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 結局、それから誰も私を起こしに来なかった。次に気が付いたら、すっかり夕方になっていて、仮眠どころではなく、マジ寝していたらしい。寝惚け眼で天幕から出たら、お馴染の黒い男たちがわらわらといて……おおい。どうなってんだ?
 訊こうにも知った顔はどこにもなく、訊きに行こうにもどこへ行ったら良いのかわからない。仕方ないので、軍服に着替えて顔だけ洗いに行った。
 広い草原に天幕がずらりと並び、兵士さんや騎士さん達が動き回ったりそこら辺でくつろいだりしている。ざっと見た感じ、暗い感じはない。笑顔さえみられる。
 兎に角、現状を知りたい。あれからどうなったのか。だいたい、この陣がどの辺りに張られているものかも分かっていない。
 とは言え、瞳の色もまだ判別しやすい時間帯という事もあって、自軍内であってもうろうろする事すら出来ない身だ。また、天幕に戻った。
 戻って暫く荷物の整理やらして時間を潰したが、やはり、誰も来ない。皆、忙しくて、私にかまっている暇などないのだろうか。それにしたって、ほったらかし過ぎじゃないのか? 報告はしなくて良いのか?
 ぼうっとしていたら、お腹が鳴った。
 考えてみれば、明け方、軽くクラッカーとチーズを口にしただけだ。頭の芯がぼやけた感じがあるのは、その原因もあるのだろう。でも、こういう時の食事ってどうなっているんだ? ください、と言って、貰えるもんなんだろうか。一応、非常時って言ったらそうなんだし。持ち運び便利な携帯食なんてないだろうしなあ。やっぱり、飯ごう炊さんか。カレーライス……んなわけねぇか。
 どうにも落ち着かなく、もう一度、天幕から顔だけ出して、外を覗いてみた。
 おおい、誰かいないかあ? 私、どうしたら良いんだよう! そういや、グルニエラは何処だ? ウェンゼルさんは外に繋いであると言っていたけれど、何処にもいないじゃないか。
 段々、自分の機嫌が悪くなってきているのを感じる。
 いかん、このままだと愚図り始めてしまう。眠ったからまだマシなだけで、気分が晴れたわけじゃない。ストレスで、ギリギリの状態だ。せめて、また、お茶ぐらいは飲んでおいた方が良いかもしれない。
 そして、漸く、周囲も薄暗くなってきたところで、携帯用のカップを持ってお湯を貰いに外に出た。

 とろとろと天幕の間を歩く。と、ひとつの天幕の周囲がやけにものものしく、騎士たちが取り囲んでいた。出入り口は幕が下ろされ、外からは中が見えない。
 おそらく殿下がいるのだろう、と思ったその時、
「ふざけんなっ!」
 怒鳴り声がして、ひとり違う色の軍服が中から出てきた。

 あ。

 私は立ち止まった。
 見間違えようもなく、ギャスパー君だった。
 生きていたんだ、と思い、よかった、と胸を撫下ろしたその時、視線をこちらに向けたギャスパー君も、私に気付いた。

 あ。

 一瞬、呆気にとられた顔をしたその次に、怒りに満ちた表情に変わった。
「キャス、てめぇ……よくも騙しやがったなっ!」
 怒鳴りながら、ずかずかとした足取りで近付いてきた。
「なにが、病弱で友達ひとりもいない、だ! ぬけぬけと嘘吐きやがって! 同情した俺が馬鹿みてぇじゃねぇかっ! この性悪女っ! そうやってどれだけの男を誑かしてきやがんだっ! このアバズレ女がっ!」

 なんだとう……かちん、ときた。というより、キレた。

「うっせぇわ、このワンころっ! きゃんきゃん吼えやがって、誰が性悪女だっ! 人を娼婦扱いすんじゃねぇやっ!」
 手に持っていたカップを、衝動的に投げつけていた。
 ギャスパー君には、ひょい、と首を動かして軽くよけられたが、死角にいたランデルバイアの騎士の額にモロに当たって落ちた。スッカーン、と良い音がして騎士は蹲ったが、謝っている余裕なんかなかった。
 私は目の前のグスカの騎士姿に向かって、大声で怒鳴り返していた。
「嘘ついて何が悪いッ! 正直に言っていたら、その場で斬り殺していたくせにっ、この野蛮人がっ! 人を殺す事を考えてばっかいるから、こんな戦争になったりするんだろうがっ! こんボケッ! 正直者でも、味方を犠牲にして勝とうとか思うやつのどこが偉いんだ! 頭おかしくして逃げる仲間まで殺そうって輩の何処が偉いってのよっ! そんなんより、嘘ついて助かる人がいるんだったら、その方がよっぽどマシじゃないかっ!」
「なんだと、この女! 詐欺紛いのことしといて、偉そうな口きいてんじゃねえっ!」
「そっちこそ、黙れ、ガキッ! 知った風な口きいてんじゃないよっ! ちょっと引っ掛かったからって大袈裟に騒ぎやがって、男のくせに細かいこと気にすんじゃねぇっ! このミジンコッ!」
「なんだとこの野郎っ!」
「そうやって、すぐ暴力に訴えようってのが野蛮人だって言ってんだ! ちったあ進化しやがれっ、こん猿っ!」
「助けてやった恩も忘れて! 街中でべそかいていたの誰だっ!」
「その後、うちの食料庫、空にしておいてなに言う!」
 私に掴みかかろうとするギャスパー君の腕は届かなかった。それより先にサバーバンドさんが、背後から掴んで止めたから。そして、私も後ろからグレリオ君に両肩を押さえて止められ、前にはランディさんが立ちはだかった。
 天幕の中から、殿下やアストリアスさん、中佐も何事かと出てきていた。
「ギャスパー、明らかにおまえの負け。手をあげようとした時点で駄目でしょう」
 サバーバンドさんは、冷静な口調で言うと、ランディさんの後ろにいる私を見た。
「でも、キャス、仕方なかった事は分かりますが、非常に不愉快な遣り方ですね。それは分かって頂けますよね」
「分かっています。あなた方からすれば、卑怯と言われる遣り方をした事は認めます」
 私はまだ収まらない腹立ちを抱えたまま答えた。
「ならば、結構。こちらも大勢の命を助けられた身ですから強くも言えない立場ですが、ギャスパーでなくとも傷つきますよ。私も裏切られた気分です」
「分かっています」
 畜生……
「あなた達の事を助けようとした事は私が勝手にした事ですから、気にしなくてもいいです。こちらにも益になった事ですから、恩にきせる気もありません」
「それは良かったです。では、この先どうなろうと、この件はこれで終いという事でいいですね」
「はい、それで、かまいません」
「では、ギャスパー、席に戻って」
 背を押されるギャスパー君の斬り付けるような瞳を、ランディさんが遮った。
「キャスはこっちに」
 グレリオ君が添える手を私は振り払った。
「ウサギちゃんが気にする事はない」
 ランディさんが言った。
「気になんかしません」
 いけないと分かっていても、きつい答え方しか出来なかった。そして、ひとりで自分の天幕へと戻った。
 腹が立って仕方がなかった。
 ギャスパー君たちの言い様も思い出すだけで腹が立ったが、一番の当事者である私に何ひとつ知らせず、蚊帳の外に放りだす真似をする殿下達の遣り方にも腹が立った。
 分かっている。ギャスパー君たちが本当の事を知れば、怒るのは分かっていた。あえて、私に結果を知らせる必要がない事も分かっている。私の存在は、端からイレギュラーなものだから。
 けれど、悔しくて、泣けてきた。でも、やっぱり、泣かなかった。泣いたら負けると思ったから堪えた。
 お腹が空いていた事も忘れて、痛む胸だけを抱えて蹲った。




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