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 次の日の散歩の時間、アストリアスさんがやって来た。意外と言えば、意外。
「今日は私がお供させて貰って良いかね」
「勿論です」
 湖を眺めながらとろとろと歩く私の歩調に合わせて、アストリアスさんは私の横をゆっくりと歩く。
「昨日、本国から連絡があってね」、とアストリアスさんが然りげなく言った。
「ロウジエ中佐の母方の御実家が判明したよ」
「本当ですか」
 ああ、とアストリアスさんは微笑んだ。
「ガーネリアの伯爵家だそうだよ。グレースの実家の遠縁に当るそうだ」
「グレースさんの」
「うん。残念ながら、ランデルバイアには血縁が残っていなかったそうだ。だが、グスカや、ここファーデルシアなどにいる可能性もある。引き続き探してみよう。それに、王妃様も中佐の母君の事を覚えていらっしゃってね。こどもの頃にお会いした事があるそうだよ」
「そうなんですか」
「王妃さまが中佐に会いたいとおっしゃられているので、その旨、中佐にも書状を送っておいた。我々の帰国後、折りを見て、お引き合わせしようかと思っている」
「そうですか。有難うございます」
「中佐の意志によっては、ガーネリアが復興した暁には、当主として伯爵家の再興も可能だろう」
「そうですか」
 良かったとは言えない結果ではあるけれど、それでも少しはスレイヴさんの心の慰めになれば良いと思う。
 寂しい人の心を満たす為に、もっと多くの良い事があれば良いな、と思う。そうあって欲しい人だ。……そう思っても、なかなかそうならないのが現実だけれど。私もこうして思うだけで、何が出来るわけでもない。
 話は変わるが、とふいに、切り出すようにアストリアスさんが言った。
「あれから、何があるというわけではないのだが、殿下の御機嫌が悪くてね。召し上がる酒量も増えたようだ。お身体を壊すのではないかと心配だよ」
 アストリアスさんは、この件について話したくてついてきたのだろう。
「……そうですか」
「だが、それよりもランディの方が深刻だよ」
 ああ……
「君が死ねば、後を追いかねないとも思わせる。君は彼の気持ちを?」
「……薄々は」
「だろうね。君が気付かない筈がない。彼も報われない事は分かってはいるのだろうが、それでも、好きな女性の傍にいたいという思いはあるだろう。だが、君はそれすらも許さないのだね」
「今はそうでも、いつか本当に大事な女性に巡り合う時も来るでしょう」
「そうだね。そう願いたいよ」
 元よりランディさんの気持ちは、半分、同情が横滑りしたようなもんだろうし、一時的な熱病に近いものだと思う。きっと、その内に冷めもするだろう。心配は心配だが、私は自分の目的を見失わないようにするだけで精一杯で、彼の事を気に掛けるまでの余裕はない。
「私も君には死んで欲しくはないよ」
 アストリアスさんが、ぽつりと言った。
「私だけでなく、皆、そう思っている。君をランデルバイアに連れていった時からそれは変わらない。君はその時の事を覚えていてくれているだろうか。人の気持ちというのは、立場で決められるものばかりではない、と言った事を」
「……はい」
「私達の立場としては、君の希望を叶えるべきなのだろう。辛いと思う君の気持ちを尊重すべきなのだろう。それが国の為でもあろうから。だが、それとは逆に、個人としては、何を置いても君には生きていて欲しいと願う。君が何を犠牲にしても君の友人を助けたがったのと同じように」
 人の気持ちとは、なんと壗ならないものか。
 言葉にならずとも、その苛立ちは細波のように伝わる。
「君は、君が耐えられないという苦痛を、我々に与えようとしているとは思わないかい」
「では、辛い思いをして生きて、更なる苦痛を受ける為に、尚も生きろと?」
 マゾならそういう生き方も楽しかろうが、私は違うからな。
「犠牲となる面ばかりを考えればそうだろうが、そうではないだろう。良い面もあるだろう。時が経てば、希望が生まれる事だってある。君はまだそれに気付いていないか、知らないだけだよ」
 きっと先には良い事が待っているよ、か。皆、同じ事を言うな。
「ねえ、アストリアスさん」
「なんだい」
「世の中って公平だと思いますか」
 立ち止まっての問いに、顔を見返された。
「……いいや」
「ですよね。私もそう思います」
 少し間があっての答えに、私も同意した。
「どんなに努力したって、頑張ったって、報われない人はいる。どんな試練を受けたからって、幸せになれるとは限らない。逆になんの苦労もなく、欲しい幸せを得る人だっている。悪人が正当に罰せられるとは限らない。死んだルーディにしても、これまで悪事なんかに縁のなかった娘なんです。だから、多少の不満はあっても、人並の穏やかな幸せを得て欲しいって、私は思っていました。でも、そうはならなかった。かえって人よりも不幸な死に様を得た。でも、それが運命だった。巡り合わせだったって言うのも癪なんです。そんなものないって思いたいんですよ。だから、私は、死に方ぐらい自分で選びたいって思ったんです」
 人は生きるも死ぬのも紙一重の差でしかない、とこの数ヶ月間にそう感じた。
「我儘だ、自分勝手だ、っていうのは分かっていますけれど、ねえ、アストリアスさん、私、この世界に来て、これでも結構がんばった方なんです。でも、この先も良い事があるかもしれないから頑張れって言われても、もう嫌なんです。他人に迷惑かけるのも、辛い思いをするのも、いつ殺されるかって怯えるのも。もう、疲れました」
 かもしれない程度の良い事なんていらないから、確実に楽になりたい。そう思っちゃいけないんだろうか? ……でも、もうこんな話をするのも疲れてきている。
「私達では君の支えにはなれないのだろうか」
「もう、充分に支えて貰いましたよ。ここまで生きて来られた事に感謝しています」
 私は笑った。
「殿下はお許しにならないよ」
「殿下が駄目ならば、直接、陛下にお願いします」
「陛下もお悩みになられるだろう。女王陛下やクラウス殿下が反対なさる」
「決心させる手立てはありますよ」
 瞳の色を公表すればいいだけの事だ。陛下ならば、個人感情は抜きにして選択できるだろう。
「……何を言っても、聞いてはくれないのだね」
「それは、お互い様です」
「寂しいよ」
「ごめんなさい」
 再び、歩み始める。好きな人の哀しそうな顔を見るのは、やはり、辛い。もう辛いのは、お腹一杯だ。 別れが辛いのは、私も一緒。
 だから、早く、早く終りにしたい。
 だから、私は歩く。
 商業ベースでものを考える場合に必要なのは、理解と共感。でも、そうでなければ、そんなものも必要ない。これ以上、他人に配慮する余裕など、とうに失われている。
 私は考えるのを止めて、ただ思う。感情に任せて、そして、自分の足で歩く。
 ……今は、こうして立っているだけで精一杯だ。




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