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 例えば、朝、起きて、窓のカーテンを開けた途端、目の前にジャングルが広がっていたら驚くだろう。
 そして、それをどうすべきか、即座に判断がつく者などいまい。
 いま、ルーファスは、そのまんまの状況に置かれている。
 そして、一国をあずかる身として、どのような状況下に置かれても、それなりに対処ができるだけの知識と自信も持ちあわせていた彼でさえ、どうすればよいか悩んだ。
 他国の敵が攻めてきた、という内容の方が、まだいくつかの良策が浮かんだだろう。
 しかし、目の前にある敵と呼べるものは、植物だ。
 手も足も口もない。
 よって、牙も爪もない。
 人を襲っているわけではない。
 ただ、わっさわっさと増殖し、ひたすら草木を生い茂らせている。
 節操なく。
「なんなんだ、これは!」
 いつもとはちがう風景の中を歩きながら、ひとり苛立ちながら呟く。
 普通、緑は人の精神を穏やかにさせると言われるが、こうまで増えられると逆効果。
 本能的なところで、危機感を感じさせる。
 同時に、向かってくるわけではない得体がしれない相手を前に、どう対処すべきか判断に迷う。
 広いセルリア大陸には、人種以上に植物は何千何百種類もあるが、いまだ人をこんなふうに脅かした話はひとつとして聞いたことがない。
 ルーファスにとって植物は、人の側近くにあって、物を作るための原材料となり、食物とされ、肥料となり、薬とされる。また、そうでないものも、香りを含めた姿を愛でるぐらいの存在だった。
 取るに足らない存在。
 なのに、いま、それに脅かされている。
 もし、このまま植物が増え続けたらどうなるか?
 想像がつかない。
 だが、きっと、どうにもならないだろうとは思う。
 ただ、ここに暮らしてはいられなくなるだろう、というくらいだ。
 では、このまま、王宮を植物に明け渡して引っ越す?
 それこそ、ナンセンスだ!
 断じて、あってはならないことだ。
 武器を握る手も足もないものに、一国の柱ともいうべき王が住まう宮殿を蹂躙されるなど!
 民へのしめしがつかない。
 取るに足らないものに屈する、無能な王族を戴いていると証明するようなものだ!
 他国にまで話が流れれば、馬鹿にされたあげくに更なる辛酸をなめることになるか、攻め込まれる危険もないとは言い切れない。
 たかが、植物の繁殖。
 されど、植物の繁殖。
 己の矜持を傷つけるだけの問題ではない。
 一国を統べる者の一員として、対応次第によっては、重大かつ重要な要素を含んでいることをルーファスは理解していた。
 しかし、それにしても、なにが起きているのか。
 東側の庭と話に聞いたにも関らず、現在地の南側の庭も元の見る影を失いつつある。
 こうして歩いている間も、刻々と庭は姿を変え、植物の増える勢いが増しているようにも感じる。
 整えられていたバラの庭はほかの植物が混在し、あれだけ唯一の花であるかのように咲き誇っていたバラ自体は、ただの雑草にしか見えない。
 ただ、匂いばかりが名残をとどめる。
 清潔だったはずの廻廊は、大理石の柱と言わず、天井や床まで植物の蔓や根がはびこり、歩きにくいことこの上ない。
 上から垂下っていた蔦を払い除けるのに気を取られ、盛り上がった根っこに足を取られそうになった。
 ちっ、と憎々しげな舌打ちも出る。
「殿下っ!」
 彼の姿を認めて、数人の騎士が走り寄ってきた。
 うち、ひとりの騎士が、目の前で派手にすっ転んだ。
「し、失礼を……」
「かまうな。状況は」
 そろって頼りなくも戸惑う面々を、苦々しく見回す。
 ドラゴンを前にしても、ここまで情けない表情を浮かべることはなかったと思う。
「現在、東側の庭が最もひどい有り様で、庭師たちを先頭に手当たり次第に刈り取ってはいますが、それ以上に植物の侵攻がはやく、南方向に向かって範囲を広げつつあります。いまは後退しながら、なんとか食い止めようと努力しております」
 ことば使いは重々しいが、やはり、ただの植物の異常繁殖だ。
「建物に被害は」
「現在のところ、ここと同じく、根や蔓が這う程度で、直接の被害は報告されておりません」
「北側は」
「多少、苔が広がった程度で、殆ど影響を受けてはおりません。西側も同様であります」
「なるほど、陽当たりの良い方から増えるか」
 さて、どうしたものか、とルーファスは考える。
 考えながら、一瞬、なにかを思い出しかけたが、形になる前に散じてしまった。
「とりあえず、おまえ」
 転んで起き上がった騎士を指名した。
「おまえは、魔法師たちをいるだけ呼んで、東広間に集めろ。ほかの者たちは手の空いている者に手伝わせて、桶でもなんでもいい、ありったけの器をかき集めて、水を汲んでおけ。用意ができたら、同じく東広間に集めて待機」
「殿下、まさか」
「一本残らず、燃やし尽くす」
 ハリネズミの庭師が聞けば卒倒するだろう結論を、眉ひとつ動かさず言い放った。
「わかったら、早く行け!」
「はッ!」
 騎士達は、声におされるように走り出した。
 そして、また、すぐに転んだ。




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