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 疲れた。
 めちゃくちゃ疲れた。
 こんなに疲れたのは、いつ以来だろうか。
 昨日も疲れはしたが、疲れ方がちがう。
 ただ、立っていただけにも係わらず、身体の中からなにかがごっそりと抜き取られ、残った部分からもぞうきんのようにぎゅうぎゅうと絞り取られた感じだ。
 大事ななにかを失ってしまったかのような気分がする。
 シュリは溜め息をつくと、テーブルに上半身を突っ伏して預けた。
 行儀が悪い、と師が見たら怒られそうだとわかっていたが、身体を起こす気力もなかった。

 午前中、特別なドレスを作るというので、下着姿で上から下まで全身のサイズを測られた。
「両手をまっすぐ横に伸ばして、ああ、背筋も伸ばしたままで。そう、そのまま……ようございます」
 コートニー夫人はてきぱきとシュリの周囲をまわりながら、手にした巻き尺を使い慣れた鞭のように伸ばしたり、回したり、畳んだりを繰り返した。
 それが終わり服を身に着け直したところで、沢山の布の束が部屋に運び込まれた。
 その部屋ひとつだけで、シュリの家が丸ごとひとつ入ってしまうような大きさだったのだが、どこを見たらよいのかわからないほどの沢山の色で埋め尽くされた。
 昨日は海で、今日は布に溺れそうだ。
 そこにルーファスが入ってくると、コートニー夫人はシュリにつぎつぎと布をあてがって喋りはじめた。
 夫人の話す内容は魔法の呪文に勝る難解さで、しかも、早口だったのでなにを言っているのか、シュリにはさっぱりわからなかった。
 だが、ルーファスには理解できたらしい。
 うなずいたり、首を横に振ったりしながら、布を指でさしてシュリにあてがわさせた。
「こちらの菫色はいかがでしょう。東より取り寄せました最高級のファムダで、この光沢をご覧になって下さいまし。なんともいえず柔らかな肌触りで、とても上品に仕上がりますわ」
「だめだな。地味だ。下手すれば、安っぽくみえる。もっと、華やかな色は」
「でしたら、こちらのフェムトルージュなどはいかがでしょう。今年流行のデサンディルスタイルで、胸元にレースをあしらえば華やかで素敵になるかと」
「それではまるで娼婦のようだ。伝統を重んじたスタイルで上品に、すこしだけ目新しさを取り入れた感じがいい」
 ああでもない、こうでもない、と飛び交う会話は、コマドリのお喋りさながらの騒がしさだ。
 そのふたりの周囲を布を持ち運ぶ人々がせわしなく動き回り、目まぐるしい。
「せめて、すこしでもお顔を拝見させていただくわけには」
「駄目だ」
 シュリはひとり、ぼうっと突っ立っているしかない。
 目の前を、のんびりと横切っていく風の精たちを眺める。
 コートニー夫人は、風の精と相性がいいらしい。
 遊びたいところだが、ここは我慢してお口にチャック。
「でも、お顔立ちにあったスタイルというのもございますし」
「気にしなくていい。シュリならば、どんなものでも似合う筈だ」
 早く終わって欲しかった。
 だが、その後も続けて靴も誂えるとかで足の型をとられ、夫人とルーファスの話し合いは二時間にもおよんだ。
「では、二週間以内に仕上げて王宮まで届けさせろ」
「畏まりました」
 結局、シュリは一言も意見を言うこともなく。
 どんな色のどんなドレスができあがるのかも、まったくわからないままだ。
 だが、そんなことはどうでもいいぐらいに疲れていた。

「そんな格好して行儀が悪いわ。『汝、百合の如く背を伸ばし、バラの如く頭をあげ、咲き誇る花の如き笑みを唇に湛えよ』、よ」
「ダイアナさん……」
「なあんて、いつからあるのかわからない淑女の心得がいまだ通用しているのもなんだし、それを諳んじている自分もどうかと思うわ」
 部屋に入ってきたダイアナは、元気そうだった。
 マーカスが言った通り、昨日のことはなかったみたいだ。
 シュリもそうすべきなのだろう。
 ダイアナは眼鏡を軽く押し上げると、シュリの真向かいの椅子に座った。
「あなたも大変ね」
「はあ、沢山の人の中にいると、なにがなんだかよくわからないことが多くて」
 シュリはやっとの思いで身体を起こして答えた。
 そうね、とダイアナも微苦笑を浮かべた。
「面倒くさいことは間違いないと思うわ。貴族相手なら尚更」
「でも、どうして必要以上に着飾る必要があるんでしょうか」
「そこから疑問!?」
 ダイアナは声にだして笑った。
「そういうものだから仕方ない、としか答えようがないわね。ただ、『着飾る』のではなく『装う』ということよ。そうすることで、自分を目に見える形で他人にはっきりと示すの。『裕福です』、『綺麗です』、『上品です』ってね。装いの印象で性格もわかるわ。きっちりしている人とか、だらしない人とか」
「そういうものですか」
「そ。だから、シュリさんは『クラディオンの女王です』って皆に示して納得させるためにも、ちゃんと装う必要があるし、礼儀作法もちゃんとする必要があるってわけ。女王さまらしくね」
 ふうん、とシュリは実感がわかないままうなずいた。
「でも、女王さまは形だけですよ。わたしは女王さまなんてできないし、名前だけ貸せばいいって聞きました。それでも?」
「そうね、一度は公人として人前に出なければならないわけだから、表面上だけでもそうしなければならないってことだわ。必ずしも、中身と一致しなくたっていいの。目的をもって、他人に見せたい自分を見せるのね。シュリさんの場合は、今回、『クラディオンの女王らしくみせる』目的があるわ。シュリさんが自由に森の中で暮らしていて本当は女王らしくなくても、『クラディオンの女王に相応しい』って、皆に思わせて安心させる意味があるの。そのための装いよ」
「ええと……それって、騙すってことでしょうか? 騙すってよくないことじゃないですか?」
「ううん、騙すのとはすこし意味合いが違うと思うわ。シュリさんは、形だけでも女王になる意志があるじゃない? それを、他人がより納得しやすい方法で表すってことよ」
「本当は女王さまらしいことはなにもなくても?」
「そうね。でも、女王らしいって、本当はどういうことかだれもわからないじゃない? 要は雰囲気。あとのことはルーファスさまやカミーユさまがするにしても、一応『それらしい』って印象だけでみな安心するわ。どうせ、実質的には関係ない人たちだもの。如何にも『なんにもできません』ってわからせて不安にさせるよりも、その方がいいでしょ」
 ああ、とそこでシュリはうなずいた。
「不安よりも、安心の方がいいですね」
「そ。面倒にならないためにもね。貴族って、大抵、小心者だから」
「小心者?」
「ええ。少しでも変わったことがあると、大げさに騒ぎ立てるの。大したことのないことでも揶揄したり、時にはわざと下品な言葉遣いをして意地悪を言ってみたり。そうやって、自分たちの目につかないところへ追いやろうとするの。暇つぶしみたいにして顔では笑っているけれど、根っこのところでは怖がっているのよ。それで自分たちの身になにか大変なことが起きるんじゃないか、って不安がっているの。だから、いつもお喋りしては、他人がどう思われているかや自分が他人からどう見られているかを気にしてばかりいるわ」
「私の個人的意見としては、だけれど」、とダイアナは腕を組んで付け加えた。
 だが、その説明は、昨晩のマーカスとの会話に繋がる気がした。
「だから、『手堅い』んですね」
 学ぶことは多くある。
 だが、シュリの答えに、ダイアナは不思議そうな顔をした。
 しかし、それに答えることはなかった。
「ダイアナ! ちょっとこれ見て!!」
 マーカスが部屋に飛び込んできたからだ。
 マーカスは挨拶もなく、持ってきた本をダイアナに半分を押し付けるように広げて見せた。
 古くて重そうな黒い皮表紙の本だ。
「なによ、あわてて」
「いいから、これ、この表紙、よく見て! ユニコーンが浮き彫りになってる! で、こっち! 裏表紙のここ! 獅子とユニコーン!」
「クラディオンの紋章!」
 ダイアナも叫んだ。
「ロスタの頃に書かれたものを、クラディオンで写本したものだよ!」
「すごいわ! この本、どこで見つけてきたのよっ!?」
「ジュリアスくんのお父さんのものを借りてきたんだよ! 元は、近所に住んでた元は魔法師だった人から譲り受けたって!」
「ええっ!?」
 ふたりとも大興奮だ。
「譲られたって、こんな稀覯本を!?」
「ニルス・アダレスクって名前だったらしいけれど、たぶん、その人、クラディオンの魔法師だったんだよ。壊滅よりもずっと以前に、なにかの事情でマジェストリアへ移り住んできたんだ。その時に、この本もいっしょに持ってきたんだろうね」
 マーカスは自分の気を落ち着けるように息を吐き、話す速度をゆっくりに変えた。
 それにあわせて、ダイアナの表情も緩んだ。
 視線を落とし、ゆっくりと本のページをめくり、検分しはじめた。
「……魔法師がなんでろくに魔法が使えないこの国に? 大体、クラディオンもよく手放したわね、そんな特殊技能持ちを」
「その辺の事情はわからないけれど、それなりの理由があったんだろうな。ひょっとしたら、逃げてきたのかもしれないし」
「それにしても状態が悪いわね、この本。でも、資料としての価値は充分ね。ほかにもあるの?」
「あるそうだよ。その人が亡くなって、遺品をぜんぶ相続したそうだから」
 そう、とダイアナは本を閉じると、顔をあげた。
 凛とした緊張感のある、仕事向きの顔つきになっていた。
「よければ、それ、ぜんぶ見せて貰えるよう頼めないかしら。ものによっては館長にも連絡する必要があるけれど、最終的には、寄贈は無理でも写本させてもらえるよう、お願いすることになると思うわ」
「うん、そう思って呼びに来たんだ。えっと、それと、シュリさんにも」
 マーカスの視線を受けて、シュリは首を傾げた。
「わたしもですか?」
「うん、実は、どうしても僕たちだけだと行き詰まってしまって。シュリさんならわかるかと思って、相談にのって欲しいんだ。特に精霊に関することで」
「それはかまいませんけれど、でも……」
 ただ、文句を言いそうな人がひとり。
 勝手に外出をしてもいいものだろうか?
「許さん」
 許可をもらいにマーカスたちとともに行ってみれば、案の定、ルーファスは答えた。
 顔を見ただけで、答えはわかった。
 ドレスの仕立ての打ち合わせ最中はそんなに機嫌が悪そうには見えなかったが、その後、部屋からいなくなってからなにかあったらしい。
「話だけならば、テレンスがこちらに来ればいい」
「でも、そうすると、移動にかかる時間がもったいないです」
 マーカスが食い下がった。
「ならば、研究機材ともどもこちらに来させろ。空いている部屋はいくらでもある。完成まで滞在を許可する」
 行儀悪く机の上にのっかている両足の靴底は、とても大きい。
 椅子に斜めに踏んぞりかえった姿勢で眉間に皺を寄せる表情は、怒鳴らないまでもすこし怖い。
 また、いつ暴れはじめるかもしれず、マーカスの後ろでびくびくしながら身構えていると、ちらり、と鋭い瞳がシュリを見てからすぐにそらされた。
「そのクラディオンの写本とやらも、人を使ってぜんぶ運ばせろ。それで問題あるまい」
「……御意」
 意外そうにうなずいたマーカスから、行こう、と仕草で促しがあった。
「シュリにすこし話がある」
 ルーファスが言った。




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