22




 キルディバランド夫人におまじないをした次の日、カミーユがシュリを呼びに来た。
「宝物庫の鍵を王子より預かってきました。見たいのでしょう、黄金のたらいを」
「あ、はい。ありがとうございます……」
 まさか、カミーユが来るとは思っていなかったシュリは、まだわずかに怖けながらも頷いた。
 キルディバランド夫人は素知らぬ顔をしていたが、周囲の空気を硬直させていた。
「では、参りましょうか。こちらです」
 おそらく、彼女たちの反応に気付いているだろうに、カミーユの浮かべたにこやかな笑みはすこしも崩れることはなかった。

 カミーユ・ラスティス・ド・ガレサンドロ伯爵令嬢。
 考えてみれば、この人もよくわからない人だ、とシュリはその後をついていきながら思う。
『女だてらに男の恰好をして政治の真似事をし、少年を脇にはべらせては常に奸計をめぐらし、王子を悪の道へと誑かす牝狐』
 キルディバランド夫人の弁を借りれば、そういう人らしい。
 夫人はそれを更に端的にして、『腹黒』と呼んだ。
 もし、本当であれば、とんでもない人だ。
 そして、師匠も、性格だけ見ればシュリよりも魔女に向いている、と言っていた。
 その意味するところは、己の真実をみせない、ということだろう。
 魔女は秘密でできている。
 その辺が下手なシュリが、たちうちできる相手ではないに違いない。
 しかし、他人の話を鵜呑みにしてもいけないのだ。
 ある程度、人を信用することは必要だが、信用しすぎてもいけない。
 その辺のバランスが大事なのだ、と師匠は口をすっぱくして、シュリに注意したものだ。時には、実践も含めて。
 何度もシュリは師匠に騙された。何度も余計な仕事をさせられもした。
「まあ、自分で対処できる範囲ならば、騙されることはそうわるいことばかりではないけれどね。ただ、先入観だけは持たないようにしなさい。自分の目と耳でたしかめること。それが一番、重要なことだよ」
 カミーユに対しても、それが必要なことのように思われた。
 
 宝物庫に行き着くまで、きょうも随分な距離を歩かされた。
 どうやら広い宮殿でも奥まった場所であり、階段をひとつ降りた地下にあった。
 大きな扉の前には、槍と鎧で武装した屈強な体つきの衛兵がふたり立っていた。
「王子の許可はいただいております」
 カミーユがそう言って鍵についた札を見せると、両側からクロスさせていた槍を解いた。
 観音開きになった大きな扉を開けると、自然と薄い灯がともった。
 最低限の明るさを保つようにしてあるらしい。広い部屋に様々な物が、所狭しと置かれているのがわかる程度の明るさだ。それがなんであるか判別ぐらいはできるようになっていた。
 整理もされているだろうし、宝物庫だけあって、ひとつひとつの物も良い物なのだろうが、雑然として感じた。有り難みもあまり感じない。
 しかし、それよりもなによりも。
 その中央に鎮座する物に、シュリは唖然として眼が釘づけになっていた。
 放りだしてあると言っても良いだろう。
 薄暗い部屋のなかでも、燦然と輝く黄金の塊。
 大きさはバスタブ以上。
 シュリが、詰めれば十人は入れるほどの大きさがある。厚みも彼女の手でやっと握れるくらいある。
 だが、その実態は、金だらい。
 見紛うことなく、間違いなく、金だらい以外のなにものでもない。
「うわあ」
 それ以上の声も出ない。
 豪華だ。
 豪華だが、なんともしようがない。
 溶かして金塊に変えるにしても、これを溶かせるほどの大きな窯がどこにあるというのか。
 しかし、金だらいとして使うわけにもいくまい。
「うわあ……」
 シュリはもういちど、声をあげた。
 確かに、こんなものを作ろうなどという者はいないだろう、と思う。いたら、正気を疑う。
 見ているだけでお腹一杯。
 何故か、ひどく疲れを感じた。
 黄金の価値を疑う一品だった。
 マーカスが遠い眼になったわけだ、と得心がいった。
「こういうものです」
 カミーユは淡々と言った。
 ほかに説明のしようもないのだろう。
「ええと、これが落ちてきたんですか? 王子さまが魔法を使った時に?」
「そうです」
「ええと、そもそもなんで魔法なんか使ったんですか? どんなのであれ金だらいが落ちてくることがわかっていて」
「仕方がなかったのです」
 シュリの質問に、カミーユは無表情のまま答えた。
「使わなければ、殿下は間違いなく死んでいました」
「だれかと戦ったのですか?」
「ええ、ドラゴンと」
「ドラゴン!?」
 また、とんでもない話だった。

 かれこれ、いまから四年ほど前のこと。ルーファス王子が二十歳の頃の話だ。
 一頭のドラゴンが、国外れにある村近くの洞窟にいるのがみつかったという知らせが入った。
 別に暴れていたわけでもなかったが、ルーファス王子が先頭に立ち、すぐに退治するための兵が差し向けられた。

「なにもしていなかったのに、退治しようとしたんですか?」
 ドラゴンは個体数もすくなく、滅多に人眼につくことはないが、世界最強の生物と言われている。
 身体的な強さもさることながら、魔法も使える。
 個体によって、その能力はさまざま。
 火を吐くものもいれば、息ひとつで、周囲を一瞬で凍らせるものまでいる。
 人に慣れることはなく、一度、暴れはじめたら人の手には負えない、というのが、一般的な話だ。
 シュリの師匠の説明では、ドラゴンは神代期からすでに棲息していたらしいと言う。生物というより、精霊が凝り固まったものに近いという。
 そんなものを相手にしようなどと、尋常なことではない。
 無茶を通り越して無謀だ。
 シュリの質問に、カミーユは琥珀色の瞳を投げ掛けて問い返した。
「ドラゴンによるクラディオン国滅亡の話は御存知ですか?」
「……ああ、はい」
「あれもあって、我が国ではドラゴンは特に忌むべき存在です。放置などしておけません」
「でも、わざわざ立ち向かうっていうのは、」
「確かに。ですが、近々、なにかが起きてからでは遅いのです。まず、真っ先に被害をこうむるのは、近くに暮らす民であり、国は民を守る義務と責任があります。王子はそれをよくわかってらっしゃる方ですから」

 ドラゴンは、洞窟で眠っているようだった。
 大人しい内に一気に葬ってしまおう、と作戦がたてられ、実行に移された。
 すべてが計算通りにいった。
 だが、ひとつだけ見誤ったことがあった。
 それは、ドラゴンの強さだった。

「ドラゴンを鎖で縛り、その上から更に魔法で結界を張って逃げないようにしてから討つつもりでした。実際に、そうしました。ですが、いざ、討つ段になって、剣や槍が通用しませんでした。すべて皮膚で弾かれてしまいました。傷ひとつ負わせることが出来ませんでした」
 さもありなん、とシュリは思った。
「それで、どうしたんですか?」
「間接魔法で強風を起こし、傷をつけてみようということになりました。刃は通じずとも、魔法ならば通用するのではないか、と。傷さえできれば、そこに刃を突き通すことは可能でしょうから。幸いドラゴンはまだ眠ったままでしたので、準備する間もありました。実際、上手くいきました。あれだけ固かった皮膚にいくつかの裂け目を作ることができました。しかし、同時にドラゴンを目覚めさせてしまいました」

 眠っていたところを叩き起こされ傷ついたドラゴンは、暴れはじめた。
 身を縛っていた鎖を引きちぎり、ばらばらにした。
 結界は、一瞬にして砕け散った。
 閉じていた翼の羽ばたきひとつで兵士たちを吹き飛ばし、息のひと吹きで氷付けにした。
 百人もの兵士が、あっという間に怪我を負い、戦闘不能となった。
 その中でルーファス王子はドラゴンに深手を負わせたものの、自身も爪の一振りで背中に重症を負った。
「あらかじめ魔法による守備強化を行っていたお陰で、命こそ助かりましたが、酷い怪我でした。いまでもその傷痕は残っています」
「それでどうしたんですか?」
「身体を引き摺って戦われましたよ。血まみれになって。目覚めたドラゴンを放っておくわけにいきませんし、動けなくなった兵士たちをそのままにしておくわけにはいきませんから。けれど、起きてしまったドラゴンにはおいそれと近付くことさえかなわない。ただ、魔法が有効であることはわかりましたから、最後の力を振り絞って、もてうる魔力をすべて使って炎の魔法を放ちました。ふたたび風を起こし、威力を増した炎でドラゴンを丸焼きにしました」
「ドラゴンを丸焼きっ!?」
「ええ。ほとんど消し炭状態でした。皮の一部でも残っていれば、よい防具にもなったでしょうが。でも、その炎で、凍っていた兵士たちの氷も溶けて、彼等も無事に救出されました。わたしも傍で見ていましたが、あれは凄かったです。同じ人間とは思えないほどに」

 並みの人間が持つには過ぎた魔力と言えるだろう。
 その証拠が、目の前にある純金の巨大金だらいだ。
 周囲に残っていた者たちが飛びついて、落ちてくるそれから王子を守ったというのが本当のところであった。

 どっせぇいっ!!

 力尽きた王子をいっせいに取り囲む、筋肉むきむきの力自慢の男たち。
 十人以上はいただろうか。
 はち切れんばかりに盛り上がる上腕二頭筋。張りつめる背筋。極限にまで伸びきる僧帽筋。
 段々バラバラの割れた腹筋に力を込め、全身の力を両腕に注ぎ込み、落ちてくる金の金だらいを受け止めた。
 滴り落ちる汗に、くっきり浮かび上がる青筋。踏ん張るだけで足が地面にめりこむほどであったという。
 その間に、倒れたルーファス王子をのこったカミーユたちが下から引き摺りだした。
 大怪我を負ったうえに、魔力と気力と体力を使い果たしたルーファス王子は、既に瀕死の状態だった。
 その場で応急手当を施し、急いで王宮に運んだ時には、意識もなかった。
 それから本格的な治療を行い、三日間の昏睡状態を抜けて、奇跡的に一命を取り留めた。

「なんというか、その……」
 シュリはなんと答えれば良いのかわからず、呆然と目の前にある円形の物体を眺める。
 ルーファス王子のしたことは勇敢で、おそらく立派なことなのだろう。
 命をかけて、人々を守ったのだから。
 しかし、金だらい。純金製でも、やっぱり金だらい。
 英雄譚として語るには、なんとも物悲しい思いにかられる。
「助かったからよかったものの、下手をすれば、我が国は大切な方を失うところでした。もし、この呪いさえなければ、あの時、殿下の怪我もすぐに治すことができたでしょうし、あんな危険を犯す必要もなかったでしょう」
 カミーユの声からは、語り終るまで、感情も感傷も感じられなかった。




 ≪ back  index  next ≫ 



inserted by FC2 system