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「おいおい、いいのかよ」
 城の門を潜る時に、リト兄さんは本格的に怖じ気づいたらしい。他の芸人たちも、急にそわそわとし始めた。
「なに言ってんだい、ここまで来て」
 と、とうに開き直ったらしいタチアナ姐さんはその背を、ぴしゃり、と叩いた。
「王様が暮すお城をこんな間近で見られる機会なんて、二度とないよ。愉しまなきゃ損さ」
 よっ、姐さん、恰好いいぞっ!
 やっぱり、こういう時は、女の方が度胸がある。

 城の正面玄関につけた幌馬車から私は下りた。付き添いとして、タチアナ姐さんとリト兄さんにも下りて来て貰った。でなけりゃ、無理を言って連れてきた意味がない。
「ほら、ちゃんと背筋をお伸ばしよ!」
 姐さんの背中への気合い一発に、兄さんも覚悟を決めたようだ。私の後について、城の中へ足を踏み入れた。
 荘厳なる玄関ホール。アーチの繋がるそこに、足音も高く黒い影が近付いてくるのが見えた。後ろに従っているのは、アストリアスさんだ。
 ホール中央付近。先導していた、カリエスさん達が足を止めた。私も従って足を止める。
「いいオトコぉ」姐さんがうっとりとした声で呟いた。「誰?」
「私の上司」
 小声で答えた。まさか、ここまで出迎えに来てくれるとは思わなかった。……だがなぁ、どうしてそうも不機嫌な顔しか出来ないんだ? 笑えとは言わないが、なんでそんな顰めっ面で出迎えられなきゃならんのだ。愛想のないオトコだ。
 カリエスさんたち三人が、その場に一斉に跪いた。私はそのまま立っていた。上司に向かって腹を立てている事を示す為に。
「酷い恰好《なり》だな」
 私の前に立ったエスクラシオ殿下は、私の態度を咎めることなく、開口一番、そう言った。
「死にかけましたので。命あっただけでもマシです」
 私は白々しく答えた。
 そうか、と殿下は顔色ひとつ変えず答えた。
「話は後日、聞こう。まずは、その恰好をなんとかしろ」
「その前に、是非ともお聞き届け頂きたい件があるのですが」
「なんだ」
「ここにいるふたりは、途中、私を助けてくれた旅芸人の者達なのですが、都での滞在と興行許可を頂きたく」
 ふん、と鼻がひとつ鳴らされた。
「あと、国内のどこでも自由に行き来できる通行許可証もお願いします」
 おいおい、と後ろで兄さんの呟く声が聞こえた。
「ほう、勝手に随分と気前の良い約束を取り付けたものだな」
 嫌みかよ。
「別に約束したわけじゃないです。私がそれだけの恩を受けたと思うので、返したいと思っただけです」
 それに、と付け加える。
「今回、私がこうして生きていられるのは運が良かっただけです。本当なら、今頃、死んで水底にいました。でなければ、荒野で干からびているか、途中で殺されているか、他国に売られているか。彼女たちはそうならないように防いでくれた。ここまで連れてきてくれたんです。それは、私の命を守ると約束しておきながら出来なかった殿下にしても、当然、それなりの礼があっても然るべきだと思いますが」
 なにより、私の気持ちを救ってくれた礼をしたい。
「なるほど、理屈だな。よかろう。手配しよう」
 よし。意外にあっさりいったな。
「要求はそれだけか」
「いえ、もうひとつあります」
「なんだ」
「今この場で、ひとつ自己主張をさせて頂きたいのですが」
「ここでか」
「はい」
 私は周囲を見回した。
 城内に入った途端、気付いた。物見高い弥次馬たちが、そこかしこの柱の影で私達の様子を窺っていた。
 私がいない間、何があったか知らないが、兵士や騎士だけでなく、貴族らしい人達が大勢混じっていた。
 ……まったく、暇な連中だ!
「良かろう。許可しよう」そこでエスクラシオ殿下の口元に微かな冷笑が浮かんだ。「気が済むようにするがいい」
「では、失礼します」
 私は一礼だけして、周囲を睨め付けると、深く息を吐いた。
「どこのどいつか知らねぇが、耳の穴かっぽじってようく聞きやがれッ!!」
 腹の底から、見知らぬ誰かに向かって吼えた。
 声は響きとなって広がり、途端、周囲の空気が凍ったのが分かった。
「私が邪魔なら、今度は生温い手は使うなッ! だが、無事に殺れたとしても安心するなよっ! 死んだ後もあんたを呪ってやる! 手を貸したすべての者も、子々孫々、末代まで祟ってやる! その後の人生は不幸が続くと思え! てめぇの人生計画なんざぁ、木端微塵にしてやる! 最後までのたうちまわって苦しんだ揚げ句、みっともない死に様を曝すことを覚悟しやがれッ!!」
 ここまで怒鳴って体力の限界を迎えた。ああ、息切れする。
 私は裏方の人間で、派手なパフォーマンスは柄じゃないし、不本意だが。でも、これだけの事をすれば、今日中にでも噂は広まって、ここにいなくとも首謀者たちの耳にも届くだろう。迷信が大きく主張するこの世界だったら、これだけ呪いの言葉を吐けばビビるやつも出てくるだろうさ。
「気は済んだか」
 と、エスクラシオ殿下に問われる。
 ちっ、憎たらしいぐらいにクールだな、あんたは。ほんと、顔色ひとつ変えやしねぇ。
「完全じゃないですけれど、或程度は」
「そうか。では、後はアストリアスに従え」
「はい」
 ほんとは、あんたも一発、ぶん殴ってやりたいところだが、今日のところは我慢してやるさ。大人だしな。ここまで迎えに出てきたことで勘弁してやる。
 黒いマントを翻し、さっさと去っていく殿下を見送る。
「キャス、」残ったアストリアスさんが近付いてきた。「あと、君達は……」
 私の背後に視線を向けた。
「タチアナさんと、リトさんです」
 私が紹介すると、二人は畏まった様子で頭を下げた。
「そう。この子が世話になった。私からも礼を言う」
「そんな! 私達は途中から連れてきただけですし、そんな、お礼を言われるほどの事はなにも!」
 アストリアスさんを前にして姐さんが慌てて言った。
「都内の滞在と興行許可証は通行証と共に用意して届けさせよう。場所はもう決めてあるのかね」
「いえ、まだ来たばかりで何も」
 姐さんは助けを求めるように私を見た。
「では、中腹にある広場がいいだろう。あそこならば広さもあるし、こちらからも見付けやすい。これから案内させよう。グレリオ、頼んでいいか」
「はっ」
「有難うございます」
 深々と頭を下げる姐さんと兄さんに、私は声をかけた。
「じゃあ、姐さん、リト兄さん、有難う。短い間だけだけど、みんなに会えてほんと良かった」
「なに言ってんのよう」姐さんは少し涙目になって言った。「あたし達こそ、あんたに会えて良かった。まさか、通行証まで貰えるなんて……これでいつでも都に来れるし、どこにだって行ける。夢みたいよ」
「いっぱい踊って、沢山の人に観て貰ってね。姐さんの踊りはそれだけの価値があるから」
 ほんとは、思いっきりプロデュースしてあげたいところだけれど。でも、通行証があれば、戦に巻込まれないよう逃げられる場所が増える筈だ。
「キャス、あんたも頑張って。無事に友達を助けられること祈ってる」
「有難う」
「じゃあな、キャス。暫く都にもいるから、また会おうぜ」
「うん、兄さんも有難う。みんなに宜しく」
「おう!」
 手を振って、グレリオくんの後についていく二人を見送る。
「では、キャス。君もこちらへ。疲れただろう、今日はゆっくりと休むといい」
「はい」
 そして、私もアストリアスさんの後について、別の方向へと向かった。




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