「あれえ、失敗しちゃった」
「殿下、お気をつけ下さい。練習用の剣とはいえ、当たればお怪我される場合もあります。御身に万が一のことあれば、私の首ひとつですめばよいですが、それ以上のことになれば、陛下や王妃さまが悲しまれましょう」
「うん、ごめんね。なにがあっても、先生のせいじゃないから。クビになんかにさせないから、安心して。ただ、ぼくは兄さまみたいに上手にはできないせいだから……だって、怖いんだもん。他人を傷つけるなんて、考えるだけで痛そうだし、可哀想だよ」
「アレックス殿下は本当にお優しくあられる。ルーファス殿下は別格です。あれはケダモ……いえ、人並み外れた方でいらっしゃるから比べられるものではありません。アレックス殿下はその御年にして、充分に剣を使いこなせていらっしゃいますよ」
「えへへ、先生こそ優しいね。ぼく、先生のこと頼りにしていいよね? きっと、なにがあっても、先生がいればだいじょうぶだよね!」
そんな鳥肌もたつ茶番が、何度繰り返されたことか。
王子に無邪気な笑顔満開で頼りにされた大人たちは、さぞかし良い気分だったにちがいない。
自意識をくすぐられ、己の本来の実力以上の能力を過信させられただけでなく。
取り巻きとしての地位が確定すれば、将来、得られるだろう栄華栄達を想像……いや、妄想して。
それを、ちょろい、と思わせるところが、アレックスの最初の一手だと露ほどにも疑わずに。
確証はないが、アレックスからは、どうやらそれを仕掛けんがために実力を偽っていた節すら感じられる。
すこし離れた場所では、別の指南役に同じ剣術指導を受けていたルーファスが、青あざ赤あざを作っていた。
現代社会では、間違いなく児童虐待で通報されるだろうレベルのしごきを受けていた。
「もうお終いですか? この程度を捌ききれないとは、殿下もまだまだですな。その程度の腕で、国を、兵を、民の命を守れるとお思いか? さあ、お立ちなさい! もう一度!」
「くそったれがあぁっ、いつか覚えていろよ!」
これが比較対照では、どちらが手懐けやすいかは一目瞭然。
その時、ルーファスは十歳そこそこ、アレックスは七歳ぐらい。
カミーユは、すでにルーファスの側にいたが、与えられた新しい生活環境にまだ怯えていた状態。
怯えながら、その両方を見ていた。
冷静に、幼な心に人間不信ばかりがピークにあった時期だったから、余計に冷静に。
だから、毒牙がかかるよりも早く気付けた。
結果として、今のポジションにいる。
此方、ルーファスは、すでにフェリスティアが心の中に巣く――棲みついていたから、この程度のことなら気にしていない……まだ、この頃は。
別に甘やかして欲しかったわけではないし、むしろ本望。
が、同時に馬鹿馬鹿しいことこの上ないことも確か。
この時のアレックスの剣術の指南役が、もういないことを含めて。
アレックスの指南役を務めていた男は、その何年か後、臨時稽古の名目でルーファスの暗殺を企てたので、返り討ちにしてあの世へ通じる川に流してやった。
彼だけではない。
飲み物に毒を混ぜた侍女とか、二階の窓から、『うっかり』ルーファスの頭上に鉄床を落とした家令とか、敵との混戦の最中、どさくさに紛れて剣を突き立ててきた騎士とか、自分が行った不正をルーファスたちに転嫁しようとした貴族とか、とか。
思春期にさしかかる頃には、そんな連中が繰り返しやってくるようになった。
飽きることなく。
ひとり片付ければ、半年後にまた別の者が来る、と言った具合に。
それは、当人が国にいようといるまいと関係なく。
しつこいこと、この上ない。
これは、もはや、一種の宗教だ。
アレックス教。
欲に目がくらみ、妄想の果てに洗脳された信者たちの目を覚まさせることほど難しいことはない。
これらに狙われて、よくもまあ、今まで生きてこれたと己で褒めたいくらい。
それだけルーファスも鍛えてきたし、鍛えられた。
やられたらやり返せ、ぐらいのノリで、手段を選ばず、権力の使い方や反撃も仕方を実践で学ぶ機会を得られたとすら思っている。
いい加減、鬱陶しいし、嫌になっているけれど、そう思いでもしないとやっていられない、というのが本音。
やられっぱなしは、もっと嫌だったから。
マジ死ぬから。
法も、正義も、理屈も関係ない。
殺るか、殺られるか、だ。
仁義なき戦い。
『お控えなすって!』、と挨拶する間もなく、『往生せいやぁっ!』。
しかし、そこまでされても、アレックスの名をルーファスたちは指したことがない。
信じてもらえない、という理由からだけでなく、立場上、そんなことが表面化すれば、内戦の引き金になりかねないからだ。
ルーファスにその気がなくても、アレックスにはめでたい思考をした貴族のファンや、面白がって引っかき回したがる大馬鹿もついてくるから、一歩、間違えれば、どう転ぶかわからないところがある。
つまり、国を人質にとられているようなものだ。
この点に於てはむかつくが、現状、どうしようもない。
実行犯のみを、ちまちまやっつけるに留まっている。
即位するまでの辛抱だ。
アレックスがいちばんに欲っしているのが、そのマジェストリアの王位継承権なのだから。
ルーファスだけが持つ、唯一の権利。
というか、それしかないだろう。
ルーファスの即位後、ルーファスにこどもが出来て成人するまでは、一時的にアレックスが第一継承権をもつことになるが、それで大人しくしないのであれば、反乱罪でもなんでもでっちあげるかして、退場させるつもりでいる。
それこそ、権力を使って。
その場合、従兄弟が繰り上がってくるが、この辺は大したことも出来ないとわかっているので、放っておいてもかまわない。
問題となるのは、アレックスただひとりだ。
しかし、万が一、仮にアレックスが王位を手にできたとしても、それでどうするつもりかルーファスたちにはわからない。
ただ、過去の出来事を顧みれば、あまり期待できないに違いないとは思う。
どうせ、政にも直ぐに飽きるだろうから。
王は不在となり、取り巻きの貴族や官僚が取り仕切る国となってどこまでやれるか、だ。
手綱が緩めば、私利私欲を求める者たちは必ず出てくるだろうし、民衆がどこまで黙っていられるか。
ルーファスも王となってうまくやれる保障はどこにもないが、そうならないよう努力するし、より良くするための準備もしている。
この先、アレックスとどう決着つけるまでは考える余裕もない状態だが、その内、嫌でも対峙しなければならない時が来ることはわかっている。
だが、兎に角、いまは耐え時だ。
ルーファスはカミーユに言った。
「おまえも気をつけろ。狙われているのはおまえも同じなのだからな」
アレックスを断りルーファスについた時点で、カミーユも排除対象にいれられた。
お陰で、伯父従兄弟の陰湿さに加えて、よりいっそうじめじめと、かびが生えそうな暗い幼少期になったことは間違いがない。
だが、『あれはあれで、仕方がない』、とカミーユ本人も諦めている。
運悪く事故に巻き込まれたのと同じと思って、『死ぬよりはましだったろう』、で片付けている。
深く考えたところで、結論が出るわけでもないから。
「わかっていますよ」、とカミーユも答えた。
「でも、産まれる順番が逆だったら、よかったのかもしれませんね」
「馬鹿を言え、あいつがそんな玉か。逆だともっと酷いことになっていたぞ。もっと陰湿な手をつかわれて、俺も今頃、生きていられたかどうかもわからん」
「まあ、それはあったかもしれませんね。徹底しているという点では、似たもの兄弟ですから」
「胸くそ悪い言い方はやめろ。あいつと似ているなんぞ、思われるだけでも怖気が走る」
「性格は水と油で、到底、混じり合いようもないですが」
「当然だ」
カミーユは溜め息を吐いた。
「しかし、レンカルトにおられる間は、こちらとしても手の出しようがないですね。また、厄介な国に留学先を決められたものだと思いますよ。そういうところは、絶対に外しませんね」
それには、ルーファスもうなずいた。
「一体なにを学んでいるかは知らないが、確実に人脈の幅は広げているだろうな、歓迎できない方向で。さっきの刺客もその方向でだろう。あいつが戻ってきた後の商取引には、じゅうぶん気をつける必要がある」
「そうですね。もし、アレックスさまの後ろ盾を得たすご腕のレンカルト商人がひとり参入するだけで、この国の商取引に影響をもたらす可能性もあるでしょう。分野によっては、相場が大きく崩れることにもなりかねません。良い方に動けばよいいですが、悪い方に動けば目も当てられません。それに貴族らが加担すれば、更に対処も難しくなるでしょう」
自由都市国家、レンカルト。
やじろべえの真ん中、東西の大陸を橋渡しする位置にあるこの国は、もともと商人が中心となって出来た国。
東西からの品物が一同に集まる貿易国家。
小国ながら、富と力を持つ国。
大陸に十二ある国の中でも、異色中の異色の国だ。
様々な民族が集い、手に入らないものはない、と言われている。
マニア垂涎のレアものから、ご禁制の品まで。
そして、人も。
ありとあらゆる快楽も悪行も、かなわないことはなにひとつない、とも言われる、なんでもありの国だ。
金さえあれば。
実際、魔硝石の件もレンカルトの商人に依頼すれば、容易く片付きもしただろう。
だが、それには、別のリスクが伴ったに違いない。
おそらく、現在以上の。
例えば、国家財産である間接魔法に関する『知』の流出とか。
そういう意味で、油断のならない国だ。
『この国にはない、あの国独特の気風や政のあり方を知りたいのです。商業を発展させる方法にも興味があります。それに、あそこでは、魔法に関する知識のほか、東西の様々な知を得ることも可能でしょう』
いざ、留学が避けられないものと知ると、そう言ってアレックスはビストリアを丸め込んで、行き先を決定した。
「まったく、厄介だ」
ルーファスたちには、頭が痛い話だ。
「はい、ですが、これに関しては後手に回るは致し方ないことでしょう。下手に先に手を出せば、それこそ我らの方が悪とされますので。焦れば負けです」
事件が起きなければ、警察は動けないのと同じ理屈。
なにか釈然としないけれど。
「わかっている」
眉間に太い縦皺を浮き立たせて、ルーファスは答えた。
「いずれにしても披露目には戻ってくるだろうから、なにかするとすれば、その時だな。こっちも早いところ決着をつけたいところだが、どう手を打ったものか……」
「なにかありましたかっ!?」
血相を変えたマーカスとジュリアスが走ってきた。
なんにせよ、第一次警戒警報発令だ。