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 魔硝石の研究はおもしろい。
 シュリにとっていちばん慣れた、理解できる分野であることもあるのだろう。
 とてもむずかしいけれど、手伝い甲斐がある。
 昨日は白い灰になりかけたテレンスもマーカスも、夕食後には復活していた。
 今朝、会った時には、ふたりとも目元に隈が浮き出ていて、ちょっと人相が悪くなりかけていた。
 昨夜は、ふたりともほとんど寝ずに研究をしていたそうだ。
 大丈夫か、と聞いたら、眠っている時間が惜しい、と揃って答えた。
 その甲斐あって、午後にシュリが合流した時には、前日とは魔方陣の形が変わっていて、しかも、二種類に増えていた。
 ひとつの魔方陣の内容をもうひとつの魔方陣が補足する、という形式に変えたようだ。
 魔方陣でこんなやり方があるなど、シュリは知らなかった。
 シュリの知っている魔方陣は、ひとつ限りで纏めたものでしかなかったから。
 しかも、その魔方陣もふたつを並べたり、重ねて、一見ではひとつの魔方陣のようにしたりなど、位置関係によって作用が変わってくるという。
 すごく面白い。
 それは精霊たちも同様なようで、わらわらと集まってきては手を出したり、興味深げに覗いている。
 まだ紙上のものであるので精霊たちが触れても作用は生じないが、完成を楽しみに待っているようだ。
 そして、今、マーカスとテレンスは二手にわかれて、それぞれに研究を進めている最中だ。
 テレンスは石の力の吸収性を上げる方向で、再加工に加えるのに適した素材を探し、マーカスは魔方陣の研究。
 シュリはマーカスとテレンスの両方を手伝っている。
 そして、ジュリアスがテレンスを手伝っている。
 みな、真剣だ。
 ただ、ひとつだけ気になるのは、マーカスの様子がどこかおかしい感じがすること。
 しゃかりきになって魔方陣に取り組んでいたかと思うと、急に、もやん、とする。
 唐突に、頭ぜんたいに靄がかかっているかのような表情を浮かべて、宙を見つめる。
 困っている風でもないのだが、上の空。
 単に寝不足のせいかもしれないかもしれないけれど、それだけじゃないような気もする。
 口元がだらしなく緩んでいたり、眉間に縦皺を寄せていたりと、その時々で表情が違うから。
「ううん、これもまた駄目みたいですね。精霊たちにはむずかしすぎるのか、混乱しているみたいです。やはり、条件が複数重なっているのがいけないのかな? どう思いますか、マーカスさん」

 もやん。

 まただ。
 今度は、眉が八の字を描いている。
 なんだか、情けないような顔だ。
「マーカスさん? マーカスさん!」
「あ、ああ、ごめん。ちょっと、ぼうっとしてて……なんの話だっけ?」
「疲れたのなら、すこし休みますか?」
 特製の薬湯を作って、飲ませてあげた方がいいかもしれない。
「ああ、大丈夫。平気だから」

 きゅんわ、きゅんわ、きゅんわ、きゅんわ! きゅんわ、きゅんわ、きゅんわ、きゅんわ!

 突然、耳慣れない妙な音が響き渡った。
 耳を塞ぎたくなるほどではないが、大きな音だ。
 途端、マーカスが飛び上がるように立ち上がった。
「なんの音ですか?」
「シュリさん、この部屋から出ないで! ここでじっとしているんだ! いいねっ! 絶対だよ!」
 マーカスは慌てたように言うと、部屋から飛び出していった。
 その後を追うように、ジュリアスも駆けていくのが見えた。
「なにかあったんでしょうか」
 やはり、取り残されたテレンスの所へ行って訊ねてみたが、「さあ」、と首を捻る答えだった。
「ジュリアスには、ここから動くな、と言われたので、大人しく待っていた方がいいでしょう」
「あ、音がやみました」
「まあ、大したことはなかったということなのでしょう。ふたりともすぐに戻ってくるでしょう」
 テレンスは僅かに疲労の色を濃くした顔をほころばせた。
「ところで、そちらはどうですか? 精霊たちに持ってきてもらった好きな石に、なにか効果はありましたか?」
 シュリの質問に、テレンスは、ああ、と笑った。
「まだ、一部しか試していませんが、なかなか興味深い結果が出ましたよ。確かに、魔硝石だけで固めるのとは性質が変わってきますね。魔力の放出量が変わりました。まだ詳しくはわからないが、配合の仕方によってもちがうようだ」
 ちいさな精霊は、その身体の大きさにあった小さくて軽い物しか運べない。
 それでも、愛娘の頼みでそれぞれ米粒大の小石を、色々と運んできてくれた。
 それから石の種類を割り出し、細かく砕いて魔硝石の粉末に混ぜ込むことをテレンスは行っている。
「石の種類はわかったんですか?」
「ええ、そうですね。今のところは三種類の石に限るようですから、これらの組み合わせによっても変わってくるでしょう」
 より吸収力がアップ出来るものが見つかるかどうかはわからないが、見込みはありそうということだ。
「シュリさんにお聞きしたいことがあるのですが。精霊のことで」
「はい、なんでしょう」
「昨日の話ですと、精霊は、それぞれの魔方陣の目的がわかって作動させているわけではないんですよね」
「そうですね。たぶん、そうだと思います。作動させることで起きた結果を喜んでいるようです」
「だとすると、例えば、精霊に事前に『こうこうこうしたいから』と教えるということは出来ないんですか? 目的を伝えて、そのように作動してもらうというわけには?」
「ええと、それは学ばせるということでしょうか」
「そうです」
「じゃあ、無理です。伝えることはできても、教えることはできません」
 シュリは答えた。
「シュリさんでも?」
「わたしでも無理です。お願いして一回はできるでしょうけれど、ずっとは無理です。人のように学んで、その後も継続してその通りに動くとか、工夫を加えてということは、精霊にはできないんです」
「つまり、失礼な言い方にもなりますが、学習能力はないということですか」
「ううん、そうですね。『もし、精霊にそれが可能となれば、人は魔術を使って天候をも操れることになってしまう』、と前に師匠は言っていました」
「ああ、そうか……そういうことになりますか。もし、悪用する者がいたら、困ったことになる」
「はい。理由としては、『そもそも、魔女も含めて精霊には、時の流れというものが存在しないから』、と説明を受けました。 『過去も現在も未来もなく、一定の時間の中で漂い続けているようなものだ』、と。生き物は時の影響を受けるから進歩もするし衰えもするけれど、魔女や精霊にはそれがないから、変わるのは周囲の環境や状況だけしかないって」
 ああ、とテレンスが得心がいったように声に出した。
「時がないから、進化も進歩もない。精霊自身にとっては、ずっと、なにもない空間にいるようなものなわけだ。だから、目に見えて明らかな変化を生む魔方陣の作用が、精霊にとっては面白いわけですね」
「そういうことだと思います」
 シュリもうなずいた。
「『魔女は、物を創り出すことが出来ない』が、一時期の師匠の口癖でした。事象を起こすことは出来ても、本当の意味で新しい物を生じさせる事はできないし、新しい知識を得て理解することは出来ても、それを使って創造することは出来ないって」
「あるものをあるがままに受け入れることしかできない。発展できないということですか」
「そういう意味だと思います」
 ふむ、とテレンスは考える表情を浮かべた。
「そうそう都合よくいかない、というわけですか……」
 呟きに首を捻れば、苦笑が返された。
「いや、私のような者には、不老不死は憧れのようなものでしてね。ひとつの研究に長年携わって、完成まで導ければ良いが、そうならない可能性も常に感じているのですよ。中途半端のまま、なにひとつ成せぬままに老いて死ぬか、そうでなくても、天災や不慮の事故で死んでしまうかもしれない。そう考えると、悔しくてならないし、恐ろしくもあるのです。だから、魔女のように時に限りがなければ、ずっと研究を続けて自分の手で完成させることも出来る、と考えてしまうのです。ですが、今の話ですと、そうはなれないということでしょう?」
「ああ、そうですね」
「でしょう? だったら、不老不死になったとしても、私にとっては意味がないことになる。だったら、それよりも、起る変化を楽しむ方を選びます。良いことも、悪いこともね」
 テレンスは穏やかに微笑んだ。
「シュリさんは、師匠の後を継いで魔女になるのですか?」
「……まだ、わかりません。前は、そうなるんだと思っていたんですけれど、最近、色んな人と話している内に、わからなくなっちゃって……」
「そうなんですか」
「はい。魔女になっても、わたしはまったく別のわたしになっちゃうと聞いて……。でも、やっぱり魔女にもなりたいって気持ちもあるんです。お師匠さまみたいになりたいって、ずっと思ってきましたから」
 いつの間にか俯いていた頭をシュリはあげた。
 すると、彼女を見ているテレンスの優しげな微笑みが目に入った。
 不思議だった。
 森の家から浚われて出てきてから、たくさんの人に会って親切にも優しくもしてもらったが、人それぞれに優しさがちがっていた。
 考え方も行動も、みな違う。
 精霊たちはとても優しいけれど、みんないっしょの優しさだ。
 考え方も行動も、みな同じ。
 これも、時の流れの中に生きているかいないかの違いなのかもしれない、とシュリは思った。
「お師匠さまは、魔女になりたくなければそれでもいい、って言ってくれました。もし、魔女になりたければ、自然とそのような流れになるからって。ぜんぶ、わたしの意志次第だって言いました。でも、今のわたしは、どちらにするか決められないのです。でも、今度の儀式が失敗すれば、わたしの意志とは関係なく、魔女になる可能性があるんです。だから、こんな決められない状態で儀式に臨んでいいのかと思って……」
 膝の上に置いていたシュリの手の甲が、痛くもなく二度軽く叩かれた。
「そういう大事な答えは、黙っていても自ずと向こうからやってきますよ。降ってくるように来ることもあれば、時間をかけてゆっくりと定まっていく場合もあります。他人から与えられる時だってあります。その時まで、悩みすぎない程度に、真剣に答えを求めてさえいればいいのです」
「でも、決まらなかったら? 決められないままに、魔女になるかもしれません」
「必ずやって来ます。例えぎりぎりであっても。そういうものです」
 本当にやってくるのだろうか、そんな時が。
 疑わしい。
 だが、テレンスの穏やかな顔を見ていたら、本当かもしれないと思えた。
 まだ、よくわからないけれど……でも、今はこのままでいいらしい、とも思った。
 シュリはゆっくりと静かに、溜めていた息を吐き出した。
「そういうものですか」
「そういうものですよ」
 テレンスはにっこりと笑んだ。
「気を楽にお持ちなさい。まずは、お茶でも飲んで」
「はい」
 シュリは、テレンスに笑い返した。




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