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 シュリが行方不明。
 しかも、熱をだして、おそらく今もふらふらだろう状態で、どこにいったかわからないと言う。
 これまで目礼でしか付き合いのなかったキルディバランド夫人の突然の訪れにマーカスは驚き、その話の中身には、大袈裟に驚いた振りをみせた。
 あくまでも、振り、だ。
 本音としては、

 ――ああ、やっぱり……

 シュリが王子の相手に相応しいかどうかは置いておいて、本人がそれを望んでいないことは明白だったから。
 だが、王子相手に否とは言えず、できる方策としては、逃げ出すことぐらいだ。
 間近で見てみぬ振りをしていた彼としては、うまく逃げおおせてくれればよいと思いながらも、心配でもある。
「熱を出しているって、悪いんですか?」
「良いとは言えないでしょう。御典医殿の見立てでは、心労からきたものだろうということなので」
「ああ」
 さもありなん、とマーカスは頷いた。
 しかし、念の為に訊ねてみる。
「何者かに攫われたとかはないんでしょうか」
「それはないかと思われます。部屋に荒らされた様子はありませんし、脱いだ服もきちんと畳まれておりました」
「ああ、では、自分の意志で出ていったと考えるほうが自然ですね」
「ええ。それで、貴方さまならばシュリ様をご存知でらっしゃるし、シュリ様も警戒をされないでしょう。ですから、さがしだす手伝いをしていただきたいのです。殿下にはこのことは、まだ伏せてあります。できれば、内密のうちに連れ戻していただきたいのです。でなければ……」
 暴れる。
 間違いなく、ルーファスが暴れる。
 惨状が目に浮かぶようだ。
「ああ、そういうことですか」
 マーカスは、嘆息した。
「この先どうなろうとも、このまま放っておいては、双方ともにけっしてよいことにはならないでしょう」
 自分たちにとっても。
「……そうですね」

 ――できれば、見逃してあげたいけれどなあ。

 だが、昨日のルーファスの様子からして、簡単に諦めることはしないだろうと思われる。
 おそらく、気付いた時点で草の根わけてもさがしだし、あとを追いかけるだろう。
 それこそ、地の果てまで。
 想像するだけで、マーカスは背筋が寒くなる思いがした。
「それで、なにか手掛かりは見つかりましたか」
「それが、ございませんの。窓から庭へでていかれたというぐらいで。護衛の者たちが庭をさがしておりますけれど、本当にどこへ行ったか、皆目みつからないということですの」
「ああ、まあ、そうでしょうねえ」
 ああ見えても、シュリは魔女見習いという以前に、荒野のど真ん中にひとり放りだされても生き延びられるという野生児だ。庭で、兵士たちから身を隠して逃げるぐらい、お手のものだろう。
 たとえ、本調子でなくとも。
 それだけ必死であるに違いないと、マーカスは誤解したまま思った。
 キルディバランド夫人は、真剣な表情で彼に言った。
「ですから、魔法師であるあなたにもご協力ねがいたいのです。魔女の力を使っているとなれば、私たちでは手に負えませんので」
「と、言われても」
「すでに、王宮の外に出られたかもしれませんわ。それこそ、鳥などに姿を変えて。ひょっとして、ご自分の家に戻られたのかも。イディスハプルと聞きましたが」
「ああ、それはないでしょう。彼女はそういうことは出来ないそうですから」
 マーカスは否定した。
「あら、そうですの?」
 意外そうな返事だった。
 どうやら、世話係とは言え、すべてを知っているわけではないらしいと、マーカスは気付いた。
「でも、シュリさまの師匠である魔女は鳥や猫に姿を変えておりましたわよ」
「え、魔女にお会いになられたんですか?」
「会ったというか、見かけたというか。いえ、そんなことはどうでもよいのです。問題はシュリ様です。外には出ておられない?」
「え、ああ、まあ、そうですね。彼女は、まだそういったことはできないと聞きました。逃げるにも、門を出るか、壁を乗り越えるかしないといけませんしね。門から出ようとすれば、彼女は許可証を持っていないでしょうから、門兵に引き留められているでしょうし、壁を乗り越えようとすれば、出られたとしても、障壁に引っ掛かってすぐにわかりますし」
 魔女の話に興味を残しつつ、マーカスは説明した。
「障壁?」
「ええ。あまり知られてはいませんが、王宮の城壁全体に、常時、魔法の障壁がほどこされているんです。防御としては大したことないのですが、入るにしろ、出るにしろ、指定以外の場所から壁を乗り越えようとする者がいれば、すぐに探知できるようになっているんです。そして、方角によって違う音が鳴る仕掛けになっています。ですから、不審な出入りがあれば、付近にいる見張りの兵たちに、すぐに捕縛されます」
 外敵の侵入、あるいは、内に潜んだ敵の逃亡を阻止するためだ。
 勿論、攻撃をうけても反応する。
 鳥や動物などは区別して反応しない。
 平たくいえば、非常用警報ベル。
 この世界では、まだ珍しいものだ。
 実はこれがあるから、庭の方の警備体制を若干、緩めることが可能だった。
 これも、ここ十年内の魔法研究の成果のひとつ。
「まあ、そうでしたの。ちっとも、存じ上げませんでしたわ」
 夫人の感心したようすの答えに、マーカスはひとつ咳払いをした。
「まあ、関係のない方には知る必要のないことですから。昨日からきょうにかけても、いちども音を聞いてはいませんから、シュリさんは、まだ城壁の外には出ていないと思いますよ」
 まあ、とキルディバランド夫人は、心配げに眉根を寄せた。
「となると、シュリ様はどちらへ?」
「さあ? 宮殿内のどこかで迷っているんでしょうか。案外、近くにいるのかもしれませんね」
「困りましたわ。昨日、あんなことがあったばかりなのに。妙なところに入り込まれて、また、怖い思いをされないとよいのですが。早く見付けてさしあげないと」
 マーカスの眼には、キルディバランド夫人が心底、シュリのことを心配しているように映った。
 当然のように、彼の『良い人スイッチ』が反応する。
 若い女性に限らず、たとえ恋愛対象外の相手であろうと、よく知らない相手であっても、分け隔てなく親切で思いやりをみせる。
 だからこその『良い人』だ。
「大丈夫ですよ」、と自然とすぐに慰めのことばを口にする。
「きっと、すぐに見つかりますよ。シュリさんもこどもではないのですから、迷えば人に訊くこともするでしょうし、単に、気分が良くなったので、散歩にでただけかもしれないですよ。ひょっとしたら、いまごろ戻ってくる途中かも。女性の足では広い場所ですし、擦れ違いもあるでしょう」
「だと、よいのですけれど……」
 いまだ晴れない夫人の表情に、マーカスは励ます笑顔を浮かべてみせた。
「ぼくも、いまから心当たりを探してみましょう」
 やっと、キルディバランド夫人が僅かに、ほっ、と表情を弛めた。
「お願いいたします。あの、くれぐれも殿下にはご内密に」
「ええ、わかっております」
 マーカスは力づよく頷いた。
 と、そこに大声で呼びかける声が、耳に届けられた。
「いまいる魔法師は、すぐに全員、庭園東の中央階段付近に参集せよ! ルーファス殿下よりの緊急招集である!」
 部屋の中にいても、はっきりと聞き取れるだけの大声だ。
 突然のルーファスの名に、キルディバランド夫人の顔から血の気がひいた。
 マーカスも、顔をこわばらせる。
 すでにばれたのか、とあわててふたり揃って、マーカス専用の研究室の外に出た。
 二階の中央ホールを見下ろす手すりから、下を覗き込んだ。
 すると、ひとりの騎士が、ホール中央に立ち、繰り返し呼びかけを行った。
「ルーファス殿下直々よりのご命令である! 魔法師は全員、即刻、東広間に集合! 緊急事態である!」
 穏やかならざる物言いだ。
 表情ひとつ見ても、切羽詰まった印象を受ける。
 まるで戦でもはじまるかのような、切迫した雰囲気が感じられた。
 急いで集まってきたほかの魔法師たちも、なにごとか、と下を見下ろす。
「なにがあったのですか!?」
 マーカスは声を張り上げて、下にいる騎士に問いかけた。
 すると、変わらぬ調子で答えがあった。
「庭園の東から南にかけて、急激な植物の繁殖が認められる! このままでは、宮殿全体が、植物に覆い尽くされるのも、時間の問題と思われる! いっぽん残らず焼き払えとの、殿下よりのご命令だ!」

 キルディバランド夫人のことばにならない悲鳴が、フロア全体に響きわたった。




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