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 私には報酬らしきものがない。
 こと軍に合流してからは、定まった仕事もなく、なんの為に働いているのか、ここにいるのか、自分でも、時々、分からなくなる。
 命を守る為? いや、ルーディ達を守る為だった。そんな事すらも忘れそうになる。
 でも、その前に過労死したらどうなるんだ? ……睡眠不足じゃ死なないけれどさ。眠たいよう。

 スレイヴさんが帰った後、私は眠るのを諦めて城へ戻った。少しヘロヘロ状態だったが、放っておくわけにもいかなかったし、あと一踏ん張り。アストリアスさんに会って、スレイヴさんからの伝言の内容を伝えた。
「成程、それは盲点だったね。早速、探して使ってみよう」
 そして、私を見て言った。
「眠そうだね」
「ふあい」
「だったら、ここで休んでいくといい。空いている部屋もあるから」
「ありがとうございます」
 占拠した城の部屋で休むというのも気が引けるが、久し振りにまともなベッドで眠れるのは有り難い。実際に天幕の寝台は寝心地が最悪で、ずっと深い睡眠が取れないでいる。今も止らない欠伸に、好意に甘える事にした。
 ずっと陣の中にいると、独特の臭いで参りそうになる。
 日々、強くなっていく匂い。人の体臭であったり、血の臭いであったり、獣の臭いに武器に使われる鉄の臭いやらが入り交じった、なんとも言えない臭いだ。
 それに、天幕の向こう側で常に動き回っている人の気配にも、慣れないでいる。それらが避けられるだけでも有り難い。
「すみません、また退屈にしてしまって。まだ陣にいた方が気晴らしも出来ますよね」
 ウェンゼルさんに謝る。と、いいえ、と微笑んだ。
「慣れていますから。それに、猊下の傍よりは刺激的ですよ。貴方は、思いがけず色々として下さるから」
「……私がすごく落ち着きがないように聞こえるんですが」
「そうとも言えますか」
 ひでぇ。好きでそうしているわけじゃないぞ。本当は、独りでぼうっとしてんのが好きなんでい!
 刺激的なのは、この世界の有り様だ。
 案内された部屋は貴賓室らしく、豪華さがある部屋だった。キンキラはしていないが、モザイク格子の窓の細工など、微妙にオリエンタルな匂いがする。
 グスカ城の印象は、一言で言えば、『なんちゃってアルハンブラ宮殿』だ。あそこまで芸は細かくはないが、全体的な印象がイスラム文化を継承した建築イメージに近い。現にアラベスク模様っぽい装飾をあちこちに見かけた。
 そんな建築様式のところに西洋風の楯や鎧が飾ってあるから、非常に趣味が悪く感じる。違和感ありまくりだ。そう思うと、この国自体、別の民族が築いたものをそっくり侵略したものではないか、という考えが浮かぶ。アルハンブラ宮殿も紆余曲折した歴史を辿って、一時は囚人の監獄として使用されたとも言うし、この城も色々な事があったかもしれない。一度、じっくり歴史を調べると面白いかもしれない、と思う。
 ともあれ。
 私の通された部屋も余分な布飾りやらがあって、非常にアンバランスな感じではあるが、寝てしまえば関係がない。気にせず使わせてもらう事にする。
 あ、本棚がある。
「ウェンゼルさん」
「なんですか」
「本がありますよ。良かったら暇潰しに一冊もっていって読んでたらどうですか」
 ウェンゼルさんは、廊下で見張り役。
 流石に、同室でというわけにはいかないらしい。昨日の殿下の件があるが、昼間である事や格子枠のついた窓だから大丈夫だろう、という事だ。私としては、構わないっちゃあ構わないが、独りの方が良いに決まっているから頷いた。因みに陣での天幕は、お隣さんだ。
「ああ、そうですね。これだけ兵士がウロウロしていれば大丈夫でしょうし」
 と、一通り怪しい人や物がないか部屋を点検していたウェンゼルさんは、本棚に近付いた。
「おや」
「なんかありましたか」
「ええ、ちょっと」
 首を傾げるような返事の後に、一冊を抜き出した。
「その本がどうかしましたか」
「ええ、これだけが逆さになっていましたから。順番も乱れていますし」
 ……細けぇな。実は、君は小舅体質なんだろう。桟に指を走らせて『埃が残っている』とか言って、嫁いびりをするタイプか?
 ウェンゼルさんは抜いた本の隙間に指を走らせて、同じ背表紙の両隣の本も抜き出した。そして、隙間を覗き、手を入れた。
 ああ、と声があった。
 かたん、と何処からか、音が聞こえた。
 周囲を見回すが、何も変わった様子はない。
 ウェンゼルさんは本を元に戻すと、今度は本棚自体を抱えて横にスライドさせた。
 ごろごろと重い音を響かせて本棚が移動した後には、ぽっかりと穴の空いた壁があった。
 ビンゴ! 抜け道だ!
「うわあ……」
 こんな仕掛け、映画でしか観た事ないぞ。現実に見ると、感動する。
「やはり、貴方の傍は刺激的です」
 ウェンゼルさんはそう言って私の顔を見ると、微笑んだ。
 いや、そりゃあ良いんだが……いつになったら、休めるんだろう、私。
 
 隠し通路の発見に、ランデルバイア軍はわいた。
 私が眠る筈だった部屋は、すぐに黒い騎士達で埋まった。そして。

 わん、わん。

 部屋を追い出された私は、外の廊下にしゃがみこんで、先ほどから犬に話しかけては撫でていた。他にする事もなく、三十分ほどこうして犬を愛で続けている。周りからは奇異の目で見られている気もするが、気にしない。
 ブラッドハウンドに似た中型犬。垂れた目で私を見て、舌を出しながらはあはあ言っている。尻尾を振っているところをみると、懐いて貰えたみたいだ。
 犬は大事にされているらしく、茶色の短毛はつやつやで、太い四本の足を持っている。濡れた鼻からはピスピスと高い音がしているが、さっきから促しても一度も鳴かない。人馴れしていて、性格も大人しいようだ。リードを持つグレリオくんの脇で、大人しく座っている。公園のベンチでひとりつくねんとしている中年オヤジのような哀愁の漂った、どこか情けなさも感じる風貌であるが、オヤジよりはよっぽど可愛い。
 とは言っても、この犬、グスカ王の愛犬なんだそうだ。他にも飼っている犬はいるが、猟犬としてのこの犬は最高で、狩猟の際には必ずお供に連れていったらしい。愛玩犬とは違い、毎日、可愛がられて暮していたわけではないが、この犬ならば王を探すのに役立つだろう、とスレイヴさんが教えてくれた。
 そんなところへ、アストリアスさんを伴っての殿下のご登場。
 ……おや、傷は大丈夫なんで? ってそんなわけないか。昨日の今日だもんな。
 しゃん、と背筋を伸ばし、普段と変わらず広い歩幅で足音も高く廊下を歩いてきた殿下だが、注意深く見れば、普段に比べて顔色が悪く感じる。
「また、おまえか」
 立ち上がって礼を取る私に向かって、いつもの呆れたような口調で言った。
 ……知らんわ。わざわざ出てこなくても寝てればいいだろうに。
「部屋を用意してくれたのはアストリアスさんですし、仕掛けを見付けたのはウェンゼルさんです。私は関係ありません。文句言われる筋合いはないです」
「そうではない。おまえが関るところに次から次へと騒ぎが起るのは何故か、不思議を感じているのだ。その瞳の色がそうさせるのか」
 ほっとけや!
「そんな事、知りませんよ」
 私は、今は一刻も早く、寝心地の良いベッドで眠りたいだけだ。瞳の色はそんな事ですら阻むというのか。
 まったく、と溜息交じりにエスクラシオ殿下は呟いた。
「まあ、いい。なんであれ、役立ったには違いない。褒めてやる」
「ありがたきしあわせ」
 答えながら、迂闊にも大欠伸が出た。褒め言葉はいいから、ギヴ・ミー・布団、だ。
 おやおや、とアストリアスさんが苦笑した。
「猫は寝るのも仕事だったな」
 殿下が、つまらない冗談を言う。
 うっせえわ。いい加減、猫扱いはやめろ。怪我人こそ寝てろ。
 ……ああ、なんか愚図りはじめているぞ、私。眠気もピークに達しているせいか。一体、どこのこどもだよ。
「そちらは寝ていなくて大丈夫なんですか」
 不機嫌さを誤魔化すために、少し愛想をみせれば、
「おまえに心配される程の事はない。あとは任せて寝ていろ」
 と、にべもない返事がかえってきた。……へぇい。あっちも辛そうだな。
「では、こちらの部屋を使うといい」
 アストリアスさんに従って、ボロが出る前に早々にその場を退散する。
 バイバイ、わんこ。しっかり働け。私は寝る。
「グレリオ、その犬を抜け道へ。匂いで後を追わせろ」
 エスクラシオ殿下の指示する声が背後に遠のいていった。

 次に移った部屋は、前の部屋よりも狭くて簡素なものではあったが、清潔で寝るには充分だった。
 それで私は、やっと、まともなベッドで久し振りに惰眠を貪る事が出来た。
 やれやれ。




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