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「どうぞ、お気を付けて」
 馬車の扉を閉め、カミーユはにこやかな笑みで客を見送る。
 対する、ノルドワイズ伯爵夫人は、はしたなくも取り乱すことはしなかったが、顔面蒼白だ。
 あとから数日寝込んだと聞いたとしても、驚かない。
 馬車は、猛ダッシュとはいかないまでも、逃げる早さで門を出ていった。
 それを眺めて、カミーユはにんまりとした笑みを浮かべた。
 脅しは充分に伝わったらしい。
 ノルドワイズ伯爵が過去、フェリスティア妃の進退について、どのような意見をもっていたかは知らない。
 が、おそらく、夫人の身内か知人には、クラディオンへの引き渡しに賛成した者がいたのだろう。
 それについてルーファスは、王族に対する不敬であり、斬首もやむなしとの見解を示したのだから、青ざめもする。
 同時に、娘のシュリに対して少しでも不敬があれば、同様の処分すると言ったも同然なのだから、取り入ろうと試みている最中にあっては、余計に生きた心地はしなかっただろう。
 そして、ささやかながらルーファスがカップを壊してみせたのが、とどめになった。
 送りがてら、クラディオンの国名を口にしただけで、本気で失神しそうになったので、それ以上は勘弁してやったくらいだ。
 禁句は一般貴族の間では、まだ生きている。
 しかし、あの程度で怯えるとは、肝がちいさい。
 敵にもならなければ、味方にもいらない。
 途中でルーファスがそう判断したのは、正解だ。
 無駄に警戒しすぎたらしい。
 厚顔無恥な連中をねちねち苛めてやるのは愉しいが、溜飲を下げられるほどではない。
 せいぜい、より大袈裟に、夫と仲間達に恐怖を広めることぐらいは役立って欲しいところだ。
 それで、直接的に彼女たちの邪魔をしようとする者が少しでも減ってくれれば、重畳。
 もし、わからない、馬鹿者がいれば、本当に見せしめにしてやればよい。
 真実を知った今、クラディオンが壊滅した直接の原因はクラディオン側にあっても、マジェストリアの無責任な貴族たちにも非があったことを認めさせる必要がある。
 つまり、カミーユたちなりの、ささやかな再教育の一環だ。
 今更、性根は変わらないにしても、今後、同じような事があった場合、どういう態度をとるべきか学習する能力ぐらいはあるだろう。
 少なくとも、次の王の前では。
 変化を無頓着なほどに許容できる今の陛下も悪くはないが、評価できるのは内政面においてのみ。
 今回の件に限らず、外交面ではダメダメだ。
 容易く脅しに屈し、人情話に折れる。
 その人柄に屈した……ほだされた外務大臣らがよく踏ん張って支えているから、なんとかなっている。
 でも、一部の貴族達には舐められがち。
 王妃の存在は大きいが、引き締めるにも限度がある。
 だから、ここら辺で、もう一度、政にかかわる貴族たちに初心に立ち返ってもらわなくては、ルーファスが王位についたところで不正を正すだけに時間をとられる。
 なにせ、一代の内に一国を再興するのだ。
 大事業に伴い、当然、さまざまな産業の活性化が見込める。
 関わるマジェストリアの民たちは潤うだろう。
 それは良いのだが、同時に不正の温床となるネタがそこら中に生まれることになる。
 それを小悪党どもが見逃すはずもなく、小悪党の大本は、資本をもつ貴族である可能性が大きいだろう。
 発覚すれば、善良な民たちが納得するまい。
 完全とはいかないにしても、悪い芽は早いうちに潰しておくのが肝要。
 恐怖政治と呼ばれようが、脅しひとつで足を引っ張られずにすむならば幾らでもする。
 それよりなにより、シュリの名に泥を塗ったり、不利益どころか指先いっぽんでも触れようとする者がいたなら、ルーファスが即座に抹殺するだろう。
 相手が誰であろうと、言い訳ひとつ許さず、完膚なきまでに、骨一片残らず打ち砕く勢いで。
 そうなったらそうなったで、また、後片づけが面倒くさいことになる。
 だから、今のうちに抑止できるのであれば、それに越したことはない。
 まともに着飾ったシュリをひと目見た時の、ルーファスのあの表情。
 よくも、その場で襲いかからなかったものである。
 よしよし、えらい、えらい!
 声に出さず、褒めてやったぐらいだ。
 その時のルーファスをたとえるならば、尻尾を大きく振りながら唸り声をあげる犬……いや、狼といったところか。
 喜んでいるのか、威嚇しているのか、見ている方は判断がつかない。
 本人すらそうだったろう。
 しかし、指示するより先にその場にいた侍女達が逃げ出したところを見ると、若干、後者の印象の方が強かったようだ。
 それでも、ここのところのルーファスをみていると、ようやく我慢というものを覚えて、ケダモノから少しは進化した印象を受ける。
 必死に理性と戦っている表情の変化は、端で眺めていてなかなか面白くあったし、実害もなかったので、よしとする。
 実際、シュリの並外れた美しさはカミーユも認めるところだ。
 無垢なほどの可憐な美しさとでもいうのか。
 コートニー夫人に無理を言って急ぎ用意させた、既製品を手直ししただけの急場凌ぎのドレスであったにも関わらず、その佇まいは完ぺき。
 育ちはどうあれ、生まれもった資質は大きい。
 妖精族の血が濃いとはこういうことか、と改めて感じた。
 嘗ての妖精族の受難も納得だ。
 あれは、苛めたくなる。汚したくなる。
 新雪の上に足跡をつけたくなるのと同じ感覚で、根源的なところをくすぐられる。
 先程も、ノルドワイズ伯爵夫人に対し不用意にいらぬ気遣いの言葉をかけたりするものだから、つい、必要以上に殺気を放ってしまった。
 プライベートや見舞い以外では、最上位にある者がいちいち下の者の体調不良の心配などする必要はない。
 それは部下の仕事であり、王族の招きに応じながら体調管理ができていない者のミスであり、不敬だ。
 しかし、怪我の功名というのか、あれで夫人にシュリの優しさが感謝すべきものであると強く印象づけたようだから、まあ、良しとする。
 だが、こどもの頃にはわからなかったが、フェリスティアも似たような感じだったのかもしれない。
 クラディオンの者たちは、無自覚にやり過ぎてしまったところもあるのだろうと思う。
 だからと言って、したことを許せるものではないが。
 だが、そういう人の持つ業みたいなものを、当のシュリ本人が今ひとつわかっていない様子なところが、より一層、いけない心を抱くと共になんとも危うく感じる。
 様子のおかしいルーファスを前にして怯えてはいたが、理由まではわかっていないだろう。
 けれど、こちらも以前のように闇雲に叫んだり、なりふり構わず逃げることはしなくなったので、まあ、人並みと言える範囲までは進歩したと言える。
 慣れた、とも言うけれど。
 人の間で暮らしていれば、その内に、もっと慣れもするし、理解も深めるに違いない。
 その辺の教育は、追々していけばいい。
 兎に角、今は実務優先だから、瑣末事で注意したり、宥めたり、すかしたり、脅したり、張り飛ばしたりと、カミーユも無駄な時間を取られなくてすむのは良いことだ。
 ふたりとも、この調子でいってもらいたいところである。
 と、そんなことを思いながら廊下を歩いていると、

 きゃあああああああっ!!

 女の悲鳴が聞こえてきた。
 ルーファスの部屋からだ。
 叫び声の主はシュリだろう。
 ついつい、舌打ちをしていた。
 すこし褒めたところでこれだ。

 ――辛抱溜まらず押し倒したか!?

 充分に有り得る。
 だが、今のタイミングでそれはまずい。
 シュリの行う『署名の儀式』とやらで、精霊王たちを呼ぶのに障りがあるらしい。
 その件だけはくれぐれ頼む、と魔女からも一言があった。
 止めるべく、カミーユも急いで駆けつけてみれば、扉を開けた途端、わずかに焦げ臭さが鼻をついた。
 部屋全体に、煤けた感じがする。
 寝台や長椅子に置かれたクッションなど、部屋のそこかしこに焼け焦げた痕があり、濡れていた。
 酷い状態だが、想像とは違っていたことにカミーユは安堵した。
「なんですか、この有り様はいったいどうしたことです?」
「キールが……」
 問えば、シュリが答えた。
「キール?」
「飼いはじめた鳥だ。火の精霊の」
 問い返せば、まだ汚れたシャツのままのルーファスが、水差しを手にして不機嫌そうに答えた。 
   水をかけて、自力で火を消し止めたらしい。
「理由はわからんが、癇癪を起こしたようだ。辺りかまわず火を吹いた。昨日、おまえに向かって吹いたようなやつだ」
「駄目でしょう!」
 めっ!
 見れば、叱るシュリの両手の上に蹲るようにして、カミーユがこれまで見たことのない鳥がいた。
 大きさは、手が隠れるくらいに大きい。
 両羽根と長めの尾羽根は、完全にはみ出ている。
 小振りの鷹ほどの大きさだ。
 その色は、頭の先の濃い藍色から羽根の先端の明るいオレンジ色へとグラデーションに変化して、光のあたり具合によっては、虹色に輝く。
 ところどころに残る灰色の産毛がみすぼらしくはあるが、完全にそれがなくなれば神秘的な美しさだ。
 頭から水を被ったらしく、すこし湯気がたっているのが変だけれど。
 カミーユは鳥に近付き、へぇ、としげしげ眺めた。
「これが」
「ああ、今はシュリのまじないで、誰にでも見えるようになっているそうだ」
 鳥は目を閉じ、首を竦めた状態で、じっとしている。
 叱られて観念しているようにも見えた。
「このぶんだと、明日にはなにもしなくても見えるようになっていると思いますよ」
 ルーファスの返事を受けて、シュリが言った。
「予想以上に成長が早いです。相応に魔力の供給がされていると思うんですが、疲れたり、具合悪くなったりしていませんか?」
「それは大丈夫だ。しかし、本当に昨日の数倍は大きくなっているな。昨日は、まだ片手で足りるぐらいだったろう?」
「そうですね。この分だと、もう少し大きくなりそうです。止まり木を用意しないと。あと、躾けの為のおまじないも必要ですね」
「止まり木は普通のものでよいのか」
「はい、でも、鋼のものがよいと思います」
「すぐに用意させよう」
 おや、とカミーユは不思議な面持ちで、会話するふたりを見た。
 あまりにも普通だったから。
 無意識に脅したり、怯えた様子もなく、ふつう。
 いつの間に、このふたりはこんな風に話せるようになったのだろう?
 単に鳥に気を取られているせいだけなのかもしれないが。
 だが、悪いことではないのだろう。
 いや、むしろ良いことだろう。
 先々を考えれば。
 まあ、今はそれは置いておいて、カミーユは言った。
「しかし、困りますね。癇癪を起こす度に燃やされては、被害が大きすぎます。屋敷が全焼させられたら笑うではすまされません」
 シュリがうなずいた。
「はい。だから、そうならないようおまじないの道具を作りかけてはいたんですが……」
「おまえ、なにがそんなに気に入らないんだ?」
 ルーファスが鳥に問う。
「それは、いつも皆があなたに問いたいことですよ」
 カミーユは半ば呆れながら言ってやった。
「どういう意味だ」
「そのままの意味です。ペットが飼い主に似るとか言うのは本当のようですね」
「俺のどこが似ているっていうんだ」
「似ているでしょう。癇癪起こして壁や物を壊すのと、火を吹いて辺りかまわず燃やすのと」
「お父さんですから、似るのは仕方ないです」
 ルーファスの反論より先にシュリが言った。
 途端、ルーファスの口が曲がり、カミーユは思わず吹き出していた。
 が、言った本人はおかしなことを言ったつもりはなかったようだ。
 不思議そうなシュリの顔がおかしく、カミーユはまた声をあげて笑った。
「また、迷惑なところが似たものですね!」
「笑いすぎだ! 俺の場合はそれなりの理由がある! 鳥といっしょにするな!」
「この子にも、理由はあるんだと思います。ただ、私にはわからないだけで……」
 シュリが申し訳なさそうに答えた。
「やはり、鳥並じゃないですか」
「やかましい!」
「あんまり怒らないであげて下さい。この子も悪気があってやったわけでもないですから」
 シュリの言葉にがっくりうな垂れるルーファスに、カミーユは更に笑い声を大きくした。
「大丈夫です」、とシュリが言った。
「おまじないの道具を身に付ければ、勝手に火は吹けなくなりますから。それで、徐々に覚えていくはずです」
「そのまじない、殿下もしていただいたらどうです?」
「カミーユ、貴様ッ!」
「そんなことしたら、手足が動かなくなりますよ? それでもいいならやりますけれど」
 自覚なくまじめに答えるシュリのずれっぷりは、どうしたものだろう。
 ルーファスは脱力し、カミーユは笑えて仕方がない。
「ああ、それは困りますね。せめて、書類にサインできる程度には動かせないと」
「おまえの俺に対する評価はその程度か」
 唸る文句に、「冗談ですよ」、とカミーユはにっこり答えた。
「ご自分で克服していただくことで、鳥並の頭ではないことの証明にもなりますしね」
「乱暴はよくないです」
 思いの外、はっきりと口にするシュリは、相変わらず、わかっているのかわかっていないのか。
「……シュリ」
「物を壊すのはもったいないです。それに、怖いです」
 じっと見上げる緑の視線にルーファスは、う、と呻き声をあげ、たじろいだ。

 ――おやおや……

 立ち向かう事を知らず、すぐに倒れるどうしようもない娘だと思っていたが、ここにきてルーファスに対抗できる武器を見つけたらしい。
 これは使えるかもしれない。
 カミーユは固唾を呑んで成り行きを見守った。
 見つめあう事、暫し。
 ルーファスの方が折れた。
「……わかった……できるだけ自重する」
「キールもわかった? お父さんもこう言っているんだから、腹が立ったからって火を吹いちゃだめよ。周りの人が怖いし、困るから。嫌われちゃうわよ?」
 くぅ……
 鳥の首が伸びて、低く垂れ下がった。
「わかったなら、いいのよ」
 しょげる飼い主とペットの鳥を前に、シュリは綺麗な微笑みを浮かべた。
 よし!
 カミーユは内心でガッツポーズだ。
 ホームランになろうかというフェンスぎりぎりの打球を捕った気分。
 悪くないどころか、むしろ、良い。
 ケダモノにリード――調教師がついた。
 その関係は恋愛感情からはほど遠く、ルーファスにとっては不本意ではあろうが、彼女にとってはこの上ない貴重な人材だ。
 相当な天然だけれど。
 カミーユははじめてシュリの存在を認め、複雑そうな表情の主を見て、満足の笑みに変えた。




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