- 24 -

 その後、アストリアスさんは立ち上がれなかった私を毛布で包んだ状態で抱き上げて、別の場所へと移動させた。
 切れ切れの記憶の中、何処をどう行ったのかは覚えていない。次に気が付いた時には、また、ベッドの中に転がっていた。身体中が軋んで、痛かった。顔に包帯が巻かれている感触があった。
「目覚めたか」
 ベッド脇の椅子に腰掛けたエスクラシオ殿下が、私を見ていた。でも、瞼が腫れぼったく、うまく上らない感じだ。
「酷い仕打ちを受けさせて申し訳なかった。部下の不始末は私に責任がある。すまなかった」
 普段着なのだろうか、白いシャツ姿の殿下は知らない人のようだった。衿にかかる艶やかな銅線色の髪が、一層、鮮やかに見えた。
 きりりとした眉。通った鼻筋。強い意志を感じる引き締まった口元。整った顔立ちは、とても奇麗だ。とても奇麗……貴公子と呼ぶに相応しい品の良さを感じた。王子様なんだから、当り前なんだろうけれど。ただ、その中でオアシスのような青い瞳だけが、初めて会ったあの日の印象と重なった。
「不逞を働いた者たちには、既に処罰した。他の者たちにもその旨は明らかにし、二度と同じ間違いを犯さないよう厳重に申し渡してある。だから、もう安心していい」
 なんだろう、この感覚。
「いえ」
 ひとこと言っただけで、頭全体に引き攣る痛みがあった。熱をもって腫れているのが分かった。痣にもなっているかもしれない。きっと、酷い顔をしているんだろうな。
「いえ……勝手に馬車から降りた私にも落ち度があったわけですから」
 起き上がろうとしたら、お腹から痛みが走った。あいててて……
「そのままでいい。寝ていろ」
 でも、痛いのは身体だけだ。あとは、何も感じない。
 身体と魂が分離してしまったみたいだ。というか、魂なんて、本当にあるのか?
「ご迷惑おかけしました」
 途端、奇麗な顔の眉間に皴が寄った。
「被害を受けたのはおまえの方だろう。何故、謝る」
 さあ、なんでだろう。なんとなく、口が勝手に。
「……すみません」
 その返答に呆れたような溜息があって、赤い髪が掻き上げられた。
「……まあ、いい。出発は、回復をしてからという事になったから、ゆっくり休め」
「いえ、もう大丈夫です」
 多分、少し我慢すればいいだけの話だし。
「無理だな。痣になっている。酷い顔だ。そんな者を陛下に引き合わせるわけにはいかん」
 あ、やっぱり。
「熱もある。せめて、それが下がってからだ」
「……すみません」
「謝るな。まったく、どうしてそう、」と、怒りかけて、また溜息があった。「……兎に角、今は休め」
「はい」
 逆らっても仕方がない。私は目を閉じた。

 夢を見たかどうかは覚えていない。
 でも、深い意識の底で、私は謝っていたように思う。何度も繰り返し、謝っていた。
 ごめんなさい。ごめんなさい。生き残ってしまって、ごめんなさい……

 次に目が覚めた時、周囲が明るく見えた。
 まだ、包帯は巻かれていたけれど、前より腫れぼったさは減った気がする。でも、身体にはまだ痛みと熱っぽさを感じた。
 痛みを我慢して、上半身だけ起き上がった。そうしたら、眩暈がした。また、倒れてしまった。
 仰向けになったところで、臙脂色の布の天井に気が付いた。少し首を回すと、金色の房が下げられた縁とカーテンもついている。
 ベッドの天蓋のようだ。それに、背中の沈み込む感触も柔らかく羽毛のようだ。……かえって、身体に悪そう。
 視界が届くかぎり見ても、そこそこ広い部屋だという事が分かった。置かれている調度品は多くはないが、豪華さを感じる。ガラスの嵌め込まれた窓が取ってあることにしても。いつの間に、こんなに待遇が良くなったのか。
 音がして、部屋に誰かが入ってくるのが分かった。音の方を注視していると、ベッドのカーテンの向こうから、ドレスを着た若い女の子が前を横切るのが見えた。
「あら、目が覚めたんですね。良かった」
 私を見て足を止めた女の子は明るい笑顔を見せた。
 ルーディと同じぐらいの年頃だろうか。女性らしい丸みを帯びた身体つきに、ウエーブのかかった金髪を胸まで垂らし、手には洗面器を抱えている。何故か、きんぽうげの花を思い出した。
「貴方のお世話をするように申しつかりました、レティシアと申します。レティとお呼び下さい。まだ、痛みますか」
「すこし……」
 レティと名乗った女の子は私に近付くと、額に手を当てた。ひんやりとした感触が気持ち良く感じた。
「大分、腫れはひきましたけれど、顔色が悪いですね。熱もまだあるみたい」
 無理もないけれど、とレティは言った。
「ほんと、女を殴るなんて酷すぎます。しかも、顔をなんて最低です。偉そうにしていても野蛮人と変わりませんよ。ああ、でも、みんながそうだと思わないで下さいね。そんなのは、下級のどうしようもない頭の悪い一部の人だけですから。ディオ殿下を始めとする騎士さま方は、みな、ご立派な方ばかりです」
 早い口調は、気忙しい性格かもしれない。でも、悪い娘じゃなさそうだ。
「なにか食べられそうですか。スープぐらいなら口にできるかしら」
 そう訊ねられたが、お腹は重く、食欲らしきものは湧かない。
「まだ、ちょっと」
「少し食べた方がいいですよ。もう、三日もなにも口にしていないんですから」
 三日……もう、そんなに経っているのか。本当なら、今頃、宮殿に行って王様に会っている頃かもしれない。いや、もう死んでいてもおかしくないか。
「……お水をもらえますか」
「ああ、ちょっと待って下さいね。いま、汲んできます」
 レティは頷くと、また足早に部屋を出ていった。
 そんなに待つこともなく、レティは戻ってきた。グレリオくんも一緒だった。
 身体を起こそうとしたら、レティが手伝ってくれた。そして、水の入ったカップを手渡された。
「ありがとう」
 水を飲むとぴりっとした痛みを口の端に感じたが、案外、大丈夫だった。冷たい液体が食道を通って、お腹に入っていくのを感じた。
「目が覚めたって聞いて……大丈夫ですか」
 グレリオくんは、叱られたこどものような顔をしていた。
「うん。大分、いいみたい」
「こんな事になって、すみませんでした。私たちの責任です」
「気にしないで。私も迂闊だったんだし、助けてもらったし。有難う」
「でも」
「間違いだったとしても、誰にでもある事だよ。それでなくとも、不測の事態だったんでしょう」
 神様だって間違えるんだ。人が間違えるのは当り前だ。それに、こんなの、もうなんでもない。
「それより、予定が狂ってそっちも大変でしょう。大丈夫?」
「いえ、そんな事は……こっちはどうにでもなります。気にしないで下さい。それよりも、貴方の方が」
「大丈夫。もう、そんなに痛くない」
 そう言ったのに、グレリオくんの方が痛そうな顔をした。レティまで、顔を顰めている。
 どうして、とグレリオくんが言った。
「どうして、そう言えるんですか。貴方はいつも、いつも平気そうな顔をして。これまでも、逃げようとすらしなかった……私には分からない」
 そっか。そうかもしれないなぁ。
「うん、ごめん」
 そう答えたら、グレリオくんは黙ってしまった。辛そうな顔のまんま。そして、「また、様子を見に来ます」、と言って部屋を出ていった。

 なんか……こんなの早く終りにしちゃいたいなぁ。




 << back  index  next >>





inserted by FC2 system