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 真正面からどうしたいと師に問われ、シュリは困った。
 質問があまりにも漠然としすぎて、なにについて訊かれたのかわからなかったからだ。
 だから、問い返した。
「ええと、どうしたいとはどれについてですか?」
「全部だよ。いま、おまえがどうにかしたいと思っている、なにもかもすべて。あれから半月が経った。その間、なにもしなかったわけではないだろう」
「ええと……」
「おまえのことだから、すぐには考えも纏まらないだろう。ゆっくりとひとつずつでいいから、話しなさい。このふたりにもわかるように」
 その答えで、「ああ、そうか」、と理解できた。
 師匠が全部と言ったら、全部だ。
 金だらいの魔法のことを含めた、いままでルーファスたちに話せなかったこと全部。
 胸がどきどきとして、緊張した。
 落ち着こうと、目の前のコーヒーの残りを飲み干した。
 コーヒーは初めて口にしたが、なぜかシュリだけ他の人よりもカップが倍以上も大きかった。
 色も他の三つはまっ黒なのに、シュリのだけはベージュ色をしていた。
 飲めば、すこし苦さとミルクの味がまざってほんのり甘く、とても美味しかった。
 一度に飲んでしまうには、惜しいぐらいに。
 いまはすっかり冷えてしまっていて飲み干すには楽だったが、温かいうちに飲んでおくんだった、とすこし後悔した。
 だが、鼓動はすこしだけ緩やかになった。
 シュリは話しはじめる決心をつけた。
「ええと、まず、魔女になるかどうか覚悟があるかというと、まだわかりません。ただ、前ほど『なりたい』と思わなくなりました。でも、まだ、はっきりと『なりたくない』というわけでもないです。どうしたらいいのか、迷っています。それより先に、もっと色んなことが知りたいと思っています。魔女になったらわからなくなることを知っておきたいと思います。わたしではなくなるにしても。ここに来てから、色んな人に会って、森の暮らしにはなかった色んなことを経験しました。吃驚する事や、怖いことや悲しいこともありました。でも、親切にもしてもらいましたし、食べたこともない美味しいご飯も食べさせてもらいました。興味深いこともたくさんありました。歴史のこととか。本当のお母さんのことも聞きました。まだよくわからないし実感もないけれど、色々と考えさせられました。そんなことをもうすこし知って、考えたいと思います」
 今し方、聞いたばかりの師匠の話を消化できたとは言い難い。
 まだ、ぐるぐると頭の中をめぐっている最中だ。
 しかし、ひとつわかるのは、自身が決めるにしても、知らないことが多過ぎるということだ。
 特に、シュリ以外の人びとが、普段なにを思い、なにを考え、なにを望んでいるかについて。
 それを知った上で、納得して決めたい。
 だから、それを伝えた。
 シュリの言葉に、師匠は黙って頷いた。
 それを見て、シュリは安心した。
 そして、視線をルーファスとカミーユにむけた。
 シュリは深呼吸をすると、一気に言った。
「依頼のことについては、ごめんなさい! 謝ってすむことじゃないとわかっていますけれど、ごめんなさいっ!!」
 ふたりに頭をさげた。
 テーブルに頭がつくくらいに深く。
「すごくむずかしいということもあるんですが、それよりも、私はしたくない思っています。勝手だと言われても仕方ないですけれど、解いちゃいけないと思っています」
 ルーファスたちはなにも答えなかった。
 怒りもしなかったし、表情ひとつ変わらなかった。
 それぞれに、深い息をついただけだった。
 シュリがどう答えるか知っていたようにも、呆れたようにも感じた。
「なぜ、そう思ったんだい」
 ふたりに代わるように、師匠から問いがあった。
「理由はいくつかあります。まず、お師匠さまと精霊たちにとって、魔術が自由に使えるようになるのがよくないことだから。あと、この国に住む魔術をつかえない人たちにとっても、よくないと思います。他の国では魔術でそういう人たちを面白半分にいじめる人がいるって聞きました。魔術を使えない人は逃げるしかできないそうです。その点、この国では安心して暮らせるって言っていました。それを壊しちゃいけないと思いました。それに、解呪するには、どうしても、この国で使っている転移用の魔方陣をいちど壊さなければいけません。そこから魔方陣から呪いに関する部分を抜き出して、また改めて作り直さなければなりません。それには、どうしても長い時間が必要です。その間、転移用の魔方陣が使えないのも、様子をみていてこの国にとって、とても問題があるように感じました。だからです」
「でも、だとしても、彼ら側にもそれなりの理由があって、依頼もされたのだろう。その原因を解決しないことには彼らも困るよ。それはどうするんだい?」
 あうっ!
 痛いところを突かれて、シュリは呻いた。
 仮にも祝福の魔女の弟子を名乗っているからには、困っている状態のまま放り出せない。
 何らかの祝福を与えて満足を得なければ、シュリはただ飯ぐらいの役立たずだ。
 ちくちく良心が痛むなんてものではない。
 それを考えるだけで、しくしく、ずきずき、きりきり。
 頭痛や腹痛になりそうだ。
 もとは、嫁になりたい、いらない、という単純な話から起きたことだとは、シュリにも理解できていた。
 だが、個人と言えど、王子さまに王女さまの事となると、シュリにはわからない国同士の大問題に発展するらしい。
 こじらせば、戦になるかもしれないと言う。
 戦!
 とても見過ごしてはいられない。
 起きれば、直接関係しなくとも、シュリの師匠にとって大打撃だ。
 人の憎しみや苦しみで沸き起こる瘴気が精霊をすべからく痛めつけ、魔女の身体をも弱らせる。
 下手すれば、師匠に二度と会えなくなってしまうかもしれない。
 いなくなってしまう。
 そうなる前に、なんとか止めたい、止めなければいけない。
 しかし、どうすればよいのかもわからない。
 妙案のひとつも思いつかない。
 どう考えても手に余る問題だ。
 非力な、魔女にもなっていない娘では、どうしようもない話。
 ご飯を食べさせてもらった恩返しにしては、大きすぎる話だ。
 だから、せめて、ルーファスが病気で苦しんでいるならば治してあげることで勘弁してもらおうと思ったが、それもアウト。
 シュリの、まったくの勘違いだったようだ。
 シュリはうな垂れながら答えた。
「……それについては、わたしにできることがあるならば、できるだけのことをしたいと思っています。でも、戦が起きるかもしれないと言われてなにをすれば、どうすればいいのかわかりません」
 と、ルーファスが口を開いた。
「必要ない」
「え?」
「そこまで考える必要はない。元より俺たちが考えるべき問題だ。呪いを解かないことについても、すでに了承している。色々と秤にもかけたが、いま転移用の陣を失うわけにはいかないという結論に達している。依頼方法についても問題があったことも認める。知らなかったこととはいえ、隣国の王女であり我が王家にも連なる者に対し、無袋を強いた。ここに謝罪する。許してくれ」
「え、でも、」
 うろたえるシュリの横で、ほう、と師匠である祝福の魔女が声をだした。
「依頼を取り下げるのか」
「シュリには、こちらの都合で振り回した揚げ句、勝手を言って悪いと思っている。これについても、謝罪する」
 とても謝っているようにもみえない態度で、ルーファスは言った。
「王子たるもの、そう簡単に何度も頭をさげるものではないのか」
 師匠からのその問いには、「無論」、ときっぱりとした返事がある。
「目下であれば、さげる頭はない。だが、亡国とはいえ、隣国の王家の血をひき、敵対の意志をもたない者に対しては、その例に値するものではない」
「なるほど、そういうものか」
「そうだ」、とルーファスはうなずいて、シュリを見た。
「しかし、もし、ほかにできることをと思っているのならば、ひとつ頼みがある。亡きフェリスティア妃の遺児であり、クラディオン王家の最後の血筋として名乗りを上げてもらいたい。ここにいるカミーユのために」
 なんで? どういうこと?
 唐突に出てきたカミーユの名に、シュリはその本人に視線を移した。
 すると、思いがけず真剣な眼差しにぶつかり、シュリはつい目を逸らしてしまう。
 その間も、ルーファスから説明が続けられた。
「カミーユの母親はマジェストリアの伯爵家の出自だが、父親はクラディオンの子爵だ。すでに両親共に亡い。カミーユは、現在、母親の生家に頼る身だが、身分をもたない。そのため、俺の家令としての地位だけでは、重要な役目をこなすにも、常に決定権や行動に制限がついてまわっている。それは、とても非効率だ。本来ならば、こいつで処理できる仕事でも、俺がしなければならなかったりする。手間だし、余計な時間もくう。また、女の身であるため、生家から嫁に行けと言われれば、相手がどんな男だろうと嫁がなければならない。それは俺にとっても、都合が悪い。いつ、こいつが俺の傍からいなくなるかわからないからだ。この国では、夫の許可なく妻が務めにでることを許さない法がある。相手が悪ければ、いくら能力があったとしても、こいつは飼い殺しにされる可能性もあるわけだ。いまは俺の権限でなんとか阻止しているが、それにも限界がある。だから、シュリがクラディオンの王女として公に認められれば、シュリの名で、カミーユが父親の生家であるクラディオンの子爵家を継ぐことを許すことができる」
 ええと?
 シュリには、ルーファスの言っている意味がいまひとつ呑み込めなかった。
 人の社会のことは、まだよくわかっていないし、難しい。
 なにがわからないかも、わからない状態。
 と、助け船を出すように師匠が口を挟んだ。
「つまり、いまこの娘はおまえの部下だが、我が身ひとつ勝手に出来ない身の上ということか。それで、シュリが王女となることで、身分を与えることができる。その上で、この娘は色々と自由がきくようになり、おまえも楽ができる、とそういうことか?」
「平たく言えば、そういうことだ」
 ルーファスは頷いた。
「現当主のガレサンドロ伯爵は、こういってはなんだが、人としての器が小さい。これのためにもならず、俺としてもなるべく早く引き離したい」
「先ほど大将が、食事がどうとか、と言っていたが」
「それも含まれる。現状、表立って害がでるほどのことではないが、いつ何時、血迷った行動をとるかわからん」
「なるほど」
 ふたりの会話で、シュリもようやく理解できた。
 ひもじい思いをした経験はシュリにもある。
 その時のことを思いだすだけで、辛くて寂しい気分になる。
 つまり、カミーユもそういう状態だということだ。
 幸せではない。
 可哀想だ。
 じわり、と視界が涙で滲んだ。
 と、今度はカミーユの方が目を逸らした。
 と言うより、そっぽを向かれた。
 眉根を寄せた顔で、いやそうに。
 シュリは、しゅん、と肩を落とした。
 うすうす気付いてはいたが、カミーユに嫌われてしまっているらしい。
 理由はわからないが。
 しかし、そうであっても、力になれるのであれば、そうしたいと思う。
 だが、疑問もある。
「あの、質問なんですけれど、クラディオンの国はなくなっているのに、王女さまになれるものなんですか? そうなることで、わたしはどうなるんですか? どうすればいいんでしょうか」
 シュリの問いに、ルーファスは微笑みを向けた。
「いちど披露目……皆に紹介をする必要はあるかもしれないが、それさえすめば、いままで通りに好きにすればいい。森に戻って暮らすのも、この王宮に留まるのも自由だ。もとより治める土地も民もいないのだから、書面の上だけで片付く」
「それだけでいいんですか?」
「ああ。書類はこちらで用意する。まず、そのための委任状が必要か。それに名を記されてのちは、こちらですべて整えよう」
 気が抜けるほど、簡単な話のようだ。
「それだったら」、と承諾の返事をしようとすると、「いいのかい?」、と祝福の魔女から確認の問いがあった。
「はい」
「人の間では証を残しながら結ばれた縁は、あとから間違いだったと気付いたところで、断ち切るのが難しいよ。それをきっかけにして、おまえを利用するために取り込もうとしているのかもしれないよ。魔女の知識はこいつらにとっても有用だろうから、それを得るためにも、それ以外にも」
 う、とシュリはまたもや咽喉をつまらせた。
 そんなことまで考えていなかった。
 心の中に、うっそりと、迷いが頭をもたげかけた。
 と、
「馬鹿を言うな」
 すかさずルーファスから抗議があった。
「クラディオンや我が祖とおなじ愚行は犯さん。シュリを利用価値うんぬんではかるつもりはないし、シュリの意に反して利用するものでもない。また、他の者によっても、断じて許すものではない」
「ふうん、そうかい」
 答える口調は、冷ややかなものだ。
 黙っていられず、シュリは言った。
「あの、師匠、わたし、もし、わたしがそうすることで王子さまたちにとってよくなることだったら、そうしたいです。ご飯をたべさせてもらった恩返しはしたいですけれど、他にどうすればいいのか思い付かないし」
 正直に、ありのままのことばで。
 すると、一瞬間をおいて、気が抜けたような溜め息があった。
「ご飯……まあ、おまえがそうしたいならば」
「決まりだな」
 そう頷くルーファスも、なんとも言えない表情だ。
 自分はなにか変なことを言っただろうか?
 シュリは首を傾げた。
 ちゃんとご飯が食べられないカミーユが可哀想だから、とは言っていけないような気がして、言い方を変えてみたのだが、間違えたのかもしれない。
 では、どんな言い方だったら、よかったのか。
 シュリがそんな疑問を抱えている間も、話はどんどん進められていた。
「では、さっそく書類を整えさせよう」
「ああ、申し訳ありませんが、その件については、少々、お時間をいただいてよろしいでしょうか」
 と、予想に反したらしいカミーユの返答に、ルーファスの片方の眉が上がった。
「なぜだ。おまえがいちばん、望んでいたことだろう」
「そうですが、物理的にも難しいので。報告が遅れましたが、殿下には王妃さまより、明日から式までの間、シュリさまともども必要な人員を連れ、王宮を離れるようご指示を承りました。レディン姫については心配なく任せるように、と」
「え、わたしも?」
 思わずシュリは声をあげていた。
 はい、とカミーユは頷いた。
「御身の安全を考えると、殿下と行動を共になされるべきかと」
「穏やかではない物言いだね」
 シュリの師匠のことばに、カミーユは苦笑いを浮かべた。
「明日、殿下に求婚なさっている方がおいでになるのですよ。その方がシュリさまのことを知れば、どういう態度にでられるかもわかりませんので」
「求婚者?」
「はい、熱烈なる。シャスマール国第三王女、レディン姫です。当方としては招かざる客であるのですが、ご本人はそうは思っておいでにならず、実はそれが今回の出来事の発端であったりします」
 ああ、やっぱりそうだったのか!
 シュリは、内心で、ぽん、と手を打ち合わせた。
 これまで推測でしかなかった原因が、やっとはっきりした瞬間だった。
 そして、キルディバランド夫人が大きな鞄を持っていたことも思い出し、もうひとつ頭の中の手を鳴らした。
 だが、わかっていない者がひとり。
「どういうことだい。それと解呪とどういう関係がある?」
 シュリの師匠の問いに、ルーファスがあからさまに嫌そうな顔を浮かべた。
 代わりに、カミーユの口から、シュリが連れてこられた原因と経緯が語られた。
 かくかく、しかじか、と。
 長すぎることもなく、はしょりすぎることもなく。
 なにもかも、ぜんぶ。
 シュリがこれまで推測していたことや、憶測でしかなかったことも、ぜんぶ知ることとなった。
 正答率は?
 まずまず。
「なるほどねえ、それじゃあ、この子がてこずるのも無理はないね」
 テーブルについた四名が同じ情報を共有できたところで、シュリは師匠が大きく頷くのをみた。
 そして。

 ぴこっ!

 シュリの頭の上で、ハンマーが鳴った。
「そんなことは、真っ先に聞いて、知っておくべき事柄だよ。それを今頃! これまでなにをしていたんだい、この馬鹿娘っ!」
「ごめんなさいぃっ!!」
 ……叱られた。
 



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