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 ところが。
 それから二時間経っても、戦勝報告はなされなかった。待てど暮せど誰もなにも言ってこないし、誰ひとり戻ってこない。おかげで、御馳走もお預けだ。ちぇっ。
 陽はとうに沈み、陣も中も薪の灯ばかりが目立つ。
 耳を澄ませても、戦いを物語る反響らしき音も聞こえてこない。ただ、ひっそりと静まり返っているわけではなく、今か、今か、と報せを待ち侘びる兵士たちの浮ついた空気で、騒めいていた。
「遅くないですか」
 天幕の中から顔だけを覗かせて、外で様子を窺っているウェンゼルさんに問うと、まあ、と意外とのんびりとした表情が返ってくる。
「案外、てこずっているのかもしれませんね。グスカ王も往生際悪く、逃げ回っているのかもしれません」
「ああ、そういう事もありますか。王を討取らない限りは、勝ったって事にはならないんでしょうか」
「そうですね。他国に逃げてしまった場合でも勝利には違いありませんが、完全に、というわけにはいかないでしょう」
「そうですね。まずは大丈夫ではあるでしょうが、リィグ辺りに支援を求められても、面倒になりますし」
「リィグ……東の方にある国ですね」
 ランデルバイアとは、国境の東端から小国を三つ隔てた向こうにある大国だ。
「でも、遠いから、逃げる先としても、支援を頼むにしても、時間がかかりそうですね」
「可能性としては低いとは思いますが、ないわけではないですから」
「ほかの国の可能性は? ダルバイヤとかソメリアとか」
「ダルバイヤは、まずないでしょうね。ランデルバイア王家がダルバイヤ王家と姻戚関係にありますから」
「そうなんですか」
「ええ、殿下方の姉君に当られるベアトリス様の嫁ぎ先です」
「あ、へえ」
 お姉さんてのもいたんだな。初めて知った。
「とは言っても、裏切りがないとは言い切れませんが。ソメリアは、まあ、微妙なところではありますが、益がないとわかれば、保護はしても支援はしないでしょう。あそこの王は計算高いところがありますから」
「ふうん」
 国同士で色々とあるもんだな。外交政策も難しそうだ。
 ローグ大陸には大なり小なりの国が約三十ヶ国以上あるそうだが、ランデルバイアにとって主に警戒すべき国というのは、五ヶ国あると言う。
 まずは、ここ、グスカ。そして、ソメリア、リィグ、ダルバイヤ、そして、ファーデルシア。他にもエルディランデや、ヴェルゼンって国もあるそうだが、この五ヶ国よりは離れた位置にある為に、現状、事は一歩退いた付合いをしているようだ。
 と、そこへ馬が一騎、こちらに向かって走ってくるのが見えた。やっと、報せが届いたか、と思いきや、やってきたのはランディさんだった。ランディさんは私の天幕まで来ると馬を止め、外に出た私に向かって言った。
「ウサギちゃん、悪いが、これからすぐに一緒に来てくれ。ウェンゼルも共に」
「なにかあったんですか」
「ちょっと困った事があってね。手を借りたいんだ」
「はあ」
 手を貸すって、私にできる事なんてそうはないぞ。
 戦況を聞きに兵士たちが集まってくる中、ランディさんは、城はほぼ陥落して勝利は目前だが、未だ完全に成したわけではないと伝えた。だが、私に対してはなにも説明がない。他の兵士たちには聞かせられない話なのだろうか。
 そして、私は引かれてきたグルニエラに跨がると、先を急ぐランディさんの後についていった。
 駆ける脚は早く、とても焦っているようにも感じる。
 下弦の月明りばかりが頼りの暗い夜道を行くが、一体、どこをどう走っているのか。目印になりそうなものひとつ見当たらない。途中、ひとりで放りだされて陣へ戻れと言われたとしても、私には無理だろう。兎に角、ランディさんを見失わないように、後を追いかけた。
 マジュラスの都の門まで来たところで、漸く、現在位置を知った。
「他に通った者はいないな」
 一旦、馬を止めて、門の周囲を固めるランデルバイアの兵士たちにランディさんは確認する。と、誰も通らなかったという答えだ。
 どうやら、会話が現実のものとなったらしい。ウェンゼルさんとめくばせする。
 門を通り、城下町に入る。途端に、急に暗さを増したかのような錯覚を起こした。
 視界を遮る黒々とした大きな影が、正面にそびえ立っていた。グスカの王城だ。
 街の中央にどっしりと構え、夜の中ではかろうじて輪郭だけは判別できる黒き王城からは、離れていても威圧感を感じた。
 灯の消えた家々が並び建ち、人影のない石畳が続く街中をそれに向かって駆ける。人々は避難していないのか。それとも、灯を消して、家の中でじっと息を潜めているのか。まるで、ゴーストタウンに迷い込んだようだ。ただ、ところどころ崩れたところはあっても、街全体に荒れた様子はないので安心した。人々が戻って来てもすぐに生活ができるし、復興も早そうだ。
 目抜き通りを抜けて、周囲を幅広の堀に囲まれた城の正面に到着する。
 木の門扉は破られて木屑と化し、相応に大きな跳ね橋は下ろされたままだったが、蟻の這出る隙間もなくランデルバイアの兵士達が等間隔に並んで、出入りする者を見張っていた。
 確認を受けたランディさんと一緒に、私とウェンゼルさんは共に中へ入る。
 歩みを遅くした馬上から、ランディさんの横に並んで訊ねた。
「グスカ王が見付からないんですか?」
 松明の灯で照らし出される城は、ますます異様な雰囲気だ。怪物とかが出てきそう。
「あと、王子も見付からなくてね。両方とも逃げたとなると後々、面倒になりかねないからね」
「ああ」
 今回、敵国の兵士を解放したリスクがここにある。
 正当なる王の血筋を旗印に、逃げて生き延びた兵を集めて再組織化して、また国を奪い返そうとするかもしれないからだ。そうなった場合、激しい内乱となり、折角、被害をすくなくした労力も無駄となるだろうし、大勢の人の命が失われる事になる。いつまでも安定しない国政は国全体を疲弊させて、また、他国に攻め入る隙を与えかねない。
 その為に、ランデルバイアとしては、どちらかひとりを確保しておく必要がある。そうすれば、内乱が起きた場合でも正当性はこちらにあると主張し、相手を反乱分子とする口実となるからだ。
「それで、なんで私が呼ばれたんですか」
 城の入り口で馬から降りた私は、更に問いかけた。
「今、城中にいた者すべてを留め置いて、ひとりずつ調べている最中なんだ。でも、中には女性も多くいてね」
「女装しているかもしれないって事ですか」
「王は無理にしても、王子はまだ、十四才だから出来ないこともないだろう」
「喉仏見れば、一発で分かるじゃないですか。他にも声とか骨格から判断もつくでしょう」
 十四ならば、第二次性徴の兆しも出ているに違いない。
「そうなんだけれどね。衿の高いドレスでは隠れるから」
 紳士的態度を貫くとすれば、衿をひんめくる事も躊躇うか。まあ、その方が無難だけれどなあ。けれど、君ら、つくづく女と男の見分けが出来ないんだなあ。と、うわあ、すげぇ。なんだ、こりゃ!
 赤い絨毯の敷かれた廊下にさしかかれば、甲冑などの武具が両脇にずらりと並べて飾られていた。壁にも、ナイフやら斧やら、楯なんかもかけられている。まるで、武器博物館のようだ。マッチョな環境も露骨すぎる。ひとつひとつ見れば、装飾など見るべき価値があるのかもしれないが、明るければまだしも、点々とした松明の灯だけのこの光景は不気味でしかない。呪いの鎧とかありそう。夜中に勝手に動き回ったり、とか……よくもまあ、こんな所で暮していけるものだ。
「でも、私は王子の顔も名前も知りませんよ」
 会話で気を紛らわせるしかない。
「名は、ディディエ。ディディエ・エフライム・ハイメ・ド・グスカ。取り敢えずウサギちゃんは、男が混じっていないか確かめてくれるだけでいいよ。あとは私達の方でするから」
「そうですか。でも、髪の色とか目の色は」
「金髪に青い目だ。同じ特徴を備えた女性だけを一室に集めてある。ここだよ」
 廊下の突き当たり、衛兵に観音開きの戸を開けさせたランディさんに続いて中に入った。
 一斉に視線が集中した。ううわ、怖っ! 敵意、剥きだしだ。




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