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 正直言って、私にはナショナリズムなんてものが良く分からない。
 『愛国心』を強調する人って、皆にそういう思想を植え付けてどうしたいんだろう。何をしたいんだろう、と思う。
 こうして生まれた国を遠く離れて二度と帰れない状態の今、時々、やっぱり懐かしく感じる。独特な風習や季節、風景などを思い出しては、ああ、と言葉にならない感情が去来する。それじゃあいけないんだろうか。ただ、故郷が好き、ではいけないのかなあ。
 でも……そういう人間が、今、故郷でもなんでもない国の戦いに関ってるって、やっぱり、間違っていると自分でも思う。

 なんとかランディさんは、中佐達を退けた。随分と時間はかかったけれど。
 それから宿を出て、私達はチルバの街をめざして旅を続けた。
 途中の宿場町でも、噂を拾い集め、そして広めた。
「いやだねぇ、またファーデルシアと戦するってんだから。若いもんも取られちまって、ここら辺りも寂れていく一方でさ。国を広げれば豊かになるって言うけれど、実際、苦しくなるばかりさね」
 立ち寄った飯屋の気の良さそうな女将さんは、そう愚痴をこぼした。
 旅人である私達から少しでもなにかの情報を得ようとする人は多い。その為、難なくこうして話を聞く事も出来る。メディアが発達していないこの世界では、確実な情報が手に入りにくく広まりにくい、という欠点はあるが、その分、人同士のコミュニケーションのあり方は豊かだと感じさせられる。特に女性は。
 口コミを狙うならば、女性、とりわけ主婦をターゲットにした方が効果的だ。
「偉い人は随分といい思いをしているらしいって話ですけれどね。本当かどうかは知りませんけれど」
「ああ、物資の横流ししているとかだろ。前からそういう話はあったけれど捕まるでもなし、ほんといい加減なもんさ。ここだけの話、結局、良い思いをするのは貴族ばっかりで、その為に村の若い連中が犠牲になるかと思うと不憫でならないよ」
「そうですよねぇ。せめて、それで少しは生活が楽になれば良いんですけれど、そうならないし」
「ほんとうにね。でも、王様ももう年だし、この先どうなる事やらだよ。王子が跡を継ぐにしたって、どういう方かぜんぜん噂にも聞かないしね」
「私が聞いた話では、大人しい優しい方だそうですよ」
「へえ、そうなのかい。優しいのはいいけれど、大人しいってのはどうかねぇ。暮らしは楽になるかもしれないけれど、逆に、今度はランデルバイアとかに攻め込まれるんじゃないのかねぇ。そうなったら困るよ。前の戦ん時も、結局、ランデルバイアにやられちまったようなもんだからさ。畑は荒らされるし、関係ない村も襲ったりして焼き払っちまったりするんだから。女、子供、関係なく容赦ないんだから。酷いもんだよ。財産どころか命まで、何もかも根こそぎなくしちまう」
「……怖いですね」
「ああ、本当に恐ろしいったらないよ。特にあんたみたいな若くて綺麗な娘は、あっという間に連中の餌食にされるよ。戦になるってなったら、直ぐに逃げた方がいいよ。とは言っても、逃げられる場所なんて、何処にもないんだけれどさあ」
 深い溜息が言った。

 過去に行った仕打ちを償う方法なんてありはしない。悪い記憶ほど人の心に強く残るものだ。
 加害者がどんなに後悔したところで、被害を受けた者が最大限の努力を払って許しはしない限り終らない。それでも、一度、冒した罪は消えたわけではない。憎しみは何処かに消えずに残る。たとえ、当事者がすべていなくなっても。

「あれ、本当の話なんですか、村をひとつ焼き払ったって。関係ない人達を襲ったって。暴力を振るって殺したって」
 宿の一室で、私はランディさん達に問い質した。多分、酷い顔をして責めていると分かっていても、どうする事も出来なかった。
 椅子に座ったランディさんは溜息をひとつ吐いて俯いていたが、前髪を掻き上げるようにして顔を上げると言った。
「本当だ」
 眉間を貫くような電流が走る感触があった。寒いわけでもないのに、自然と身体が震えた。
「……どうして。どうして、そんな酷い事したんですか」
 分かっている。私は答えを知っている。
「一部の兵士がした事だ」
 ランディさんは淡々とした表情と声で言った。
「止められなかったんですか」
「気が付いた時には、殆どが終った後だった」
「行った兵士たちは。罰を受けたんですか」
「いいや」
 いつもは柔らかく朗らかなエメラルドグリーンの瞳が、鋭く冷たく見える。
「なんで」
 真直ぐ私を見たまま、私の知る通りの答えが口にされる。
「それが戦争だからだよ」
 分かっていた。知っている。だけど……
「でも、なんの抵抗もできない人を殺すなんて、子供や女の人まで」
 間違っている。
「それが戦というものだ」
 これ以上、訊いちゃいけない。
「でも、酷いです。そんな事をして胸が痛まないんですか。嫌だって思わないんですか」
 ランディさんを追詰めちゃいけない。責めるのは間違っている。
「敵国の人間を殺しても罪には問えない。褒めこそすれ、ね」
「ランディさんは、ランディさんもグスカを、グスカの人達が憎いですか」
「憎いよ。時々、堪らなくなる程にね」
 ……馬鹿だ、私。何故、こんな事を訊いてしまうのか。
「ウサギちゃん、私の父はね、グスカとの戦で命を落としたんだ。グスカ兵に殺されたんだよ。私は十六になったばかりで、レティが十歳の時だ。そして、この前の戦争の時も、沢山の友人や部下を亡くした。その殆どが、あのロウジエ中佐の率いる隊にやられたんだ。宿で初めて顔を合わせたあの時、剣を持っていたら斬りかかっていたかもしれない。斬り殺してやりたいと、本気で思ったよ」
 それはおそらく、中佐側も同じで……どうすれば良いんだ……?
 呆然と、極限まで感情を押し殺したランディさんの顔を見る。とても良く知っている人の筈なのに、全然、知らない人のように思えた。
 いや、私は知らなかった。知った気でいただけなんだ。
 分かった風を装って、戦を扱うと、覚悟していると言っていても、それは、上っ面だけの言葉だったって今、分かった。
 これは、間違いようもなく、人殺しなんだ。その一端を、私は担っている。
 罪に問われる事はないが、人として最低の事をしようとしている。
 重い。重すぎる。
 実感の伴ったそれに、今にも押し潰されそうだ。また、口の中に錆びた味を感じる。
 なんて事をしているんだ、私は……なんてものに関ってしまったんだ!?
 居たたまれなくなった私は、黙って部屋から逃げ出した。

 自分の泊まる部屋に戻って、私はベッドの上で蹲った。
 泣きはしなかった。辛くはあったけれど、涙が出なかった。胸が締めつけられるように痛むが、とても密やかな穏やかな痛みだ。多分、この辛さは拾ってしまった人の辛さだからなのだろう。こういったものに感情移入しては泣けるほどの強さを、私は持たない。……泣く事で気持ちを晴らしてもいけない問題に違いない。
「ルーディ……」
 今頃、彼女はどうしているだろうか。ミシェリアさんやちびっこ達は?
 彼女たちも私が今頃どうしているか、思ってくれているだろうか。それとも、とうに死んだ者として、諦められてしまったか。

   ――おまえの目の前で多くの人の血が流され、傷つき、ありとあらゆる苦しみを目にもしよう。受ける憎しみに、死以上の苦しみが伴うかもしれん。魂は穢れもしようし、死してのち、天への道も閉ざされよう……

 ふいに、エスラクシオ殿下の言葉を思い出した。あれは、私に配下に下れ、と言った時の言葉だ。
「それだけの犠牲を払ってでも願いを叶えようと覚悟を持つならば、か」
 覚悟なんかしていなかった。
 ただ、目の前の死を回避せんが為だけに頷いただけだった。
 ああ、人というのは、なんて忘れっぽいんだろうなあ。私は、とうに死んでいてもおかしくない身だったのに、そんな事、すっかり忘れていた。
 この重さは死ぬに等しい重さなんだ……そう思った。それでも、おそらく氷山の一角でしかない。
 私は思う。
 私は考える。
 もう一度、すべてを構築しなおさなければいけない。もう一度、最初に戻って組み立て直さなければいけない。思想や感情、覚悟、私自身がどうしたいのか、何をしたいのか、なにをしなければいけないのか。
 ああ、でも辛い、本当に。理性と感情の闇鍋状態で、気持ち悪いばかりだ。
「あ゛ああぁぁぁあっ!」
 私はベッドの上でじたばたと手足を動かし、暴れた。
 畜生、畜生、畜生っ! ちくしょうっ!!
 枕を放り投げて、毛布を蹴飛ばした。蹴った瞬間、足の小指をベッドの縁にぶつけた。
「痛ぁっ!」
 畜生っ!
 ああ、もう、腹が立つっ!
 何に?
 決まっている。全部に、だ。
 世界全部に。元の世界も神様も、自分も含めてぜんぶっ!


 ばっきゃろぉおーーーーーっ!!



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