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 私は当り前に、国同士の戦いに巻込まれた経験はない。
 過去にあった戦争の話を断片的に耳にしたり、各メディアを通じて報道されるものを視聴したり、読んだり。世界のどこかで多くの人が戦って、死んで、それが何年、何十年と続いている事は知っていても、全て他人事だった。日本に対して他国の人々が抱き続ける遺恨にしても実感はなく、失礼だと分かっていても、表層上の知識でしかなかったわけだ。
 だから、現実に戦場で戦っている人たちがどんな思いを抱いていて、どんな態度を取るかなんて事は知らなかった。いや、知ってはいても実感はなかった。
 でも、だからと言って、誰が私を責められる?
 だって、私はこの世界ではまったくの第三者で、どこの国の人間でもないのだから。

 私が外に出てきた事に、カリエスさんは少し焦ったようだった。慌てて私の手を掴んで引っ張ると、もう一度、馬車へ連れ戻って中へ放り込んだ。
「呼ぶまでここから出るな」
 そして、兵士をふたり呼んで、馬車から私を出さないように、自分たちの他は誰も近づけさせないように言いつけた。
 そこで、なんとなくだが、私は自分の立場が変わった事に気が付いた。それは、国境を越えたせいなのかもしれない、と。
 そこから暫く考えて、そう言えば、私はファーデルシアの特使という名目で来たことを思い出した。自分の生き死にのことを考えるので精一杯で、そんな事はすっかりと忘れていた。
 あ、ちょい、まずかったかも。
 ランデルバイアとファーデルシアは、同盟関係にある。だが、ランデルバイアはファーデルシアと、近々、敵対する予定にある。つまり、二国間は政治的に極度の緊張状態にあって、相手国から来た私の存在は……なんだ? なんだろう、私って。
 ファーデルシアにとっての私は、一時的な時間稼ぎのための人身御供だった。煮るなり、焼くなり、好きにしろというわけだ。
 ところが、ランデルバイアとしては、男であると思っていた私が女であったと知った時点で、当初の目論見は脆くも崩れ去り、手に余る存在として、なんだか分からんが連れていくしかないだろう、という事になった。
 建前上、役立たずの存在であっても特使を連れ帰ったという成果は必要であるし、なにより、私が巫女と呼ぶに相応しくない外見であっても、伝説の大陸全土の覇者――と同じ色目の外見を持つ存在を産むかもしれない、という可能性を持っている内は、野放しにしておくわけにはいかないからだ。
 私を殺すか、政治的道具として生かすかは、国王の判断に委ねられることになった。
 しかし、それを人質と呼ぶのか、捕虜と呼ぶのか、どちらにしても当て嵌まらない気がする。やはり、ファーデルシアからの人身御供……これが一番、妥当だろう。でも、人身御供を間違えて受け取ってしまった側としては、どうなんだ? どう扱うべきなんだろう。
『君の言った通り、ここに来て、私も君の処遇に対し迷いを感じている』
 エスクラシオ殿下は、私にそう言った。
 多分、あれが本音であったのだろうなぁ。だから、これまでは私の好きにさせておいてくれた。でも、国境を越えてホームグラウンドに来た今、国としての私への待遇を示さなければならない。形ばかりでも、下への示しというものが必要となってくる。政治的にも一貫した方針を示さなければ、ちょっとした事で『じゃあ、あれはなんだったんだ』、とグチグチと言う者が現れてくる。
 賓客として扱うか、或いは、捕虜に近い扱いをすべきなのか……ああ、そりゃあ、まずかったなぁ。
 殿下としては、できるだけ私を人目につかないようにして、こっそり連れていくつもりをしていたのかもしれない。でも、存在が多くに知られれば、それなりの対応を強いられる事になる。
 中途半端な存在に対して、はっきりした態度を取れと言っても難しいだけだ。
 ……あー、すみませんでした。迂闊でした。ごめんなさい。出来れば、あまり多くの人に気付かれていないといいなぁ……
 私は、そんな事を考えていた。
 でも、問題は、そんな事だけではなかったって事だ。

 馬車の中でどれだけ待ったか。随分と長い時間だった。
 ランディさんが迎えに来た時には、辺りは真っ暗で、人気もなかった。
「すみませんでした。勝手に馬車を降りちゃって」
 そう謝ったら、うん、と頷いて、
「少しまずかったですね。ちゃんと指示をしなかった私達も悪かったんですが」
 との答えだった。……やっぱりか。
「大勢の人に気付かれちゃいましたか」
「いや、そう多くはいない筈ですよ。殿下に気を取られていた者が大半でしょう」
「……そうですか。それで、皆さんたちは、」
「あちらにいますよ」
 多分、ここの他の人達も一緒にいるのだろう。だから、こうして迎えに来てくれたのだろうな。
 石畳の床。石の壁。等間隔に松明の灯取りがぽつり、ぽつり、と点く人気のない廻廊を進み、二回曲がった先に並ぶ木の扉のひとつに、私は案内された。
「今日はここでお休みなさい。あとで食事を運びます。申し訳ないが、外から鍵をかけさせてもらいます。そうでなくとも、私たちが呼びに来るまで部屋からは一歩も出ないように。私たち以外の誰とも口をきかないで下さい」
「分かりました」
 そう頷いたら、ランディさんは眼を細めて、私の頭を二回軽く叩いた。
「では、大人しくしていて下さいね」
「はい」
 部屋の中に入ると、外から鍵をかける音が聞こえた。
 窓も何もない小部屋だ。固いベッドと小さな机一つ。そしてランプと、洗面の為だろう水差しと小さな桶ひとつ。少し饐えた匂いもする、息苦しいばかりの狭い部屋。まるで、牢屋のよう。
 それでも、マシな方なんだろう。贅沢は言えない身だ。
 私は溜息を吐いた。
 その後、暫くしてから今度はグレリオくんが、パンとチーズとハムを盛った軽い食事を持ってきてくれた。あと、飲み水。
「大丈夫ですか」
 心配してくれていたみたいだ。声にもそれが表れている。
「うん、大丈夫。有難う」
 食事だけを受け取って、手を振った。
 多分、これから先の事を考えれば、これ以上、親しくするのも避けた方が良いんだろうなぁ、と思う。グレリオくんに限らず、ほかのみんなとも。
 この数日間で、みんないい人だって事は分かっているけれど……でも、思えば、変な話だよね。私から見ていい人の筈のグレリオくんやランディさん、アストリアスさんやカリエスさん、そして、エスクラシオ殿下にしたって、私の好きなルーディやミシェリアさん、そして施設のちびっ子たちにとっては敵になる人たちなんだ。
 そして、多分、私を死に追いやる存在。
 どうしてなんだろうね。どうして、こうなっちゃうんだろう。
 ……みんな、何が欲しいんだろう?




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