか、知っていますか」
「さあ、そこまでは知らないなあ。大体、使えるのは王族の方々か、ごく一部の偉い人たちだけだし」
「……そうですか」
エンゾは円い瞳をしばたくと、小首をかしげた。
「でも、きのうは家にいたってことは、シュリさんはそれを使って来たんだろう?」
「だと思うんですけれど。私、眠っていたから」
失神していたと言わなかったのは、それすらも記憶が怪しかったからだ。
ふうん、と答えるエンゾにも、事情がよく飲み込めなかった。ただ、あまり深く詮索しないほうが良いだろうと、本能的に感じ取っていた。
素知らぬ顔をして籠の中から剪定ばさみを取ると――もともとハリネズミは表情がわかりづらいと言われるものだが、その小さな手ではさみを握って、ぱちり、ぱちり、とバラの剪定を始めた。
「綺麗なバラですね」
仕事にもどったハリネズミの傍で様子を眺めながら、シュリは言った。
「ああ、毎日、手入れをしているからね」
エンゾは、手を止めることなく答えた。
「気がつくと、すぐに虫がついたりするから、世話が大変だよ」
「ずっと、ここで働いているんですか?」
「ああ、おやじの代からね。おやじも庭師でこどもの頃から手伝って仕事を覚えたよ」
ぱちん、ぱちん、と余分な枝や葉を落す音が響く。
「そうなんですか。私も師匠を手伝いながら色々と教わりました」
「へえ、お師匠さんって、シュリさんはどんな仕事をしているんだい?」
「はい、魔女のお仕事をしています」
ばちん!
すこし手元が狂ってしまったようだ。
間違えて刈られた枝が、ばさり、と音をたてて地面に落ちた。
だが、エンゾはそれどころではなかったようだ。
「ま、ままままままままままじょ?」
黒目ばかりの瞳をこれ以上なく瞠っておどろいた。そして、次に怯えの表情を浮かべた――と言っても、ハリネズミだから顔色は変わらない。代わりに、背中の針が、はんぶん立ち上がった状態になった。
麦わら帽子に、新たな穴があけられた。
その様子に、魔女と名乗った娘は困ったように首を傾げた。
何故、そんなに怯えられるかわからなかったからだ。世間知らずだから。
だが、彼女が魔女である、ということがいけないらしい、ということだけはわかった。
「魔女っていっても、まだ見習いなんです」
そう言い足した。
「師匠が言うには、まだまだ半人前だそうです……実際、そうなんですけれど。せいぜいできるのは、祝福のまじないが出来るていどなものですから、『魔女を名乗るのは早い。おまえは、まじない師だ』って言われていて」
「へ、へえ、そうなんだ……」
庭師は吃りがちに相槌をうちながらも、針が鎮まる様子はない。
「でも、そんな風に言うなら、師匠も、もっと、色んなことを教えてくれたっていいのに。教えてくれるのは祝福の呪文ばかりなんですから。あとは見ておぼえろって」
「し、祝福?」
怯えながらも、首を傾げる問いがあった。
「はい。師匠は『祝福の魔女』って呼び名で、色んな祝福を与えるのがお仕事なんです。そうやって精霊を動かすことで、大陸の均衡を保つんです」
「よくわかんねえけど」、とハリネズミの背中の動きにあわせて、針が波打った。
「お師匠も魔女……さんなんだよな。なのに、祝福? 呪いじゃなくて?」
「呪いなんてしませんよ。というよりも、できません」
娘の軽い笑い声がたった。
「でも、魔法を使うんだろ。呪えるんじゃないのか? なんか変な言い方だけれど」
エンゾは首を横に傾げた。
それだけの仕草なのに、この国の王が嫉妬するだろう愛らしさだ。
いい年をした成人男性でも、種族が違えば、これほどに違う見本だった。
シュリは微笑む声で答えた。
「出来ないですよう。そこまで精霊は言うことを聞いてくれませんし、そんな事が出来たら、世の中がおかしくなっちゃいます」
「わかんないな」
エンゾは言った。
「わかりませんか?」
「わかんないよ。おいらに学がないからなのかもしれないけれど。でも、魔女って呪いをかけるもんだろ?」
そんな事!
シュリはちいさく叫ぶように言った。
「それは誤解です! 本当の呪いなんかかけたら、魔女だって無事ではすまないです! 下手したら死んじゃいます!」
「そうなのかい?」
「そう師匠から聞きました」
魔女の娘は、しかと頷いた。
だが、庭師はまだ疑い深く、引けた腰が戻るようすもない。
「でも、かけられないことはないんだろ?」
「それはそうですけれど……でも、私は遣り方も知りません。見たこともないし」
シュリは困惑した様子で、俯いた。
「でも、精霊が嫌がることを無理にさせるわけですから、絶対にしっぺ返しがあるって教えられました。たとえば、エンゾさんが命令されて、この庭を焼き払えって言われるようなものです」
ぐさ、ぐさ、ぐさ、ぐさっ!
庭師の被っていた麦わら帽子が、突っ立った針で頭上高く持ち上げられた。ばらばらと千切れた麦藁が、ハリネズミの上に降り落ちた。
「そんなとんでもない! なんで、丹精込めて世話をした庭を焼かなきゃいけないんだい!」
きぃきぃと甲高い声で、庭師は訴えた。
「だから、たとえば、の話です」
魔女の娘は、逆に眉尻を落すような声音で言った。
「でも、そんなことを命令されたらつらいし、嫌でしょう? やらなきゃいけないにしても、命令した人のことを嫌いになったりするでしょう。呪いって、そのくらい精霊に無理強いすることなんです。だから、精霊も取り敢えずはいうことを聞いてくれるかもしれないけれど、そのあとどんなことをされるか、呪いをかけた魔女ですらわからないんです。二度と言うことを聞いてくれなくなったり、『よくもやったな』、って傷つけ返されたりするそうです」
その説明に、庭師も得心がいったようだった。ああ、と頷き、言った。
「じゃあ、シュリさんにそんな様子がないってことは、よい魔女なんだな」
背中の針も綺麗にたたまれ、元の、つるり、とした光沢に戻っていた。
「よい魔女っていうのかわかりませんけれど、たぶん、そうです。すくなくとも、悪いことをしようって気はないです」
「そっかあ。おいら、てっきり魔女だって聞いてひどいめにあわされるかと思った」
安心したのだろう、やっと笑顔がもどった。
「そんなことはしませんよ。なんでそんな風に思ったんですか?」
今度は、シュリが小首を傾げる番だった。
「なぜってそりゃあ、この国にかけられた呪いが、」
エンゾは最後まで言葉を続けることができなかった。
シュリも最後まで説明を聞く機会を失った。
なぜならば。
「あの女ぁッ!」
突然、響き渡った獣の唸るような声が遮ったからだ。怒号とともに、渦をまいて華麗に舞い散るバラの花弁が見えたからだ。
計よっつの眼は、同時に庭の向こうの方から小型竜巻ならぬ、すさまじい勢いで走ってくる黒い人物を認めていた。
ぐさ、ぐさ、ぐさ、ぐさ、ぐさっ!
麦わら帽子が針の刺さる勢いに、散り散りに千切れ飛んだ。
そして、魔女の娘の叫び声があがったのも、ほぼ同時。
うっきゃああああああああっ!!
高い声をあげたかと思うと、挨拶する間もなく、すっ飛んでそこから逃げ出した。
まさにオオカミから逃れんとするウサギの如く。
「こんなところでなにしてるっ! 待ちやがれッ!!」
立ち塞がるいばらもなんのその。
多少、棘が刺さろうが、傷がつこうが気にもしない。
周囲に巻き上がるバラの花弁は華麗なはずなのに、発するおどろおどろしさに紛れて不気味さしか演出していない。
そんなこともお構いなしに捕食者は牙をむき、まっすぐ獲物に向かって突っ走る。
――待たないだろう、普通……
なにが起きたかわからないまでも、取り残された庭師はこっそり思った。そして、魔女というだけで怖がってしまったシュリに悪いことをした、と後悔した。なぜなら、落ち着かない全身の針が、端的に示している。
魔女よりも、人間の方が何倍も怖い。
もう豆粒にしか見えないふたりの背中を見送って、残されたエンゾは長々と溜息をつきながら空を見上げた。
頭上に広がる青空に、一筋の流れ星を見たような気がして、もうひとつ溜息を地に落した。
そして、のろのろとくずの塊となってしまった麦わら帽子の残骸を拾い上げた。
長い息をつきながら、花を減らした庭を遠い眼で眺める。
ぐるり、と一周。
いつもは、ぴん、と両脇に張った髭が、力なく垂れ下っていた。
そして、ゆっくりと手にしたハサミを籠に戻すと、箒と塵取りをとりに向かった。
遠くの方から娘の高い悲鳴が、長く尾を引いて聞こえた。