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 うぉおおおおん! わおぉぉぉおん!

 オオカミの遠ぼえではない。
 もちろん、ルーファスでもない。
 本物の犬だ。
 複数の犬が、争うでもなく鳴き声をあげている。
 狩猟などの時のために飼育されている犬たちだ。
 王宮北西の一角、犬舎の中で落ち着きなく動き回り、鳴いていた。
「ほら、静かにしないか。どうしたんだ、おまえたち」
 覗穴から飼育係の男が声をかければ、犬たちは静かになるどころか、より騒がしさを増した。
 激しく吼えたてては後ろ足立ちになり、戸口の鍵の部分を前脚で引っ掻くものもいる。
「散歩の時間はまだだぞ。待て」
 餌はすませたばかり。
 王宮で飼われているだけあって、栄養も運動も充分だ。
 毛はさらさらのつるつる。鼻はぴかぴか。お腹はきゅっと上がって、弛んだところなんてどこにもない。
 しかし、元気はあっても、普段はこんなに騒ぐことなどない。
 厳しく躾けもされて、よく人の言うことをきく賢い犬ばかりだ。
「まいったなあ……」
 どう宥めようと、いっかな静まらない犬たちを前に男はひとりごちる。
 普段ならすぐに外に出してやるところが、現在、待機命令が出ていてできない。
 理由はわからないが、命令は絶対だ。
 男自身も本来、屋内にいなければいけないのだが、犬たちのあまりの騒ぎように気になって、こうして様子を見に来た。

 ぎゃおぉ! ふうっ! うおぁぁぁあ!

 犬の吼える声に混じって、どこからか猫の喧嘩する声が聞こえた。
 そして、ばたばたと走っていく馬屋番の男の姿を目撃した。
「おおい、厩舎の馬が暴れている! だれか手を貸してくれっ!」
 厩のほうへ注意を向けてみれば、微かないななき声が複数、耳に届いた。
 男は首を傾げた。
 犬だけでなく、動物がみな騒いでいるらしい。
「なにかあるのかなあ……」
 動物は人間よりも敏感だ。
 人にはわからない感覚で、なにか異常を感知しているのかもしれない。
 そう思い、ぶるり、と背を震わせた。
「……なにもないといいけれど」
 犬舎の壁際から鼠がいっぴき、すばやく走り出ていった。

*


「殿下にご報告申し上げますっ!」
「今度はなんだっ!」
 返事はすでに喧嘩越しだ。
「予定通り、南庭園を隔離する土壁を立ち上げ終えましたっ!」
 間が悪いとは、このことだ。
 状況を知らない職務に忠実な部下は、ルーファスの、「よし」、のひと言が返ってくるとばかり思っていた。
 だが、

 くっっそがああああああああっ!!

 答えは、下品なまでの罵声だった。
 この時点で、焼き打ち予定区域の一角である南庭園に、国王を閉じこめたことは確定された。
 ルーファスは己の頭の毛を掻きむしらんばかりにかき回し、地団駄を踏んだ。
「どいつもこいつもっ!! いったい、なにをしているっ!?」
 そう問われて答えられるものは、だれもいなかった。
 ここにいる者たちはみんな、ルーファスに言われた通りにしているだけだ。
 心情はどうであれ、生温かい目でだまって見守っている。
 とばっちりを受けるのは嫌だから。
 それすらも、向けられる者にとっては胸焼けを感じさせるものではあったが、ほかの腹立ちのネタのおかげで気付かずにすんだ。
「親父が、国王がどの辺にいるかは見当がついているのか」
 なけなしの忍耐をみせて、ルーファスは声も低く、前の報告をもたらした部下に問うた。
「はっ、指導を行っている者の話ですと、ここ暫くの日課では南側の噴水から城壁沿いに北に向かって走られておりますので、おそらくそのどこかではないかと」
「また面白みのない場所を走っているものだな」
 ルーファスは渋面もあらわに呟くと、落ちていた図面を床から拾い上げた。
 幸いにも図面はやぶれてはおらず、まだ使えるようだ。
「……仕方あるまい。どちらかの壁をいちど取り壊して、再度、立て直すか。いま国王を焼き殺した謗りをうけるわけにはいくまい」

 ――時期さえ違えばよいのか?

 そんな突っ込みもしたくもなるが、だれも口にはしない。
 僅かに顔を引き攣らせて、笑みにしては苦い表情を浮かべた程度だ。
 騒いでいるのは、実質ひとりだけ。あとは静かなもの。
 だが、そのひとりが強烈だったりするから、困りもする。
「畏れながら」、と壁が立ったことを知らせた騎士が、ルーファスをこれ以上刺激しないように注意深く口を挟んだ。
「そうしようにも、実は、魔法師たちが、しばらく使い物になりそうにありません」
「なぜだ。あれが頭に当たってか」
「はい、残念ながら」
 ふん、とひとつ鼻が鳴らされた。
「だとしてもダメージは知れているだろう。叩き起こせ」
 それには、いいえ、と騎士は首を横に振った。
「それが、打ち所が悪く、すでに六名の魔法師が持ち場を離脱し、治療のために運ばれました」
「ほう、それほど気合いの入ったものだったか」
 ルーファスも魔法師たちに、身命を賭して、とは言ったものの、本気だったわけではない。そのくらいの気構えでやれ、という意味だった。
「いいえ、私が看視する分においては、さほどのものとは感じませんでした。手順に従い、通常通りであったかと」
「では、なぜだ」
「それは……やむなし、というべきか……」  騎士は答えながら、若干、視線を地面に落とした。
 畏まって、が理由ではなく。
「術は壁一面につき、三人一組で同時に発動されたのですが、当然、みっつのたらいが落ちてきました」
 話を聞く者の目はすでに据わっている。
 騎士は賢明にも、魔法師たちが術を使うまでのしばしの間、ごねまくったことは伏せておいた。
「たらいは、よける間もなく、それぞれの魔法師たちの頭に当たりました。そして、内ふたつが地面に落ちることなく跳ね返されました。ちょうど盛り上がってきた土壁にはね返されたものがひとつ。また、土壁の向こうに飛んでいったものがひとつでした」
 向けられる目付きに、ますます険悪さが増した。
「壁に跳ね返されたたらいは、回転しつつ再度、魔法師の顔面を直撃した上、その後も全身を殴りつけるがごとく壁面との行き来を繰返しました」
 その様は、さながらピンボールがごとく。
 虹色に光るライトは点かなかったが、大量得点はまちがいなしだろう。
 おどろおどろしい、ひとたび耳にすれば、末代まで祟られそうなファンファーレつきで。

 ――見るな! 見ると石になるぞっ!

 端で様子を窺う者たちは、じりじりと後ずさりをはじめている。
 高得点が、そのまま指揮する者の怒りの度合いに換算されていることに気付かない者などいなかった。
 しかし、報告中の騎士は動けるはずもなく、目を逸らすだけで精一杯。
「壁向こうの草叢に落ちたものは、ひとつは伸びる植物の勢いに押し返され、再度、上にあがったたらいは土壁を越えて戻って魔法師の頭をふたたび直撃し、更にはね返って壁面にあたり……」
 壁向こうでグロリアが耳にした音は、まさにこの時の音だった。
 残るたらいのひとつは、伸びる壁面を高く飛び越え、グロリアの足下に落ちた。
「……逃げるか、防ぐ暇はなかったのか」
「逃げようとした者もいましたが、運悪く石かなにかにつまずき転倒し、たまたまあった岩に頭を打ち付 けて……」
 普段、隠花植物のような生活を送っている者たちだ。
 運動神経も、たかがしれていた。
 幸いにも、みな命に別状はなかったが、意識を失い戦線離脱はまぬがれなかった。
 ちらり、と怖いものみたさでその時のルーファスの後ろ姿を見た者は、あとから言った。
 『まるでゴルゴンのように髪がうねって見えた』、と。
「もういい!」
 ルーファスは吐き捨てるように言った。
「すぐに東を担当する魔法師たちを向かわせろ! 壁を取り壊すなりなんなりして、道を作れっ!」
「御意っ!」
 騎士が新たな命に従い、走りかけた。と、

 ガッシャーーーーーーーン!!

 どこかでガラスが割れる音が響いた。
 部屋ではなく、扉の向こう側だ。
 それこそ、東側でも壁を立ち上げた魔法師たちが金だらいを落した結果。
 そして、その魔法師たちも、先の者たちと似たり寄ったりの運命を辿っていた。
 ルーファスは広間の扉を振り返った。
「殿下ッ!!」
 カミーユが飛び込んできたのは、まさにその時。
「今すぐに中止命令をっ!! シュリさまが庭におられる可能性がありますっ!!」

 現在時刻、午前九時十二分。
 シュリが部屋を抜け出してから三時間以上。
 そのことはようやく、ルーファスの知るところとなった。




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