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 兎に角だ。
 馬鹿になれ、馬鹿になりきるんだ、私ッ!
『ほんとぉ? うっそぉ!? わたし、わかんなぁい!』
 言葉としては古いが、馬鹿な女を装うための三種の神器を駆使する。
 それがいちばん面倒臭くなくて、良い対応の仕方のような気がした。まあ、精神がもてば、の話なんだけれどさ。

 とかなんとかやっている内に、プレゼン十日目にして久し振りに上から呼出しを受けた。……あー、やっと、結論が出ましたか。と、思ったら、上は上でも、アストリアスさんからだった。
「やあ、キャス。元気そうだね」
「お陰様で」
 執務室で迎えてくれたアストリアスさんは、にこやかな笑顔を私に向けて椅子をすすめてくれた。
「なかなか時間も取れず、ゆっくり話す機会ももてなかったが、少し時間ができたのでね」
「お気遣い有難う御座います」
「いや、私の方こそ、馴れない場所での暮らしに不安もあるだろうに放置していてすまなかった。それで、その後、どうだい。ここでの生活に少しは馴れたかい」
「はあ、まあ、なんとかぼちぼちとやっています」
「ならば良いが。君の様子は彼等から聞いてはいるのだが、何か困った事とかはないかい」
「特には」
 毎日、盥にお湯貰って行水すんのもう飽きたからお風呂に入りたいとか、野郎はもうお腹一杯で、可愛い女の子と話したいとか、訓練が嫌だとか、夜食が欲しいとかとか言えないもんなぁ……。
「何か欲しいものはあるかい」
 あるよ、いっぱい。シャンプーとか、コンディショナーとか、化粧水とか。でも、この世界にはないものばかりだから。
「別に、特にはないです」
 そう答える私の顔を見て、アストリアスさんの口元が僅かにへの字を描いた。
「なにか不都合はないかい。特に人付合いなどで」
 ああ。
「はあ、まあ、ぼちぼちと」
 具体的に話せと、紫の瞳が言っている。
「でもまあ、今のところはなんとかなっていますから。こちらの心配はしないで下さい。それよりも、私の事で、そちらに御迷惑がかかっているのではないのですか。そちらの方が心配です」
「キャァス」
 やけに間延びした呼び方をされた。
「他人の心配よりも、まず自分の心配をしなさい。君はどうも自分の事を後回しにする傾向にあるね」
 いやあ、そこが世界に誇れるジャパニーズ気遣いってもので。これがなければ日本の企業ではやっていけないし、日本の商業サービスはこれで成り立っているようなものだし。と、言ったところで分かるものでもないか。
「……ごめんなさい」
「謝らなくていいよ」ふ、と息を吐くようにアストリアスさんは言った。「実際、君にとっては煩わしいことばかりだと思うよ。男ばかりの中にいる事だけでなく、いらぬ憶測をする者やあわよくば利用しようと近付く者もいるだろう。ランディ達も心配していた。今のところは何とかなっているみたいだが、その内、もっと大変な事に巻込まれやしないだろうか、とね」
「でも、言っても仕方のない事ですから。なんとか現状でやっていくしかないです」私も嘆息する。「一度、派閥なんていうものが出来上がってしまうと、しがらみなんかもあって、なかなか抜け出ることも難しいでしょうし、頭も簡単に切り替わるものでもないでしょうし」
「それには、まったく同感だよ。対立ばかりに目がいって、本来の目的や本分すら忘れてしまっていたりもする。ここだけの話し、度し難い連中だ」
 アストリアスさんがこんな風に言うってのは、相当なんだな。
「あのう、本当のところどうなんですか。私がしている事で御迷惑はかかってないんでしょうか」
 例えば、ガスパーニュ侯爵絡みとかで。
「こちらはどうという事はない。いつもの事だ」
 なんかあったんだ。
「やはり、アストラーダ殿下の所へ出入りしているのはまずいですか」
 そう訊ねると、アストリアスさんはきっぱりと、いいや、と答えた。
「私個人としては、君がそうやってクラウス殿下と親交を持てていることに喜んでさえいるんだ」
「そうなんですか」
「うん。周囲では、ディオ殿下との仲違いを強調したがる連中が多くてね。関係のない者もそう思い込んでいる傾向が強かったんだ。その中であの廊下での茶会の一件や、ディオ殿下の庇護下にいる君がクラウス殿下のもとへ出入りする事で、薄々、皆、違うのではないかと気付き始めている。和解とはいかないまでも、両者の態度が軟化しつつあるのは歓迎すべき点だ。ただ、」
「ただ?」
「それをどうしても認めたがらない頭の固い連中もいる。そして、君がその矢面に立たされるのではないか、とそれが気掛かりなんだ」
 ああ、うん。ガスパーニュ侯爵とか、ガスパーニュ侯爵とか、ガスパーニュ侯爵とか、でしょ?
「でも、表立って糾弾すれば、エスクラシオ殿下に不利益となるのではないですか」
「そう。だから、クラウス殿下派の者たちがどう動くかわからないし、ディオ殿下派の者たちも、機会あれば、君を排除しようと動く可能性がある」
 ああ、当然、あっち側にもいるか。
「粛正とか」
「そこまであからさまな表現は使わないが、似たようなものだろうね」
 あぁーあ……
 怖いと思うより先に馬鹿馬鹿しくなった。本当に暇な連中なんだな。単に、同族嫌悪しているだけじゃねぇのか?
「面倒臭いですねぇ」
「……だから、君はひとりでいる時は、できるだけ人目の多いところにいた方がいい。部屋にいる時は、必ず鍵をかけること。私達以外の者を決して中にいれないように」
「直接、害される可能性もあるってことですか」
「そこまで馬鹿な真似はしないかと思うが、用心の為だよ。以前のような事があるかもしれないからね」
 アストリアスさんは、私を安心させるように微笑んだ。
「ああ、はい」
 砦でボコられた時みたいに、か。ああ、あれは嫌だ。二度とご免だ。痛いし、怖いし、臭いし。
「気をつけます」
 私の返事にアストリアスさんは満足そうに頷いた。
「なんであれ、噂に付随して、君が女性である事を知った者も多い。そういう面でも用心に越したことはない」
「……はい」
 まあ、物好きもそういないと思うけれど、女なら誰でもいい時ってあるみたいだから。
「それと、それとは別にもうひとつ話しがある」
「なんでしょうか」
「この間、君が提案した案についてなんだが、ディオ殿下は概ね満足されている」
「へえ、そうなんですか」
 意外。でも、良かった。久し振りの快挙だ。
「ところどころ具体性に欠けるが、狙い所は悪くないとおっしゃられていた。だが、実行するかに当っては、疑問視する声があがっていてね」
 あー、ガスパーニュ侯爵とか、ガスパーニュ侯爵とか、ガスパーニュ侯爵とか?
 おおい、虚しいぞう。一回ぐらい試させてくれたっていいのになぁ……戦争するよかは安くあがるぞ。
 やっつけ仕事の面は認めるけれど、徹夜したり頑張ったのに。こういう時は、本当にがっかりする。コンペに負けまくった経験から、多少、耐性があったとしても。
「我が軍の現在の武力をもってすれば、そんな手間をかける必要もなく勝利するだろう、という意見なんだ」
「弱腰と見られたんですね」
「まあ、そうだね」
 これだからマッチョは嫌いだ。脳みそが筋肉カチコチ野郎め。勝利が直接の目的じゃないってのに。
「しかし、何も試さないまま破棄することもなかろう、という殿下の御判断で、反対派には内密にもう一方で動くことになった。事後承諾で悪いが」
「え、いいんですか。そんな事して」
「多少、手直しを加えさせてもらったが、上手くいけば、そう遠くない内にグスカにとって都合の悪い噂がひとつ、ふたつ、国内に広まるだろう。その結果次第で、今後、どうするか方針を決めることになる」
「この間のお話では、実行に当っての具体的方策がないという点が問題になっていましたが」
「君の知らない伝手が我々にはあるのだよ。それがどれだけ通用するかが問題なのだがね」
「……そうだったんですか」
 そういう大事な事は、予め教えろよ!って言っても無理か。私はまだそこまで信頼されてないもんなぁ。
「そんなわけで、結果如何によっては、君にも動いて貰うことにもなると思うから、今のうちから具体案を準備をしておいて欲しい。しかし、味方にも内密の行動でもある為、悟られぬようこれまで以上に注意を払ってくれ」
「分かりました」仮採用でも嬉しい。「でも、そうすると、グスカに関する資料がもう少し欲しいのですが」
「どんなものだね」
「主に軍の指導的立場にある者の経歴などをできるだけ細かく。あとは、分かるようでしたら、グスカ軍の現状ですね。今ある噂もそうですし、雰囲気や動きなど」
「ふむ、その辺りは難しくもあるが、出せる分を用意しよう」
「あと宜しければ、どの様なルートを経てどのような内容を流したのか、大体で良いので教えて頂きたいのですが。重複するといけませんので」
「うん、それも文書にして、明日にでもグレリオに届けさせよう」
「有難う御座います」
「ああ、それと、やっと君のサイズに合わせた軍服が出来たから、渡しておかなければ」
 ……やっとか。

 まずは、第一歩。
 目標までにはまだまだ遠いけれど、一歩は一歩だ。




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