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 錆びた鉄。
 その人の第一印象は、それだった。
 襟足の長い、銅線色の赤茶けた髪。銀糸で装飾の施された豪奢な黒づくめの服。そして、長いマント。それは、一般兵士とは違い、高い身分を示していた。腰にある剣は、おそらく騎士と呼ばれる存在に違いない。体格も、百六十センチの私よりも頭一つ半分は高く、幅、奥行きともそれらしく恵まれたものだ。弛みなどは何処にも感じられない、引き締まった体つき。
 いや、そんな事よりもその発する雰囲気。それこそが、鉄サビの印象。ざらざらとして、尖っている。一見だけで、口の中にその味を思い出すような雰囲気。
 あ。
 その中で、最も印象強く、私の目はその瞳に吸い寄せられていた。
 そこだけが、異質。まるで、砂漠の中のオアシスのような印象。涼やかな潤いを感じさせた。
 奇麗。
 人の目を見て奇麗なんて思ったのは、これが初めてかもしれない。整った顔立ちも、この世界に来て、一番だ。美形ではあるが、というより、オットコ前。お世辞抜きに、カッコいい。インパクトの強さといい、醸し出すオーラといい、ハリウッドの映画スター並みかそれ以上だ。売れっ子、間違いなし。ドルで億が稼げるだろう。
 しかし、こんなところで、こんな男前に出会えるなんぞ、ラッキーかもしれない。いや、本当に良い目の保養だ。これだけで、尻を痛くしながらはるばるやって来た甲斐があったってもんだ。
 その青い瞳が、訝しげに細められた。
 あ、思わずにやけてしまっていたかもしれない。失礼……私は顔の筋肉を引き締めた。
「誰だ」
 横柄な物言い。だが、その声は深く、耳によく残る。
 しかし、誰だ、と問われて、私は返答に困った。
「……人を待っているんです。呼ばれたので」
 男は、そうか、と答え、それ以上の追及もなく私から視線を外した。そして、近付いてきた。横に立ったところで、黙って建物を見上げ、眺めた。
 いや、こうして並ぶと、ほんとでけぇな。身体の厚みなんか、私の倍はあるぞ。ううん、何者だ?
 私こそ問いたい。知ったところでどうというわけでもないが、好奇心で。
 しかし、話しかけづらいというか、下手にこちらから話しかけちゃいけないタイプに見える。訊ねるわけにもいかず、どう訊ねたら良いのかも分からず、そのまま黙って横に立っていた。
「白いな」
 思わず聞きのがしそうな、ぼそり、とした呟きがあった。それでも、建物のことを言っているのだと思った。というか、あちらから話しかけてきたこと自体、意外だ。
「銀髪は珍しいというほどでもないが、おまえのはどうみても白髪だ。そんな年寄りにも見えないが、それは元からか」
 ああ、気にしないようにしてたんだけれどなぁ……他人は気にするか。
「地毛には違いありませんが、元からではないです。気が付いたら変わっていました」
 私は日本にいる時は美香ちゃんほどではなかったが、当然、黒かった。普段は、茶色に染めていた。だから、こちらの世界に飛ばされたばかりの頃は気付かなかった。だが、一ヶ月ほどして、新しく生えてきた髪の毛の根元が白いことに気が付いた。最初は、一時的なもので直ぐにまた黒くなるだろうと楽観していた。しかし、それから先、元の黒髪に戻ることはなかった。
 頭髪の色素幹細胞が完全に死滅してしまったんだろう。
 次元を超えた作用によるものか、ストレスのせいかは分からない。美香ちゃんはなんともないところをみると、多分、後者じゃないかと思う。まあ、マリー・アントワネットも一夜で変わったって言うし、それと同じなんだろう。嬉しくないけれど。というか、これこそショックだった。いっぺんに老けた気分になったし、自分の顔が別人みたいに見えて鬱になった。場末のロッカーみたいで、全然、似合わないし。
 しかし、髪染めもないこの世界ではどうしようもなく、私は白い部分が三分の一ほどの割合を占めたところで、髪を切った。そのせいで、今はほんの毛先に茶色を残しているだけで、すっかり真っ白だ。ブリーチしてもこんなに白くはなるまいってほど、完璧な白髪。
 まあ、円形脱毛症とどっちが良いか、と言われたら、どっちもどっちと答えるしかない。というか、選べんだろう。
「珍しいですか」
 問い返すと、男性は、「珍しいな」、と頷いた。
 ああ、やっぱり、そうなんだ。ミシェリアさんやルーディや施設のちびっこ子たちは、もはや何も言わないけれど、そうでない人たちからは、時々、妙な視線を感じていたから。なんだか、惨めな気分を思い出してしまう。
「それに、服装も見慣れないものだ。顔立ちも違う。おまえは、この国の者ではないのか」
 ジーンズとカットソーとジャケット。それに、踵のフラットな革靴。私は、この世界に来た時の服装をしていた。
「違います」
「どこの国の者だ」
 どこって、安易に日本と答えて良いものやら。
 ううん、と考えていると、慌ただしくも駆けてくる複数の足音があった。
「エスクラシオ殿下!」
 へぇ、エスクラシオさんって言うんだ、この人。舌噛みそう。あれ、そう呼んだのは誰かと思えば、この国の王子様じゃないですか。うわ、またえらい王子様、王子様した恰好だな。なんだ、その服に張り付いているの。金モールか?
「ここにおられたのか。捜しましたぞ。おや、君はキャスじゃないか。どうしてここに」
 金髪碧眼。彫りの深い顔立ちのジェシー王子。だが、私的には微妙に残念感のあるルックスだ。
 人によってはセクシーと言うかもしれない立派すぎるケツ顎が、どうにも生理的に受け付けない。髭の剃り痕が濃いのも、ちょっと。隣に男前がいるだけに余計にそう思えるのか。身長では負けてないんだが、シャープさに欠けるのもなんだか。
「美香ちゃんに会う約束で来たんですけれど、裏口の兵士さんにそう言ったら、ここに案内されました」
「ああ、そうか。直ぐに案内させよう。エスクラシオ殿下はこちらへ。王がお待ちです」
 黒ずくめの騎士は黙って頷くと、王子の案内について去っていった。
「君はこちらへ」
 残ったひとりの騎士さんに促され、私は別方向へ。
「今の方は、どういった方なんですか」
 移動中、訊ねてみたが、「関係ない」、の一言で一蹴された。
 ちぇっ。
 でも、王子様が案内役で王様へ謁見するぐらいだから、重要人物には違いないのだろう。
 美香ちゃんに訊いてみよう。なにか知っているかもしれない。
 と、その時の私は、その程度の軽い気持ちでいた。
 そんな無責任な好奇心が吹っ飛ぶのは、それから数時間後の事だった。




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