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 先の見通せない鬱蒼と茂る密林の中を一行は、注意深く前進した。
 大気は蒸し暑く、息苦しい。
 しかし、額に汗が浮かび上がり、歩みを遅くさせるのは、そのせいだけではない。
 地面も草に覆われて、どこに毒蛇や凶暴な獣が潜んでいるかもわからず、危険だ。
 また、周囲を取り囲む草でさえ、なんらかの毒を含んでいるものかもしれないのだ。
 何一つ見落としがないよう、一歩、一歩を注意深く足を運ぶ。
 青い草いきれの中、獣道とすら言えない道なき道を、ただひたすらに進み続ける。
 未知に向かって……

 などという、なんとか探検隊を彷彿とさせるようなことは一切なく、逆に緊張感の欠片もない。
 それというのも、
「あ、あそこにグラズベリーの実がなっているから、あれも採っておいてくれ。ジャムを作ってもいいし、果汁に肉を漬けておくだけで柔らかく風味も良くなるから、焼いただけでも美味いよ」
 先頭を歩く祝福の魔女のことばに、はいっ、とはりきった返事とともにひとりが一行から離脱した。
 手には大きなザルを抱えて。
「ああ、そこ。そこの地面に尖った芽がすこし出ているだろう。そう、それ。それと同じものを掘りだすといい。茹でたものを、バター炒めにして塩コショウで味付けするとチーズに似た風味で酒の肴にいい。あと、その脇に生えている木の葉も、魚を包んで焼くのに使えるから数枚、採っておくといいだろう」
 こんどは、鍬を担ぎ、大籠をもった男たちが数人、列から離れていった。
「ああ、そのキノコは駄目だよ。毒だ。よく見て採らないと、あとで大変なことになるよ。他の皆も気をつけて。あとで間違いがないか確認するが、知る者の指示にしたがって、採取してくれ」
 すると、草木の間のあちこちから、「はーい」、とか、「はい」、とか、「押忍っ」、とかいくつもの返事がこだまのように返ってきた。

 遡ること三十分前。
「我が名は祝福の魔女。天と地の理を調える者なり」
 から始まる、詩にも似た長い詠唱を黒の女が唱えただけで、王宮の庭を占領していた植物が生き物のように道をあけたことに、その場にいた者たちはすべからく驚きをみせた。
 マーカスにいたっては最前列のかぶりつきの場所にいて、その一言一句、一挙一投足にいたるまでなにひとつ見逃すまいと目をひんむいた上、興奮して騒ぎ、キルディバランド夫人の密かな肘打ちを受け、悶絶した。
 その彼を含めて、いざシュリを迎えにいざ出発という段になったわけだが、同行する者たちの数が予想以上に増えた。
 というのも、祝福の魔女からの頼みによるものからだった。
「おそらくシュリに食べさせるために、精霊たちがあの娘の好きなものを多く用意した筈だ。その恵みを放っておくわけにもいくまい。シュリが口にしなければ、精霊たちもがっかりするだろうし、場合によっては臍を曲げるかもしれん。だから、採取させるための人数と道具を貸してほしい」
 ルーファスとしては、心の底からというものではなかったが、ほかならぬシュリのためだけに承諾した。
 彼にしても、一刻も早くシュリに会って、その目で無事を確認したくもあったが、許容範囲と妥協範囲を含めて計った結果だ。
 そして、そのための人員を呼びつけた。
 先ほどの報告にあった、厨房の者たちを数名派遣するようにと。
 何も知らぬ兵士でもよかったが、人が口にするものだから、すこしでも知識のあるものに任せた方がよかろうという合理的な人選だった。
 概ねそれに間違いはなかったのだが、よくある落とし穴を見過ごしもした。
 即ち、『命を下す立場にある者は十中八九、現場を理解しているとは言いがたい』方程式だ。
 これを命じられる立場の者のことばに言い換えれば、
『言えばなんでもできると思うなよ! それだけのことをするのに、どれだけの苦労と労力が必要か知ってて言ってんのか? だったら、てめえでやってみろよ!』
 肩書きという見えない国境は、個人の間にもひかれている。
 しかも、直接、コミュニケーションをとることすらも許されない。
 そのため、厨房における労働者たちは、一同揃ってやってくるというパフォーマンスに打ってでた。
 軍手とタオルは当り前。鍬や鎌にザルに籠を片手に。
 それぞれルーファスにとっては大袈裟と思える得物と装備を携えて。
 それを見たほかの庭師たちも、いっしょについていくと言い出した。
 フラシュカもそうだが、ほかにも貴重な苗木や植物もあるかもしれないから。
「ああ、庭の広さからいっても、これだけいれば、それだけたくさん色んな種類が集められるね。シュリも喜ぶよ」
 それを見た魔女は破顔した。
 『シュリが喜ぶ』、は魔法の呪文。
 呪いかもしれないけれど。
 しかも、たったひとり限定で効果もばつぐんだ。
 一度は半数を帰そうと思ったルーファスだったが、大事な女性の養い親のひとことで思いとどまり、全員がついてくることを許可した。
 南と東に半数ずつにわかれる計算で。
 祝福の魔女を先頭に、樫の木までの案内役のハリネズミの庭師が続き、当然、ルーファスとカミーユ、マーカス。そして、兵士と騎士が二名ずつの計四名。その後をぞろぞろと、庭師二名と厨房の者十数名が追従した。
 思いの外、かなりの大所帯で出発することになったわけだ。
 謎の生物、ツチノコやイエティを求めて……ではなく、魔女見習いの娘と、ついでに王様を迎えに。
 しかし、人の数が多ければ、その分、動きは鈍くなるわけで。

「いったい、いつまでこうしてちんたら歩いているつもりだ!」
 ようやく南側の庭へ進路を違えたマーカス一行を見送って、人数が減ったところでルーファスは辛抱の切れた声をあげた。
 途端、びくり、とハリネズミの庭師の背が波打った 。
 仲間の庭師たちは南側へ行ってしまい、心細さもひとしお。
 なにも見ないし、なにも聞こえない。
 そう自分に言い聞かせて、黙って歩くことに専念する。
 が、そんなエンゾの態度とは裏腹に、
「まあ、そう焦るな。無事であることには間違いないのだから、ゆったりと構えていればいい。人の上に立つ者には、時にはそういうことも必要なのだろう?」
 そう答えて、一向に歩みを早める様子はない。
「魔女が知ったような口をきく。滅多に人と交わることをしない貴様になにがわかる」
「さあ、わかるというより知っている、かな。ザムドがそのようなことを言っていたのを記憶している。焦れば大局を見失い、勝てる戦も勝てなくなると言っていたか。上が焦れば下に不安となって伝わり、不要な混乱を招くとも」
「しかし、なぜ、これがシュリさまのために起きたことと貴方にはわかるのですか。まったく別の原因とも考えられるでしょう」
 悪くなりかける空気を遮るように、カミーユが口を挟んだ。
「では、おまえ達は、最初、どうやってシュリがあの森にいることを知った?」
 と、逆に、問い返される。
「どうやって……それは、噂を辿り」
「イディスハプルの森に魔女が住むと?」
「ええ」
「では、なぜそう言われたのかわかるか。滅多にどころか、シュリが自ら人前に姿をみせたことは一度もない筈だし、あの家を訪れた人間はおまえたちがはじめてだ」
「それは、なにかの拍子に旅人か樵に目撃されたとか、また、近くに暮らす何者かが口を滑らせたこともあるでしょう」
「まあ、そういうこともあるかもしれないねえ」
 黒の女はドレスの裾を優雅にさばきながら、長閑に答えた。。
「しかし、本当の原因はそれだけではないよ」
「なんだ。勿体ぶらずにさっさと言え」
 ルーファスが促せば、あぁーあ、と声があげられた。
「まったく、気の短い小僧だ。少しは会話というものを愉しむ術を知るといい。知るにはそれなりに時がかかるものもある」
「貴様のそれは、俺を苛立たせるためとしか思えないがな」
「では、ほかにどんな理由があるのですか」
 溜息を呑み込むようにして、カミーユは訊ねた。
 魔女は不機嫌さを隠さないルーファスの顔を見ながら、わざと無視するようにそれに答えた。
「ああ、それは、この十八年の間に森がずいぶんと様変わりしたからだよ。特にこの三年間でね」
「三年?」
「あの娘が独り立ちしてから、と言った方がわかりやすいか。私が共にいる間は精霊たちも表立って手を出すこともしなかったが、離れて暮らして以来、ついつい手を出したがるというのか、甘やかすというのか、ほんとうに困ったものだよ。あの娘が食べるに困ることないよう、森の面積は暮らし始めた当初の三倍に広がって植物の種類を増やし、洗濯に楽だからと滝は作るは、身体を清めるに便利な湯溜まりさえつくった。悪党どもがうろつかないよう崖で道を塞ぐは、わたしたち魔女からみても、じつに出鱈目な働きかけ方だ」
「まさか、」
 はた、とカミーユの足が止まった。
「そのお蔭で、あの辺に暮らす者たちも多少なりとも恩恵にあずかっているようだが。だから、原因を知る者は、間違ってもシュリに手出ししようとはしないし、知らぬ者は怖れる。『あの森には魔女が暮らす』、とね」
 それには、ルーファスも唸り声をあげた。
「では、この状況は、シュリが望んだことだとでもいうのか」
「おそらくは、森に帰りたいとでも言ったのだろうな」
「森に……帰りたがっているのか?」
「まあ、深くものを考えてのことではないかもしれないけれどね。でも、精霊には連れ帰るなんてことはできないから、こうしてあの娘のために森を作ろうとしたのだろうと考えられる」
 くるり、と長くあちこちに跳ねた黒髪を翻して、祝福の魔女は振り返った。
 そして、そのまま後ろ歩きのまま話をつづけた。
「むかし、あの娘がまだ幼いころ、なにもない荒野にひとり放りだしたことがあった。生きる術を教えるためや、精神を鍛えるためもあったのだが、精霊たちがあの娘にどれだけの働きをするかを見定める意味もあった。そして、その結果は予想以上だったよ。心細さと空腹に泣いたあの娘のために、精霊たちは一晩で寝床となる草叢と食べ物となる植物を育て、飲み水となる池を作った。まあ、それを求めて動物たちがやってきて、あの娘を追い掛け回したのは、予想外だったみたいだが」
 くくっ、と声をあげての笑い声が付け足された。
「笑い事ではないだろう、シュリになにかあったらどうするつもりだった!?」
 眉間に皺を寄せて、ルーファスは怒りをみせる。
 が、「なにもないさ」、と気軽な返事が返されただけだ。
「その時は、いつでも助けに入るつもりだったしね。しかし、そんな必要もなく、精霊たちが守ったわけだが。逃げるあの子の後を追って、凄まじい勢いで動物たちの足留めの川をつくり、谷をつくり、気を逸らすための草や樹を生やして、今では立派に肥沃な土地となって、おまえたちの生活を潤してもいる」
「なんだと……一体、どこの話をしている」
「クレマンティスの話さ」
「馬鹿な!」
 クレマンティスは、マジェストリア南西部にある国でも有数の牧羊地帯。
 牧草が豊かな地域で、羊だけでなく牛やら馬やらが放牧される長閑な場所だ。
 肉は柔らかで、作られるハムやチーズは絶品。
 質の良い毛織物は、内外にも知られる一大ブランドとなっている。
「いえ、しかし、たしかにクレマンティスに入植が始まったのは、ここ十年ぐらいのことだったかと」
 半ば呆然と、カミーユは口にした。
 荒野のど真ん中にできたオアシスを、偶然に最初にみつけたのは、ひとりの旅人。
 シュリが一週間にわたる修業を終えて、森の家に帰った直後のことだ。
 旅人の男はそこをいたく気に入り、そのまま家を建てて暮らし始めた。
 家族を呼び寄せ、ちいさな牧場を始めた。
 そうしている間に植物は数を増やし、数年で平原と言われるほどに広がった。
 そして、住民も数を増やし、一大産業地といわれるまでに育った。
 男とその家族はいまもその地に暮らし、豊かな生活を送っている。
「ということは、シュリさまが望めば、土地が自然と豊かになると?」

 チン!

 カミーユの頭上でキャッシャーの音が響き聞こえたのは、気のせいばかりではないだろう。
 人びとの生活が潤えば、そのぶん税収もあがる。
 しかも、開墾事業やら干拓事業やら、土地を整備する手間も省ける。
 必ずといって付き纏う利権争いなどもない。
 なんと美味しい話。
 国政に携わる者にとっては、この上なく魅力的な話だ。
「ええと、あそことここと、ああ、ルスラティエの北部なんかも」
 ぱぱぱぱぱーっ、と瞬く間に王子の側近の頭の中に国の地図が広がり、夢も広がる。
 未開発地域に赤丸が印される。
「あと道を通すことさえできれば、」
 がっこん、がっこん、工事音とともに地図上の山や谷に線が引かれる。
 動線の整備は、国家事業の要。
 人の行き来により、商業を中心とした産業は発展し、経済は活性化。なにより国防の基盤となる。
 あの辺に、工事を任せられる貴族はいただろうか?
 人柄が良いに越したことはないが、そうでなくとも目端のきく者。
 できれば、掌握しやすい年若い新興貴族あたりで……

 ぴこっ!

 金髪の上で、黒いハンマーが躍った。
「いたっ」
 声にだしたほどに痛くはないが、我に返るにはじゅうぶんな衝撃に計画も霧散した。
「こら、よからぬことを考えるのではないよ」
 ぴこぴこハンマーを片手に、魔女は叱るでもなく言った。
「よからぬことではありませんよ。国のためになることです」
 カミーユはゆるく頭を振って、反論する。が、

 ぴこ、ぴこっ!

 同じ場所で、ハンマーがまた素早く跳ねた。
「そう言い訳をして、シュリを利用しようと思うのが間違いだといっているのだよ。現におまえ達もいま、こういうことになって困っているのだろう。クラディオンのこともそうだ。精霊の力は誰に操れるものではなく、表裏一体のものだ。なにも利ばかりを得られるものではない。でなければ、のちのち後悔するはめになるよ」
「まあ、そういうこともあるのでしょうが……」
 といっても、カミーユにとっては、簡単に諦められる話ではない。
 だが、しかし、
「シュリを利用することは、俺が許さん」
 一歩先で、彼女の主たるルーファスがきっぱりと言った。
「しかし、それでは、」
「我が国は、すでにフェリスティアに対し返しきれないだけの恩がある。更にシュリにその上乗せをさせるような真似は、絶対にさせない。たとえ、どれだけの益があろうと、本人の意志に外れたことはさせん。それに、現状で出来ぬことを関係のない他者を巻込んで可能にしようとするのは、己の無能さを曝すと同じことだ。そんな恥知らずな真似を俺にさせるな」

 じゃあ、最初にシュリを攫ったのは、誰のしわざだよ?

 必殺じぶんのことは棚上げ術の発動。
 本人も都合よく忘れているのかもしれないけれど。
 表情を消して言う王子の顔にカミーユは口をつぐみ、魔女は、ふうん、と頷いた。
「いっとき血迷ってのことではなさそうだね」
 そういわれて、「当り前だ」、と鼻が鳴った。
「頼もしいことだ」
 からかうでもなく魔女は言って、ふたたび前をむいた。
「この先に精霊たちが集まっている気配がするが、すぐそこかい?」
 と、案内役のハリネズミの庭師に問う。
 エンゾは身を縮めながらうなずいた。
「はい、あのポプラの樹を越えた先、右斜めむこうに樫の木があります」
 そのポプラの幹さえ、蔦に覆われてぐるぐる巻きに縛られているようになっていた。
 枝から垂れ下がる蔓草の暖簾をくぐりぬけ、やっと樫の木のところまでルーファスたちは辿り着いた。
 そして、

 あっ!

 驚きの声があがった。
 そして、

 わあ……

 蔦でできたドームの中でシュリが声をあげたのも、ほぼ同時だった。




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