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 マジェストリア王宮の朝は、他国よりも遅い。
 他国が日の出とともに動き出すのにくらべて、マジェストリアでは朝日が上りきった頃にようやく動き出す。
 その理由は、独自で発展をとげた間接魔法にある。
 なにをするにも手間がかからず、早い。
 湯ひとつ沸かすにしても、竃の中に薪をくべて火加減を見ながらよりも、専用の台の上に水の入ったやかんをおき、スイッチひとつひねるだけの方が簡単だ。
 勿論、火加減も自由自在。
 ひとつひとつは大した時間差ではなくとも、すべてを換算すれば、余裕がうまれる。
 そのぶんだけ、あたたかい布団のなかでゆっくり過すことができる。
 あと五分、あと十分、とつぶやきながらすごす、至福の時。
 それでいながら、通勤時の電車の乗り継ぎごとに全速力で走る必要がない。
 それぐらいの差がある。
 ささやかな違いではあるが、それのなんと有り難いことか!
 他国がこの技術を欲しがる理由は、案外、こんなところが動機であったりするかもしれない。
 それは兎も角。
 キルディバランド夫人がシュリの部屋を訪れた時間に、ルーファスも目覚めの時を迎えた。
 昨日の出来事が、彼の精神にも多少の影響を及ぼしたらしく、すっきりとした目覚めというわけではなかった。
 だが、それでも、多少。
 日常生活や普段の義務を遂行するのに、なんら支障のない程度だ。
 時間をかけることなく起床したのち、身支度も兼ねて浴室へ。
 部屋に戻ってくる頃には、朝食の用意が整っている。
 これが、大体、七時半過ぎ。
 国王と女王王妃、主立った大臣たちが集まっての朝儀は、いつも八時半から四十五分ごろに開始。
 だから、八時二十分前後にカミーユが迎えに来るまで、ひとりでゆったりとした時間をすごすのが日課だ。
 彼にとっては、貴重な時間。
 だが、その日の朝はすこし違った。
 八時よりすこし前に、カミーユが姿を現した。
 かっちりと上衣を着込んだ外見からして、自分の執務室に寄らずに、直行してきたようだ。
「なにがあった」
「登城した際、騒ぎを目にしましたので、警備上の影響もあるかと思い、一応、報告に伺いました」
 騒ぎと言いつつ、カミーユに慌てた様子は見受けられない。
「誰ぞが派手な痴話喧嘩でもしていたか」
 過去にいちどあった話だ。
 貴族同士の三角関係からの取っ組み合いの喧嘩。
 そこそこ力のある貴族同士であったので、双方の味方を巻込んでの大した騒ぎになったことがある。
「であれば、こちらで処理いたします」
「では、なんだ」
「はい、内容自体は大した話ではないのですが、東側の庭の一角で植物が異様に繁殖しているようです」
「そんなことか。伸びた草など、庭師に刈らせれば良いだろう」
「はい。ですが、その庭師の手に余るようでして。いま、ほかの者の手も借りて、必死で刈っているようですが、追い付かない状態だそうです」
 ふ、とパンを切るナイフを持つ手がとまった。
 それを見つめながら、カミーユは言った。
「草木が刈ったその先から成長し、凄まじい勢いで数をふやしているのだそうです。どれだけ刈ろうとも減るどころかますます茂り、庭が原形を留めていない状態だそうです。このままでは、王宮中が森に覆われることになるだろうと感じられるほどの勢いだそうです」
 俄に信じがたい話だ。
 冗談か、と答えるにも冗談を言っている顔に見えないし、彼の側近はそんな類の冗談を言うことはない。
「なんだそれは。なにが原因だ?」
 努めて平静を保ったまま、重ねて問う。
 カミーユは首を横に振った。
「わかりません。まだ庭だけのことですし、植物が増えているだけですので、さしせまった危険というわけではないでしょうが、この先、どうなるかもわかりません。場合によっては避難も必要かと」
「東側と言えば、お祖母様がおられたな」
「はい。太后殿下の離宮には届いてはおりませんが、」
 と、ことばが途中で断ち切られた。
 整った顔だちに僅かに驚きの表情が浮かび、そして、深刻なものに変わった。
「どうした」
 側近の変化にルーファスは問いかけ、その視線の先を辿って背後の窓へと頭を巡らせた。
 二階の南向きの部屋から見える、いつもと変わらない風景。
 空が大半を占める。
 本日の空模様は、薄曇り。
 その他には、窓枠にかかる蔦草の一部が見えるだけ。
 いや、とルーファスは否定した。
 あそこにあんな蔦草はあったか?
 そう考えている間に、その葉が動いたように見えた。
 風に揺れるのではなく、上に向かって位置が移動したかのように感じた。
 しばらく、じっ、と目を凝らして観察する。
 間違いない。
 蔦草は生長している。
 物凄い早さで。
 そう気付いた時、ルーファスは立ち上がった。
 窓に近付き開け放つと、直下の庭を見下ろした。
 彼でなくとも気付くほどに、緑色の占める割合が増えていた。
 こうして見る間も、急速に土の色が隠されていくのがわかる。
 異常事態だ。
 口にするまでもなく。
「一体、なにが起きている」
「すごいですね。こちら側まで広がってきていますか」
 答えるつもりもない様子でカミーユは言った。
「どうされますか」
「原因を突き止める」
 ルーファスは窓に背を向けると、テーブルの前を通りすぎて扉へと向かった。
 召使いが慌てて差し出す剣も、大股で歩きながら受け取る。
 そのあとをカミーユは追った。
「避難は」
「まだ必要ない。が、事が収まるまで、全門を閉鎖。誰であろうと、出入りを禁じる。離宮も含めた王宮内にいる者に関しては、許可するまで誰も一歩も外にはでるなと伝えろ。植物が中に入らないように、戸口や窓などすべて閉めさせ、大人しく待機。兵で手の空いている者は、庭師たちの指示に従い、手を貸すように伝令しろ。俺はオヤジたちのところへ報告に行った後、東側へまわる」
「御意」
 廊下にでてすぐ、ふたりはわかれ、急ぎ足で己の務めを果たすためにそれぞれの方向へと向かった。




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