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 どれだけ時間が経った頃だろうか、目の前にカップが置かれた。
「お茶をどうぞ」
「ああ、ありがとう」
 この部屋のメイド長だというゲルダさんが置いてくれたそれを、有り難く飲む。はあ、美味しい……
 一息吐きながら気が付けば、部屋の中は薄暗く、ランプの灯が灯され始めていた。
 そうか、もうそんな時間か。
 さて、あともうひと踏ん張り、とペンを持ったところで、「失礼ながら」、とゲルダさんから声がかかった。
「はい、なんでしょう」
 そう答えて見上げたゲルダさんの顔は……怖ッ!
 明るい内はそう思わないのだが、今は下から照らすランプの灯で顔の陰影が濃く出て怖い。高い頬骨や、瞳孔が小さいわりには大きな目とか、先の尖った鼻の形がやたらとはっきりと強調されて見える。金髪のせいか、眉、どこいった、眉っ!
 見た目、『ロッテンマイヤーさん』と呼びたくなるようなメイド長さんは、私に言った。
「本来、私共が口を差し挟むべき事ではないと存じますが、ひとこと申し上げさせて頂きます。ここ三日程の貴方さまの御様子を拝見いたしますに、まともにお食事も召し上がっておらず、また、殆どベッドでお休みになっておられないようにお見受け致します。それでは、美容にも差し支える上に、早晩、お身体を壊されます事は明白。貴方さまのお世話を任された身としては、これ以上は見過ごしてはおけません。お務めが大事とは重々存じてはおりますが、本日はお仕事をここまでとし、お食事をなされてゆっくりお休みになられるようお願い申し上げます」
 言葉遣いこそ丁寧であっても、とてもお願いしているとは思えない迫力を感じた。
「あー、はい。あの、では、もう少しで一区切りつくので、そこまでやってから、」
「いいえ。きちんとお休みになられる事の方がいまは大事。ここまでとして頂きますよう、重ねてお願い申し上げます」
「でも、あの、まだ大丈夫ですのでお気遣いな、く」
「お願い致します」
 ゲルダさん、こぉえぇよう!
「……わかりました」
「では、直ぐにお食事を運ばせますので」
「はい……」
 それでも、未練たらしくペンを握っていたら、無言の内に凄まれた。渋々ペンケースに片付けたら、ゲルダさんは漸く私に背を向けて、傍を離れていった。
 まあ、仕方ない。確かに、そろそろ体力の限界だろう事は私も感じている。完徹はしていないが、充分とは言えない睡眠時間だ。効率も落ちてきたし、ここらで一度、休むべきだろう。
 ……ああ、でもなぁ、もうちょっとで、本当にキリがつくんだけれどなぁ。中途半端に放置した仕事というのは気になって、眠るにも差し支えるんだよなぁ。
「お食事の御用意ができました」
「有難うございます」
 ひくり、とゲルダさんの額が動いた。
「この機会に、もうひとことだけ申し上げさせて頂いてよろしいでしょうか」
 なんだ?
「どうぞ」
「上におられる方が、仕える者にいちいち礼をおっしゃられるのは如何なものかと存じます」
 はあ、礼を言うなってか。
「ええと、でも、私は身分もないですし、上と言われる者でもないんですが」
「私共からすれば、タカハラさまはディオクレシアス大公殿下の大切なゲストでらっしゃいますから、そう位置づけられても差し支え御座いません」
 うーん。
「でも、私の国では、誰であっても、お世話をして下さった方に感謝の言葉を言うのは当り前で、言わないと失礼とされます。そうやって自然に身に付いたものですから、言わないと逆に気分が悪いんですけれど、それでも言っちゃ駄目ですか。言われて気分が悪いとかだったら、我慢しますけれど」
 そう答えると、ゲルダさんは数拍分、固まった。
「そういう事でしたら、致し方ありません」やっと答えた口元が、微妙にひくついている。「私共はお仕えする方に気持ち良くお過ごし頂くのが務めですので」
「ありがとうございます」
「ですが、部屋の外に出られた時には、お控えになった方が宜しいかと存じます。何ぶん、我が国ではそのような慣習はございませんので」
「分かりました。出来るだけそうします」
「では、席におつき下さい。冷めない間にお召し上がりを」
「はい」
 習慣と慣習。ほんの些細な事が難しい。郷に入れば郷に従え、とは言うけれど、どの辺までを妥協範囲とするかが問題だ。
 世話になっておきながらなんだが、これ以上、つまらないどうでもよいところで、いちいちストレスを受けたくないと思う。ええ、私もいっぱい、いっぱいなんで。
「いただきます」
 でも、手を合わせてのそれすら奇異の目で見られるってのも、なんだかなあ。

 食事の後は風呂に入って、寝支度をしてベッドの中に入った。ゲルダさん達におやすみなさいの挨拶をして、耳をそばだてて部屋から下がるのを待った。
 扉が締まる音を聞いて、それでも暫く様子を見てから、ベッドから起きだして書斎に戻った。寝巻き姿では寒いので、ガウンを羽織っていく……うー、流石に眠い。眠いが、仕事も気になる。せめて、さっき思い付いた内容をメモに残しておかなければ、忘れてしまいそうだ。
 アイデアは出た時が肝心。ずるずると芋づる式に色々な事も思い付いたりもするので、集中してやった方がいい。半死状態であっても、そういう時の方が普段にはないアイデアが出たりもするものだ。使えるものかそうでないものかは、正常になってから判断すればいい。
 私は机の上のランプを点けて、早速、取りかかった。




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