- 29-


 一応、御心配お掛けしましたの挨拶で出向いただけのつもりだったのだが、大量のお菓子とお茶で歓待されてしまった。いや、そんな、こどもじゃないんだから、沢山あればいいってもんじゃなくて……まあ、嬉しいけれど。
「いきなり君の騎士たちが血相変えて飛び込んできて、君が来ていないか探しに来た時には驚いたよ。酷く慌てた様子で、見ていて気の毒になったほどだ。前日も来なかった事を話した時の彼等の顔色ときたら真っ青で、まるで死人のようだったよ」
 自分がどれだけ私を心配していたかを言葉少なく、でも、真剣に告げた後、アストラーダ殿下はその時の皆の様子を私に語って聞かせてくれた。
「暫くしてから、騎士達がそこらじゅうを走り回っていたかと思ったら、次には兵士までばたばたし始めて、まるで敵が攻めてきたかのような騒ぎだった。メイド達は怯えるし、貴族達の中にも何事が起きたかと私を訪ねてくる者も多くてね。普段は、神殿に一歩も足を踏み入れようとしない者たちが次から次へとやってくるから、お茶をしている間もなかったよ」
「はあ、それは、お騒がせして申し訳ありませんでした」
「何故、君が謝るんだい。勝手に騒がしくしたのは彼等だろう」
 そこでアストラーダ殿下は、やっと笑顔をみせた。
「ああ、でも、一番、凄かったのはディオだね。あの子のあんなところ、久し振りに見た。ああ、どうしたの。遠慮せずに、もっと食べても良いよ」
「いえ、もうお腹いっぱいで」
 右と左の鼻の穴から、生クリームとカスタードクリームが別々に出てきそうです。
「凄いとは、どのように凄かったんですか」
「ああ、凄いというか、あれは、すでに癇癪を起こしかけていたね」
「癇癪!」
 あの、顔色ひとつ変えたことありませんって言っているような、あの男がっ!
 ……俄には信じがたい。
「そこまで気付いた者は少なかっただろうけれどね。行動としては適確なものだっただろうし」、と目の前に座る美形顔がにこにことしながら私を見ている。
「あの子は昔から本気で怒る一歩手前になると口数が減って、急に口調が静かになる癖があるんだ。そのくせ、声音は一オクターブ下がるしね。そうなった時、私はいち早く逃げたものだよ。君も覚えておくといいよ。一度、怒りだしたら収まるまで、誰が止めようと原因となったものすべてを突きとめて、徹底的に排除するまでやりつくすからね」
 聞くだけで、怖っ。徹底的に排除ってどうするんだよ……
「まあ、今は、ある程度はおさえるようにはなったみたいだけれど、それでも、あんな様子を見たのは久し振りだった。指示された方は怖かったと思うよ。相当、速やかさが要求されたと思うし。首が飛んだのも何人かいたんじゃないのかな」
 マジすか?
「ああ、だからと言って、君が気にする必要はない。実際にあってはならない事だからね。何者であろうと王城内で誘拐されるなんて事は」
「それは分かりますけれど……」
「それは別にしても、なんであれ、あの子なりに君を大事にしているって事はよく分かったよ」
 えー?
「そうなんですか?」
 良く帰ったなとも、無事で良かったの一言もなかったぞ。今の待遇からすれば、多少、そうなのかなって気はするが、まあ、目の色の事とかあるし、そのせいだと思うけれど。
「うん。昔、チャリオットがいなくなった時の事を思い出した。あの時も城内中が大騒ぎだったから」
「チャリオット?」
 誰。
「こどもの頃、ディオが飼っていた猫だよ。白い毛並みの人懐っこい可愛い猫でね。首のところにあった首輪みたいな黒斑が特徴で……初めて会った時も思ったけれど、髪の色も含めて君はどことなく彼に似ているね」
「猫……」
 うおおおおおーい!
 しかも、彼ってことは雄かよ。ひょっとして、私を男と間違った原因って、そのせいか? いや、でも、猫を飼っていた風には見えねぇぞ。ドーベルマンとか、カミツキガメとか、猫科でも豹とかサーベルタイガーとかだったら納得もいくが。
 いや、でも、これは、外に出して貰えない家猫そのものか? ああ、つまりアレか? 内緒で猫を拾って飼っていたんだけれど、『動物なんか飼っちゃいけません』的なお母さんにバレて、知らない内に外にポイされちゃったんだけれど、猫は迷いながら帰巣本能だけで帰ってきたっていう……うおぉぉぉおい!
「で……そのチャリオットは、無事に見付かったんですか」
「ああ、うん、その時はね。それから数年後に亡くなるまで、あの子は可愛がっていたよ。私が遊んでやっていると、わざわざ取り返しに来たりしてね。死んでしまった時はそれこそ、父母が亡くなったとき以上の悲しみようだった。それから二度と動物を飼うことはしなかった」
 ああ、そうすか。私には飼い猫にほど甘くはないが……ふくざつだ。まあ、いい。あんまり深く考えるのはよそう。
「ええと、それで、またひとつお訊ねしてもよろしいでしょうか。人についてなんですが」
「うん、誰のこと」
「フィディリアス公爵というのはどういった方なんでしょうか」
 やっぱ、気になる。なんか隠しているっぽいし。
 でも、アストラーダ殿下の形の良い眉がひそめられた。
「会ったのかい」
「いえ、ちょっと、会話を小耳に挟んで、どういう方かなあっと」
「メイドか兵士たちの噂話でも聞いたんだね」
 不機嫌そうな吐息が答えた。
「偉い方だというのは分かったんですけれど」
 さりげなく探りを入れれば、困ったものだと言わんばかりに首が振られた。
「知らないでいられるならば君も気にならないのだろうけれど、どうしても耳に入ってしまうだろうな。いらぬ事を言いたがる者も多いから……でも、変な風に耳に入るよりは知っておいた方がいいね。フィディリアス公爵家はランデルバイアでも名門中の名門と言われる家柄でね。代々、政治的にも重要な地位を担っていて、王家との繋がりも深い。以前、ディオが婚約を破棄した事を話しただろう。現当主であるフィディリアス公は今は退かれているけれど先の宰相の地位にあって、その相手だった令嬢、コランティーヌ姫の実父でもある方だ」
 え。
「きっと、これからも色々と口さがない者たちの噂が耳に入ることもあると思うけれど、既に決着はついた話だからね。君が心配するような事はなにもない」
 その言い方は、どれだけ揉めたかという事を示唆するには充分すぎる。

 ……冗談抜きでヤバいだろ、私。




 << back  index  next >>





inserted by FC2 system