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 王子とシェーラ嬢はふたり揃って、他の人達とは別室に移された。ナタリーさんも、彼等の世話をするという事で、一緒にいる事になった。頼りにならなくとも、一人は大人がついていた方がいいのだろう。
「随分と突き放したものですね。正直、意外です」
 茶会を終えた私に、ウェンゼルさんが言った。
「そうですか?」
「ええ。もっと情をかけるかと」
「そんな余裕、私にもありませんよ」
 苦笑いしか出てこない。これ以上、抱え込む事など無理だ。
「多分、甘え始めたらとことん甘える体質でしょう、あの王子は」
 強い依存心にそれが表れている。深く関れば、こっちの身がもたない。
 おそらく、母親か周囲にいた女達がそう仕立ててきたのだろう。
 女は時々、無自覚にそうやって男を甘やかして、自分の都合の良いように動かそうとしているように私には感じられる。足りない分の愛情を得る手段としている様にも感じる。その心地よさに甘んじれば、男は人間としてよりもペットの存在に近付きもする、そんな風に思える。そして、生粋のマザコンの出来上がりだ。……母親の気持ちなど、子供を生み育てた経験のない私には、分からないと言えばそうなのだろうけれど。どうせ、今後、それを知る機会もない。
 廊下を歩いていると、声をかけられた。
「キャス」
「アストリアスさん、御無事で」
 戦時のままだろうその人も甲冑は身に着けていて、いつものダンディさよりも厳めしさの方が勝って見えた。顔色は悪くはないが、疲労の色は隠しきれないでいる。
「おかげさまで。それよりも、手を煩らわせたようで悪かったね」
 だが、口調はいつもの通り、柔らかさを維持していた。
「いえ。これから殿下への御報告に伺おうとしていたのですが、宜しいですか」
「ああ、丁度、手が空いている筈だから良いだろう。御機嫌はよろしくないが」
「グスカ王妃が御自害なされたとか」
「うん、いずれにせよ死は免れないものではあったけれど、殿下に見せつけるかのように隠し持っていたナイフで首を突いてね。迂闊だったよ。女性だから身体検査もできなかった事にある」
「王はまだ見付からないのですか」
 溜息が答えた。
「一体、どこに行ったやら。これだけ探して見付からないとなると、既に都の外に出ているかもしれない。下手すれば、国内にいないかもしれないね」
「戦のどさくさに紛れて?」
「一国の王たるものが、そうは考えたくないが」
「リーフエルグのような隠し通路か隠し部屋はないのですか」
「ああ、今、その旨の心当たりがないか、ロウジエ中佐に問いあわせて返事待ちの状態だよ。中佐もここの造りに詳しいかは疑問だが、一応」
「そうですか」
「殿下への報告を終えたら、君は陣に戻って休むといい。王子の身柄は押さえたから、明日にも戦勝の報告はなされるだろう」
「はい。そうします」
「殿下はこの先の部屋で休んでおられる。衛兵が立っているから直ぐに分かるよ」
「有難うございます」
 アストリアスさんと別れて、言われた部屋に向かう。そして、すぐに見付ける事が出来た。
 一際、豪華な装飾が施された大きな二枚扉。それだけで高い身分の者が使用する部屋だと分かる。
 二人の衛兵さんに軽く挨拶をして、
「キャスです。御報告にあがりました」
 一言、言いながら、勝手に扉を開けた。どうせ、広すぎる部屋でノックしても聞こえないだろうし、返事があったところで聞こえやしない。
 ところが。
「殿下っ!」
 背後からウェンゼルさんが飛び出した。
 私と言えば、硬直したまま動けなかった。何が起きているのか、瞬時に判断できなかったからだ。
 ベッドの上で一人の上に伸し掛かるもう一人の影。くんずほつれつ……いや、ヤバイところに来てしまった、と焦ったのも束の間、上に乗る者の手が握る光る物が目に入った。
 それは、一振りの鋭利な刃物。人を簡単に刺し殺せるだけの鋭さと長さを持つ。
 そして下にいる者がエスクラシオ殿下だと気付いて漸く、何が起きているか分かった。
 暗殺だ。
「誰かっ!」
 我に返った私が叫ぶのと、悲鳴があがるのと同時だった。
 素早く走り寄ったウェンゼルさんが、抜いた剣で暗殺者の身体の中央を背後から貫いていた。
 暗殺者は絶命の声を上げて、剣を引き抜く勢いで仰向けに倒れた。白いシーツが、流れ出る血で赤く染まった。
「殿下、御無事でッ!?」
 ゆるゆると起き上がったエスクラシオ殿下に、ウェンゼルさんが声をかける。が、その左脇腹にも赤い沁みが出来ている事に私は気付いた。
 硬直しながらも、瞬時に考えが頭を巡る。
「早く医師を呼んできて下さい」
 怒鳴りたいところを我慢して、両脇に立つ呆然としたままの衛兵に指示を出す。
「それと、この事は他の誰にも知らせないように。あと、ガルバイシア卿を呼んで来て。早く!」
 私の声に弾かれたように、衛兵達はそれぞれの方向に走り始めた。
 それを見届けて、私はへたり込みそうになりながらも中に入って部屋の戸を閉めた。心臓がどきどきと音を立てている。何もしていないのに、汗が出てきた。
「殿下、お怪我を」
「大事ない。かすり傷だ」
「寝込みを襲われましたか」
「ああ、窓から入ったものか……油断した」
「毒は塗られていないようですね、良かった」
 ウェンゼルさんの問いに答える殿下の口調はしっかりしたものだった。
「殿下」
 冷ややかな青い瞳が私に向けられた。
「おまえがいる所には、常に騒ぎが起きるな。それも魔女の力か」
 ひでぇ事いいやがる。八つ当たりか。
「……冗談だ」
 苦笑が洩れた。が、途端に、眉が顰められる。




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