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 それから、随分と歩かされた。
 長い廊下を進んで、角を何回も曲がったそのせいで、どこをどう歩いたか覚えていない。でも、多分、城の奥の隅っこの方にある部屋なのだろう。
 なにも聞こえない。なにも見えない。
 途中、ウェンゼルさんはそこら辺にいた兵士をふたり呼んで、私の護衛につかせた。そして、ひとりの兵士に小声で何事かを伝えた。聞いた兵士はどこかへ走っていった。
 そうして連れて来られた部屋は、そう広くもない部屋だった。白い塗り壁の、ベッドと机や椅子の最低限の調度品がせせこましくない程度に配置されていた。
 置いてあるものは、皆、シンプルな物ばかりで、余計な装飾はいっさいなかった。人が使っていた形跡はないが、清潔に保たれている部屋だった。
「荷物は」
 移動中もずっと無言だったウェンゼルさんは、部屋に入って、漸くひとこと問いを発した。
「……宿に」
「そう。では、トルケス卿が預かってくれているでしょう」
 ノックの音がして、兵士がひとり入ってきた。
「あの、これで宜しいでしょうか」
 黒く太い鎖を手にしていた。
「ああ、これで充分だ。有難う」
 ウェンゼルさんは鎖を受け取って答えた。そして、ベッドの縁に越しかけた私の前にしゃがんだ。
「私も貴方にこういう事はしたくないのですが……仕方ありません。これ以上、貴方を見失わない為です。許して下さい」
 長い鎖の両端には、太い鉄の輪っかがついていて、真ん中が蝶番式になっていて広げられるものだ。錠前をかけて閉じる事が出来る。
 ウェンゼルさんは、輪っかの一つを私の左の足首に嵌めて、鍵をかけた。そして、もう片方の端の輪は、ベッドの脚のひとつにつけた。
 抵抗はしなかった。する気も失せていた。
 輪っかは私の足首には大きく、痛く締めつけることはなかったが、肌に触れた部分は冷たく、ずしり、と重かった。
「着替えた方が良いですね。こちらで預かっていた荷物を持ってきます。あと、ナイフはお持ちですか」
 ナイフ……ポケットの中に入っている。
 私は他に突っ込んであったものと一緒に中から引っ張り出して、ウェンゼルさんにナイフを手渡した。
「……お預かりします」
 ウェンゼルさんは私から顔を背けるようにして、部屋を出ていった。
 独りになった私は、脚につけた鎖を見下した。
 ついに鎖で繋がれた。しかも、マジ、ハンパなく頑丈そうな鎖だ。本格SM監禁もの。マニアにはたまらんものがあるだろう。笑える。いや、でも、こんな女が相手じゃ萎えるか。
 身じろぎをすると、じゃらり、と床を擦る鎖が音をたてた。かなり長さがある。部屋の中ならば、窓までなら自由に動けるだろう。でも、扉までには短い。
 多分、囚人用だ。あそこで見た物と似ている。……ルーディもこれと同じ物をつけられたのだろうか。
 ルーディ……私なんかと関りを持った為に……私の為にあんな……
 彼女の死に顔が、今も目の前に浮かぶ。苦しそうな、あんな酷い……瞼を閉じたところで、より鮮明に映るだけだ。
 あんな仕打ちを受けるような娘じゃなかった。
 あんな不幸な死に様をみせるような娘じゃなかった。
 まだ若くて、可愛くて、これから、良い事がいっぱい待っている未来があった筈なのに。
 何故だ? 何故、こんな風に死ななければならない?
 何故。どうして。
 繰返される自問に、怒りはない。あるのは空虚な脱力感だけだ。
 怒り?
 ……ああ、そうか。
 あんな怒りを、憎しみも持っていたんだなあ、私。本気で人を殺したいと思った。人殺しを当然だと、正当な行為だと思った。ルーディを殺したあの野郎を同じ目にあわせたいと、もっと、それ以上の苦しみを与えたいと思った。
 日本にいた時も嫌いなやつはいた。殺してやりたい、首を絞めてやりたいって思ったやつもいたけれど、ここまで思った事はなかった。今のこの思いに比べれば、些細なものでしかない。
 恐怖はなかった。嫌だとは思わなかった。当り前の行為だと思った。
 間違っていると言われても、制御なんかする気もなかったし、気がついても出来なかっただろう。
 剣を振りかざした時、完全にぶっ飛んでいたと思う。理性はなかったかもしれない。でも、今でもそれが間違っているとは思っていない。今でも、そうすべきだと感じている。今でも、あのケツ顎野郎の顔を見れば、私は何度だって殺すだろう。何度だって、剣を振り上げるだろう。
 何度でも。何度でも。あの男の不幸を願い、そうなる事に喜ぶだろう。
 なんだ……ちっとも分かっていなかったじゃないか。
 みんな、こんな怒りや憎しみを抱えて戦っていたんだ。それを、いけない事だ、って奇麗事を言って、誤魔化して、騙していたんだ。皆、よく言う事聞いてくれたな。
 ランディさんも、ウェンゼルさんも、スレイヴさんも、他のみんな、名も知らない騎士や兵士達も。
 殺すな、って言う方が無茶だ。
 止めろ、って言う方が無茶だ。
 許すなんて……できないよ、そんな事。
 みんな、どうやって我慢出来たんだよ? この胸の内に張り付く様などろどろした気持ちを、どうやってない事に出来た? 頭がおかしくなりそう。
 分からない。分からないよ、ルーディ、どうすれば良い?
 なんて、滑稽な自分。
 なにもかも悟ったように、よく言っていたものだ。人殺しはいけない? 諦めろ? よく言ったな、本当に。面の皮が厚いっていうか、無知ゆえの傲慢さだ。よくも偉そうに説教できたものだ。
 憎い、憎い、憎い。ルーディの命を奪ったあの男が憎い。この手で殺すのを止めた殿下が恨めしい。
『復讐してどうなる。それで、死者が生き返るのか』
 どこかで聞いた事のある、紋切り型の台詞が思い浮かぶ。
 そんな事は分かっている。死んだ者は、二度と生き返らない。
 でも、今、ここにある気持ちをどうすれば良いのか分からないのだ。復讐以外で解消する方法が見付からない。
 苦しい。胸の中に大きな塊がつかえているみたいだ。どうしたら、これはなくなるの?
 済んだ事は忘れて、前を向いて歩く?
 それは、裏を返せば、合理主義的な考えなんだと思う。無駄な事はしない。生産的でない事はしない。こうなる前までは、私もそう言ったかもしれない。でも、今は、安全圏にいる大上段に構えた者が言う言葉だとも感じる。それに従えば、加害者ばかりが得をした気がする。
 やった者勝ち。した者勝ち。言った者勝ち。
 現実問題、罰則はあっても、被害を受けた者が願うよりも軽かったりする。
 被害を被った者は泣き寝入りしかないのか? 他人を傷つけて笑う連中を前に、諦めるしかないのか? 傷ついた心はどう癒せば良い? この無念をどうやって晴らせば良い?
 癒せなどはしない。失った命はどうやっても取り戻せないのだから。
 なんて酷い世の中。惨い現実。
 ああ、でも……
 ウェンゼルさんが戻ってきた。天幕に置いてきた荷物を、私の傍に置いた。
「着替えの前に手や足も洗った方が良いですね。今、持ってきます」
「……ウェンゼルさん」
「なんですか」
「今日、何日?」
「今日ですか? 今日は金華月《きんかづき》の十八日ですよ」
 金華月の十八日。六月の十八日。
 日本では、今日は三月の二十日だ。
 一年は同じ三百六十五日だが、時間のズレがそれだけある。この世界に来て計算したから覚えている。
「そう」
 今日がルーディの命日になるのか。

 ……そして、私の二十八才の誕生日だ。




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