- 4 -
企画を立てる上でアイデアの出し惜しみはしない方がいいと思う。先々、アイデアが出なくて困った時の為に、などとけちれば、折角の良いアイデアも自然と小さく纏まったものになってしまう。でも、そんな事よりも、私の場合、次の機会があるかどうかも分からない。しかも、長期に渡る軍事行動に合わせて数多くの仕掛けが必要となれば、先の事なぞ気にしている余裕もない。
まあ、そんなわけでキリキリ働いているのだが……
物音に気が付けば、机に突っ伏して寝ていた。途中、猛烈に眠くなった事は覚えているのだが、そのまま意識を失ってしまったらしい。開いたノートに、ペン先が滑った跡が長く伸びている。あぁーあ、最後の方は象形文字になっている。これ、なんて書いたんだ、私?
ふ、と顔を上げれば、扉前にゲルダさんが立っていた。
顔が引き攣っている。怒ってるな、こりゃあ。
「おはようございます」
一応、朝の挨拶をした。
「おはようございます」背筋をしゃっきりと伸ばした返事があった。「お召し替えなさいますか」
「あ、はい」
「では、先に洗顔を」
「はい」
と、答える傍から大欠伸が出た。あー、目がしばしばする。
立って寝室に向かった。用意された新しい水の入った洗面器で顔を洗う。
そして、アイロンのきいたシャツと制服に着替え、髪も梳かしたら、気合いも入った。うっしゃっ!
書斎に戻れば、朝食の用意は既に整っている。そのまま、席について食べる。
食べ終ったら、次は歯磨き。
驚くべきことに、この世界にも歯ブラシがあった。ほぼ同形のもので、柄の部分は木製、ブラシ部分は植物を加工したものっぽい。歯磨き粉はないけれど、塩を使用。磨くだけでも気分がいい。ファーデルシアにいる時も含めて、この部屋に来るまでは、海綿とか布みたいなもので拭くだけだったので、どうやら、かなり高価なものらしい。
口を濯いだら、かなりさっぱりした。気分もすっきり。そのまま仕事用の机へ移動。
……結局、私にとっては、この二部屋だけですべてが事足りる。しかも、居心地は悪くないときた。
なかなかに恐ろしい話だ。軟禁とも言うのだが、ザッツ、引き篭もり。
毎日、目をこすりながら満員電車に揺られて職場に通っていた事が嘘のように思える。朝食はコンビニのおにぎりですましたりしていた。毎日、色んな人と会って、話して、疲れて帰って。そんな日常の繰り返しだった。ただ、唯一、机の前で頭を掻き毟っている事ぐらいが共通点だろう。
後ろの窓を開け、ひんやりとした外の空気を吸い込んだ。
薄曇りの天気。このまま崩れるかもしれない。
ああ、空が広いな。それに、高い。
眼下に広がる都の遥か向こう、遠くに見える山脈の向こうまで果てしなく広がっている。ビルに区切られていたあの不定形な形が、ハリボテの作り物だったかのようにも思える。空気も、聞こえる風の音も、何もかもが違う。これが、本物の自然というものなんだろうなぁ。
でも、私に変わりはないんだよなぁ……そう思うと、なんだか不思議な感じがする。
車も、携帯電話も、テレビもない生活。それでも、生きていられる。生活していられる。というか、案外、慣れてしまえば、そういう面ではこっちの方が快適でさえある。とは言え、不足も多いんだけれど。
「落ちぬようお気をつけ下さい」
少し身を乗り出しすぎていたか、ゲルダさんから注意があった。
「ああ、すみません」私は首を引っ込めて、窓を閉めた。「雨が降るでしょうか」
「さあ、どうでしょうか」
にべもない返事。これもメイドの立場を守ってのものか、それとも、言うことをきかなかった事を怒ってのものか。顔色を見る限りでは分からない。
まあ、いいさ。
お互いの領分というものが分かってくれば、その内、ちゃんとした距離を保つことも出来るようになるだろう。
何事も一朝一夕にはいかない。
まずは、仕事を片付けよう。
それから暫くしたら雲行きが怪しくなって、細かい雨が降り始めた。その内、雷も鳴り始める。
一瞬、空を切り裂くように枝分かれした細く長い青白い光が放たれ、数秒の後に叩き付けるかのような大きな音が轟く。
うーん、スペクタクル! 高い場所から見るそれも、また一興。
でも、それとは別に、私はあの時の事を思い出す。こちらの世界に来た時の事を。
鏡像物質の衝突に巻込まれたその時、私が耳にした音もこんな音だっただろうか?
空の砕ける音。
もっと、ガラスが割れ砕けるような高い繊細な音だったような気がするが、近くのビルの窓ガラスが割れた音と混同しているのかもしれないと思う。それとも、自然発生的な雷とはまた少し違うもので、同じ放電現象にしても条件が違うものだったから、と思ったり。今となっては、確かめる術もない事ではあるが。あ、また光った。
「きゃっ!」
部屋に控えていたメイドさんが悲鳴をあげた。雷が苦手らしい。そう言えば、この城、立地条件からして落雷にあいやすいと思うのだが、どうなんだろう? まあ、石造りだから大丈夫だろうと思う。別に電線が配されているわけでもないし、落ちたところで大したダメージにはならないだろう。
「……失礼しました」
メイドさんが謝る。でも、やはり怯えた様子でそわそわとしている。
「いいよ、気にしないで」
と、そこで扉をノックする音がした。
「どうぞ」
答えれば、入ってきたのは、見慣れない顔の騎士だ。
「突然、失礼する。移動中、コランティーヌ妃が雷に怯えられ立ち往生なされたので、暫し、こちらの部屋にて休ませて差し上げたいのだが」
うおう、お姫さまがいきなりかい。嫌でも、断るわけにもいかんだろうよ。
「何のおかまいできませんが、それでもよろしければどうぞ」
私の答えに騎士は頷くと、
「コランティーヌ様、どうぞこちらへ」
と促され、別の騎士に身体を支えられるようにして、彼の人が入ってきた。
「横になられるのでしたら、隣の寝室をお使いになって下さい」
そう申し出てみれば、いいえ、と鈴を鳴らしたような澄んだ声が答えた。
「暫しの間、休めば大丈夫です」
「では、そちらの長椅子にどうぞ。お茶をお持ちしましょうか」
「いただきましょう」
突然の珍客に、メイドさんも雷どころではなく働き始める。
で、私は、こういう場合、どうすりゃいいんだ?
騎士に支えられ長椅子に腰を下ろしたコランティーヌ妃は、見るからに頼りなげな様子で、背凭れに斜めに身体を預けると、四人の騎士達になにかを伝えた。すると、騎士達は妃ひとりを置いて、部屋を出ていった。
なんだ、なんだ? いいのか、大事なお姫ぃさんだろうに。
ひとりでほっぽっておくには、どうにも気になる。美人とか別にしても、そういうオーラを醸し出しているからだ。儚げな佇まいでありながら、存在としては煩い。黙っていても、自己主張をする人だ。
おそらく、ずっと人に囲まれて生きてきた人で、それが当り前になっているせいだろう。だから、ひとりになると、無言の内に人を呼ぶのだ。
……ああ、うるせぇ。仕事が出来んじゃないか。
私は小さく嘆息すると自分の机から離れ、長椅子へと近付いた。
「お茶の他になにか御入り用のものはありますか」
そう言った途端、また落雷の音がする。
コランティーヌ妃は、青ざめた顔で身を震わせると、
「では、気を紛らわせる為に、話し相手になって貰えますか」
「畏まりました。至らぬ者ではありますが、務めさせて頂きます」
……なんだか、面倒臭そうな人っぽいなぁ。
そんな思いはおくびにも出さず、私は頭を下げていた。
こういうところが、身分制度の良くないところだ。