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 その後、私は美香ちゃんの部屋に戻ることなく用意された馬車で、施設に戻った。
 兵士を六人従えてのものものしいばかりの帰宅に、こどもたちもみんな驚いて玄関の外まで迎えに出てきた。
「どうしたんですか、兵など連れて」
 普段は冷静なミシェリアさんも、驚きを隠せないようだった。
「ちょっと、事情がありまして。ふたりきりでお話したいのですが、良いですか」
 私の様子が変なことに気付いたのだろう。ミシェリアさんは頷いた。

 ミシェリアさんの部屋でふたりきりになった私は、美香ちゃんの代わりにランデルバイアへ行くことになった事を話した。
 簡単な説明だったが、ミシェリアさんは戸惑いながら、すぐに理解してくれたようだ。
「なんてこと……」
 私の前で絶句した。
「ミシェリアさんたちにはこれまで大変お世話になりました。色々と教えてもらって、迷惑もかけましたけれど、楽しかったです。有難うございました」
 私は空々しいまでに通り一遍当の礼を言って、頭を下げた。
「それで……あなたはいいの?」
「いいも、なにも」選択権はない。「……まあ、私は本当ならとうに死んでた筈の人間ですから。それが、まあ、少し遅れたかもってぐらいの事ですし……」
 そこまで口にしたら、急に咽喉が詰まって締めつけられるような痛みを感じた。
 正面に座るミシェリアさんの表情が、労しそうに顰められている。見ていられなくて俯いた。
「もとの世界には戻れないし、戻ったところで、もう帰る家もなくなって家族も生きていないと思います。それなのに私ひとり生き残って、こうして少しの間だけでもみんなに会え、てっ」
 鼻の奥が、つん、とした。それが伝わって、眼も痛くてしょうがない。
 ああ、駄目だ。こんな風に泣いちゃ。同情されるなんて真っ平だ。可哀想な娘なんてこの人たちには思われたくない。
 だが、優しい眼差しの前に心が緩んでしまう。
「だ、だから、こんな形でも、恩、返しがで、きて良かっ……たんだと……」
「キャス」
 キャスなんて知らない。私は、高原霞だ。そんな名前で呼ばれたことなんてない。
 ぱたり、と音がして、履いていたジーンズに丸い沁みが出来た。急いで両目を手で拭う。ああ、痛い。どこもかしこも。今頃、行きで打った腰が痛む。昨日の筋肉痛がぶり返す。
 キャス、とミシェリアさんは静かな声でもう一度、呼んだ。
「私には、神がなにを思われて貴方をこの世界に呼ばわれたかは分かりません。ですが、貴方がこうして生き永らえ、私達の国に来た事には必ず意味がある筈です」
 知るか、そんなもの!
「何かを為しえるために貴方はここへ来た。そして、まだそれは為しえていない。私はそう考えます。それを為しえるまでタイロンの神は、無体に貴方の命を散らせる真似はなされないでしょう。例え、貴方にとって大変な試練であったとしても、必ず救いの道をお示し下さるに違いありません」
 ミシェリアさんはそう言って立ち上がると私の傍までやってきて、首にかけていたペンダントを私の手に握らせた。手を開いてみれば、銀鎖の先に、小さなピンク水晶に似た色の透明な石だけがついたシンプルなデザインの首飾りだった。石はつるりと丸い形をしてたが、よく見れば、中に何か文様のようなものが透けて見えた。
「貴方にタイロンの神のご加護と祝福がありますように」
「……ありがとうございます」
 涙を拭いて、私は礼を言った。ペンダントを固く握り締める。
「ミシェリアさん、お願いがあります」
「なにかしら。私に出来ることならば」
「この国の神話と黒髪の巫女の伝説が書かれた本を、一冊、頂きたいのですが。私が読める程度の簡単なもので」
「ああ、そうね。きっと、旅の間、貴方の心の支えになるでしょう」
 そう言うと、書棚から小さな薄い本を取り出して、渡してくれた。
 ページを軽く捲ると、確かに字を覚えたての私にも読めそうなものだ。
「ありがとうございます」
「貴方の旅の無事とこれからの試練に打ち克てるよう、私も祈りましょう」
 ミシェリアさんは軽く握った拳にキスをして、額と胸に当てて祈る仕草をしたのち、私の髪を撫でた。
 慈愛に満ちた優しい眼差しを私は見上げる。
 もし、私がここまで生き延びた理由が、美香ちゃんを助ける為だけのものであるならば、絶対に許さないからな、タイロンの神! あの世に行ってから、ぶん殴って蹴り飛ばしてやる!
 こちとら八百万の神様がいる国から来たんだ! 舐めンじゃねぇぞ!
 心の中で密かにそう毒づいた。

 その後、ミシェリアさんと一緒に部屋を出た私は、施設のみんなに食堂に集まって貰って、ここを出ていく事を話した。具体的な内容は伏せて、仕事で遠くに行かねばならない、とだけ説明した。
 あまりにも急な話にルーディほかちびっこたちも驚き、中には泣きだす子もいたが、ミシェリアさんが上手く宥めてくれた。
 あとは、いつも通りにみんなと食事をして、ちびっ子たちの湯浴みと寝かしつける手伝いをした。いつもは大騒ぎの筈のそれらが、みんな聞き分けよいのが、少し寂しかった。いつか離れる、一時的な生活の場だった場所のつもりだったが、少なからず里心がついてしまったようだった。
 木枠の固いこのベッドで寝るのもこれが最後。そう思うだけで、寝心地のあまりよくないベッドにしても愛着みたいなものを感じてしまう。
「寂しくなるわ」
 寝る前、ルーディが部屋へやってきた。眼が少し赤いところを見ると、泣いたらしい。
「話、聞いた?」
 そう訊ねると、こくり、と頷いた。
「ひどい話。王様もみんな酷いよ。キャスはなんにも関係ないのに。助けておいて死にに行けって言っているようなもんじゃない! 髪の色が違うってだけで、ミカばっか大事にして!」
 そうだよなぁ。私もそう思う。
「しょうがないよね。でも、まだ死ぬって決まったわけじゃないし。まあ、なるようにしかならないよ」
 私も納得したわけじゃないけれど。
「でも!」
「まあ、ちょっとは頑張ってみるつもりしているからさ。上手くいくように祈っててよ」
 私は怒りを滲ませるルーディの顔を見た。ああ、怒っていても可愛い子は可愛いよな。性格だって良いし。ケツ顎王子も、こっちにしておけば良かったのに。女を見る目がないヤツ!
「私はさ、何にも分からないままこっちに来て途方に暮れたりもしたけれど、ルーディがいてくれたお陰で助かった。最初は言葉も分からなかった私に、優しくしてくれた。一から色んな事を教えてくれた。ルーディたちに会えて、ほんと良かったと思ってる。ここまでなんとかやってこれたのも、ルーディたちのお陰だ。ありがとう」
 この世界で出来た最初のともだちで、妹みたいな娘。私がもし、神様ならば、彼女とここにいるみんなだけは幸せにしてあげたいと思う。
「そんな事、言わないでよう」
 そばかすの上に零れ落ちる涙を見て、私は少しだけ笑った。
「私がこれまで会った女の子の中で、ルーディは一、二を争うぐらい優しくって可愛いと思う。だから、何がなんでも幸せになって欲しい。その為に行くんだって思うことにした。ルーディやここの子たちが、また、戦争になって怖い思いや哀しい思いをしないんで済むって言うなら、それが、私にとって一番、価値ある事だから」
 そう思わなきゃ、やってらんない。この件で私が得られるメリットっていったら、それぐらいしかない。
「だから、また会えるかどうかも怪しいもんだけれど、幸せになってよ。でなけりゃ、わざわざ遠くまで行く甲斐がないから」
 堪え切れなくなった様子で、ルーディが抱きついてきた。
「ごめんね、キャス……私、力になってあげられなくて、ごめんね」
「そんな事ないって」
「ごめん。ごめんね。私もキャスに会えて良かった。大好きよ」
 その言葉だけで充分だ。
 抱き締めて、背中を軽く叩いてやる。ああ、また泣けてきた。最後にオトコと別れた時も、こんなに泣けなかったのになぁ……
 私たちは抱きあったまま、暫くの間、ふたりで泣いた。

 そして、次の日の朝を迎えた。
 あれやこれやと取り留めもなく思い浮かぶ事が多くて、あまり良く眠れもしなかったが、まあ、いいさ。馬車の中で寝れば良いし。
「……ちくしょう」
 ムカツクぐらいの良い天気だ。旅立ちには絶好の、気持ち良すぎる天気だ。寝不足の眼に太陽の光は眩しくて痛い。雲一つない空は青く、高く澄みきっている。また、あの歪みがどこかに見えないかと捜したが、どこにも見当たらなかった。
 ……神様の馬鹿野郎。
 十時に城から迎えの馬車がやってきて、一晩、寝ずの番をしていたんだろう六人の兵隊さんをまた引き連れて行くことになった。
荷物は、こちらに一緒に持ってきたショルダーバッグと、貰った本と、ここにいる間に揃えた着替えやらを詰めた荷物。そして、ルーディたちからのお餞別の紙袋ひとつ。
「どうもお世話になりました」
 本当に最後になるだろう別れの挨拶。他に言う言葉もなくて、見送りに出てくれたみんなにそれだけを言って頭を下げた。
「ここは貴方の家です。だから、忘れないで。戻って来れることがあれば、いつでも帰ってらっしゃい。旅の無事を祈ってますよ」
 ミシェリアさんから、そんな言葉を貰った。
「有難う御座います」
「貴方の行く道に幸いあれ。タイロンのご加護を」
「行ってきます」
「元気でね」、とルーディは微笑みながら、また眼に涙を浮かべている。
「ルーディもね」
 ちびっ子たちもべそをかき、啜り泣く声も聞こえた。
「キャス、行っちゃイヤだ!」
 出発するぞ、との兵の声に、ミュスカが行かせまいとしがみついてきた。その金髪も柔らかい頭をなでる。
「私がいなくても、ミシェリアさんやルーディの言うことちゃんと聞いて、良い子にするんだよ」
 ルーディが、そっと引き離してくれた。
 馬車に乗り込み、みんなに手を振った。
「みんな、元気でね。行ってきます」
 馬の嘶く声あって、馬車は動き出した。私は窓から顔を出し、短い間だったけれど我が家だった屋敷と家族だったみんなの顔が見えなくなるまで見つめていた。

 ……さようなら、みんな。有難う。




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