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 ロクサンドリア・ジャスティーヌ・デイル・ディ・ランデルバイア女王陛下。
 アウグスナータ王の正妃であり、いずれはどちらかが王となるだろう、ふたりの王子の母。
 私もその名を耳にはしていたが、お会いするのは初めてだ。
 グレースさんは、王妃様が『姫さま』と呼ばれていた頃からの御友人関係であったとの説明を聞いた。
「本日、思いもかけずお初にお目にかかれて光栄に存じます。カスミ・タカハラです。どうぞ、キャスとお呼び下さい。ロクサンドリア陛下には御機嫌麗しく」
 床に額がつくほどに、精一杯、身体を低くしての挨拶。……うがあ、がちがちだよ。或意味、同性相手の方が緊張する。自然と点数は辛くなるからな。
「そう硬くならずとも良い、キャス。顔をあげてこちらの席へ」
「……はい」
 アストリアスさんを見れば頷いたので、言われた通りに楕円のテーブルの空いた席へ向かう。
 すかさずカップに紅茶が注がれ、早めのお茶会となった。
「そなたに会えるのを愉しみにしていた。陛下にお願いしてもなかなか会わせて頂けず、ガルバイシア卿に無理を言ってこのような席を設けて貰った。こういう機会であれば、忍んで城の外にも出られる故」
 そう話すロクサンドリア妃は、意外に感じるほど活発な雰囲気を醸し出している人だった。お忍び用だろう、私の着ているものとどっこいどっこいの水色のドレス姿に、気軽さが感じられるせいもあるのだろう。
 色の薄い金髪碧眼。目尻のあがった長い瞳はきりっとしていて、力がある。形の良い通った鼻筋。口元は大きく、引き締まって見える。大味であまり女臭さを感じさせない女性だ。雰囲気からして、サバサバとした印象を受ける。それでいて、当然のように品も良く、仕草も優雅。それが、実に絶妙。迫力のある美人だ。年齢も私よりも幾つか年上ぐらいだろうが、とてもふたりの子持ちには見えない。まあ、一般庶民とは違って、子育てにキリキリと神経を使うこともないせいもあるのだろうけれどな。
「身に余るお言葉、恐悦至極に存じます」
「ああ、そのように畏まるな。聞いているだけで肩が凝る」
「まあ、ロクサンドリアさまったら。そういうところは相変わらず」
 クスクスとグレースさんが笑った。
「城の外ぐらいは無理はしたくないし、させたくない。聞けば、ここに来る以前は市井にあったそうではないか。城の中に閉じこめられ、さぞや窮屈な思いをしているであろう、のう?」
「……お気遣い有難うございます。お世話になっていてなんですが、正直に言わせて頂ければ」
 ああ、なんか、素の陛下と同じ匂いがする。夫婦だからって事もあるのだろうけれど、下手に畏まれば、逆に気を悪くされそうだ。
「よい。そう思って当然。話の分からぬ者共が勝手なことばかりを抜かしおって、そなたも苦労が絶えぬであろう。揚げ句に命まで狙われては堪ったものではないな」
「はあ」
 女王陛下という言葉のイメージからもっと堅苦しい方を想像していたのだが、この方はどうやら違うらしい。言葉遣いからして男っぽい。凛々しい感じだ。
「しかし、聞いていた話と印象が違うな。もっと、闊達な者を想像していたのだが、思っていた以上に可憐な様であるではないか」
 可憐? どっからそんな言葉が出てくるんだ。
「真に。私も主人より話を聞いておりましたが、もっと、少年のような方を想像しておりました」
 グレースさんの言葉にアストリアスさんが微笑んだ。
「彼女は男を装えば少年とも紛う姿で、女を装えばこのように可愛らしく、少女のようにあるのですよ」
 おい、なんだそりゃ。一体、誰の話をしている。
「ほう、それは便利だな。今度は男装姿を見てみたいものだ」
 王妃様は、ふふ、と悪戯めいた笑みを浮かべた。
「城の中では、常に軍服を身に着けておりますよ。陛下には不評でしたが」
 堪らず会話に加わり答えれば、ああ、と頷く。
「陛下は女に甘過ぎるところがあるからな。いや、甘やかしたがるというのか。クラウスもその気があるようだが、あれは相手を選ぶしな。ディオは今のところそういう話はきかないが。ガルバイシア卿、その辺はどうなのだ」
「さて、どうでしょうか。少なくとも彼女、キャスに関しては、節度ある距離を保っておられますが」
「陛下より、ディオはそなたに女を捨てさせたと聞いたが、それは本当か」
 私の方に視線が向けられ、横でグレースさんが、まあ、と非難めいた声をあげた。
「そうですね。それについては、私も納得はしておりますが」
 アストリアスさんを横目で伺えば、難しい顔をしている。
 王妃様は首を横に振りながら、溜息を溢した。
「戦では自在に兵を操ると聞くが、どうも、そういうところで妙に頑固だな。少しぐらいは融通をきかせてやれば良いものを。であれば、コランティーヌもあそこまで駄々をこねる事もなかったであろうに。それにしても、あれもいい加減に諦めが悪すぎる。下手な美しさが仇となっておる。フィディリアス公だけならまだしも、陛下や諸侯共が甘やかすのもいかん。最初の内は同情もしたが、最近は、少々、鼻にもついてきた。時々、北海に放り込んで沈めてやりたくもなる」
 ……簀巻かコンクリ詰めかよ。どこのヤクザのアネさんだ?
 しかし、えらいきっぱりと言ったもんだな。ああ、でもこういう性格だと、女おんなしたあの性格はイラッともするか。
「私は噂でしか聞いてはおりませぬが、そんなにですの」
 グレースさんの問いに、力強いまでに、うん、と頷き返す。
「陛下の前ですら、三言めにはディオクレシアスの名を出す始末。己の立場も弁えず、また、己の言葉が他の者に如何ほどの影響を与えるかも分かっておられぬ様子。王の側室となったからには、側室なりの務めがある事も忘れておられるようだ。一言ぐらい己の父を諌めても罰は当るまいに……そなたもあれに迷惑を被ったと聞いたが」
「まあ、迷惑というほどの事ではありませんでしたが、突然、部屋に来られたのには驚きました。神殿へ行く途中、雷に怯えられて、という事でしたが」
 三割は遠慮して答えれば、やれやれ、と王妃様は声に出して言った。
「まったく度し難い。祈るだけならば、わざわざ神殿に行かずともよかろうに。案外、ディオもそういうところが嫌になっていたのかもしれぬが」
「そうなんですか?」
 思わず訊ねてみれば、
「私の想像だ。本当はどう思っているのかは知らぬ。どうなのだ」
 と、話を振られたアストリアスさんは苦笑を浮かべた。
「さあ、そこまでは私にもなんとも。しかし、理由はなんであれ、多少なりとも腐心なされている事は確かでしょう」
「であろうな。現実、ここで改めて縁を切ろうとすれば、コランティーヌを擁護する者たちから反発を食らうは目に見えておる。妃は騎士たちにも人気があるからな。大事な戦を前に言うに言えぬのかもしれぬな」
 ああ、そういう事もあるのか。ううわ、けじめつけろって言っちゃったよ、私! やべえな。
「そう考えると、困ったものですわねぇ。でも、まだ、そうと決めつけるも早いでしょう。すべてはこちらの憶測。まだ、復縁がないと決まったわけではないのですから」
 グレースさんはのんびりと言った。……王妃様と良いコンビだ。
「そうだな、すべてはディオ次第であろう。だが、私としては、一度は灸をすえてやりたいところだ。ディオと同じくなかなかそうもいかぬが」
 と、腹立たしげに王妃様は答えると、紅茶に口をつけた。
「お茶が冷めてしまいましたわね」
 グレースさんはメイドさんを呼んで、一度、カップもすべて下げさせた。
 そこで、王妃様は何事か思い出したように、く、と笑った。
「しかし、クラウスとディオとそなたが西の廊下の真ん中で茶会をしたと聞いたのには笑った。私も混ぜて欲しいと思ったほどだ。如何なる経緯あってそうなったのだ」
「ああ、あれですか。あれはですね、」
 私はアストラーダ殿下と初めて会った時のことを話した。話し終れば、王妃やグレースさん、アストリアスさんも笑い声を立てていた。……いや、愉しんで頂けて光栄です。ってか、みんなアストラーダ殿下がした事で、私はなにもしていないのだがな。
「いや、愉快。クラウスもなかなか粋なことをする。偶にはそうやって目先の変わった場所で茶会を開くのも、気分が変わって良いかもな」
「でも、ディオ殿下もよく応じられましたわね。一言だけ言って、さっさと行ってしまわれそうなのに」
「あれもどうやってクラウスと接点を持とうかと考えておったのであろう。下手な歩み寄り方をすれば、またぞろ煩く言う連中もいるであろうから」
「ええ。あれ以来、双方に多少なりとも和解をしようという流れが出て参りました。これもキャスのお陰ですね」
「いえ、そんな。私は、たまたまあそこにいただけの事ですし」
 口々に言う言葉にそう答えれば、皆、また笑う。
 だが、と王妃様が意地悪っぽくも見える笑みを浮かべて言った。
「しかし、攫われてのち、戻ってきた城の入り口で呪いの言葉を大声で吐いたというではないか。あれですっかり、口ばかり達者な小心者共がなりを潜めておる。そなたの悪口をひとことでも口にすれば、呪われると言ってな」
 あれ、そうなんですか? 思っていた以上に効果てきめんだったな、そりゃ。
「ああ、すみません。あの時は腹を立てていたものですから」
「よい。陰口ばかりが先行する城中にて、その意気や小気味良くある。切っ掛けはなんであれ、大した理由もなく相手を悪し様に言う者も口を控えるようになったしな。少しは静かになってせいせいするわ」
 ああ、よっぽど鬱陶しかったんだな。
「あの時は、私もその場に居りましたが、あれには多少ならず面食らいました。キャスがあれほどまでに攻撃的な言葉を口にするのを、それまで耳にした事がありませんでしたので」
 とは、アストリアスさん。
 そう驚いた風には見えなかったが、そうだったんだ。へえ。
「危うく命を落としかけたとあれば、無理からぬ事。しかも理由も分からずとなれば、腹にも据えかねようぞ」
 王妃様はそう言って、私ににっこりと微笑みかけた。
「人伝てには聞いてはおるが、もうひと度、そなた本人の口からその時の話を聞かせてはくれぬか。勿論、蛇を叩き殺した事も含めて詳しく」
 ……あー、結局それか。蛇を食べたって話は、余程、インパクトがあったらしい。いや、人間、切羽詰まれば、なんでもやるもんですってば。
「あまり話し上手な方ではありませんが、それでも宜しければ」
 と、いうわけで、初めてのサバイバル実践の模様を、王妃さま相手に披露することになった。
 やれやれ、だ。
 きっと、今頃、城の中ではくしゃみをしている人が沢山いる事だろう。




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