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 美香ちゃんが、誰も頼らないで逃げるという事は有り得ないと思う。頼り切っていた王子が死んで、ファーデルシアが崩壊した今、可能性として一番にあげられるのは、聖職者たち。アメイジング・グレースを伝えた経緯もあるだろう。そして、ミシェリアさんがいる。このどちらかだと思った。或いは、両方。でも、大神殿は捜索済みと聞いた時点で、どこか別の場所に移されたに違いなかった。
 ……だから、ミシェリアさんに訊ねた。

 殿下達から同じ質問を受けても口を閉ざしているのだろうその人に、私は言った。
「ランデルバイアは今、草の根を分けてでも美香ちゃんを見つけ出そうと必死です。このままではいつまで経っても、事は治まらないどころか悪くなる一方です。私と美香ちゃんのせいで、ファーデルシアもランデルバイアでも、また、他の国の多くの人々が不安を抱える事になります。だから、早くそれを終らせたいんです。ルーディの為にも。その為に、私は美香ちゃんと直接会って、話したいと思います。勿論、ランデルバイアには内緒で、私達だけで」
 声を荒立てる事のない私を前に、ミシェリアさんは眉間に深い皴を刻んだ。
「キャス、私には貴方が何を考えているかは分かりませんけれど、貴方やミカが犠牲になるような真似は許すものではありませんよ。ルーディだってそんな事は望んではいない筈です」
「いいえ、違うんですよ。そうじゃないです。犠牲になろうとは私も思っていません。ただ、私も美香ちゃんも、本来、この世界にはいない筈の人間です。だから、私達のせいで、この世界に生きている人達がこれ以上、犠牲になってはいけないと思います。ルーディや、その他の亡くなってしまった人達にはどうする事も出来ませんが、これから先、施設のこども達が悲しい思いや怖い思いをしない様にしたいと思うんです。その為に、美香ちゃんに会って、直接、その事を伝えたいんです」
 ミシェリアさんは深く思慮するように瞳を伏せた。
「直ぐに返事は出来ないと思うので、今日はこれで帰ります。明日のこの時間にここで返事を聞かせて下さい」
 それには思いがけず、いいえ、と返事があった。
「正直に言えば、私も貴方達は会って話し合うべきだと感じていました。ミカも薄々はこのままではどうしようもない事を分かっているようです。ただ、どうしたら良いのか、あの娘にも、また、私達にも分からない状態です。もし、貴方になにか手立てがあるとするならば、話を聞くべきなのでしょうね」
「では」
 短く問えば、頷きがあった。
「ただ、あの娘にも心の準備が必要でしょう。明日、同じ時間に此処に来た時に引き合わせられるよう、伝えてみましょう」
「ミシェリアさん、ありがとう」
 キャス、と最後に別れた時のように呼ばれる。思い遣りを感じさせる落ち着いた声音だった。懐かしい。
「貴方に会えて、話せて良かったわ」
「私もです。では、明日、同じ時間に」
「待っていますよ」
 不安を内包する寂しそうな微笑みに、微笑みを返す。決して明るい表情ではないだろうけれど、それでも泣かずに済んだのは良かった。ひょっとしたら、ミシェリアさんの顔を見た途端に泣いてしまうのではないかと不安だったから、そうならないだけでも良かった。
 私は席を立ち上がり、ウェンゼルさんの所へ行った。
「話は出来ましたか」
 ミシェリアさんに会うのが目的だった事は分かっているだろうに、その事については一言も触れないで言った。
「はい、お陰様で。あ、それで、明日もここに来たいんですけれど、いいですか。ミシェリアさんが神殿の奥の方も見せてくれるよう話をつけてくれるそうなんです。祭壇の彫刻が素敵だって言ったら、奥にもっと立派なものがあるからって」
 なのに、私は素知らぬ顔をして嘘を吐く。
 ウェンゼルさんは、ああ、と答えた。
「そういう物がお好きでしたね」
 あれ、ウェンゼルさんにはそんな話していないと思ったけれどな。
 不思議顔の私に、ずっと護衛をしてくれているその人は微笑んだ。
「グスカの城でも見ていらしたでしょう。あの時の貴方は、本当に興味深そうでしたよ」
「ああ、そうですね」
 猫が毛繕いをする時って、こういう時なんだろうか。些細な事なのに、どうにも胸が疼くような気がして、落ち着かない気になる。
「芸術品や綺麗な物を見るのは好きなんです」
 答える私に、ウェンゼルさんは、
「やはり、そうでしたか。ファーデルシアの王城にもそれなりに良い物がありましたよ」
「そうでしょうね。でも、ここのお城の雰囲気自体があんまり好きじゃないんです。なんだか華美すぎて」
「確かにそういう面はありますね。私もラシエマンシィに慣れているせいもあるのでしょうが、場所によっては落ち着かない気分になります。特に迎賓の為の部屋や王の居室付近は」
「派手なんですか」
「ええ。天井画や凝った金細工があちこちにあって。宜しければ、帰ったらお連れしましょうか」
「良いんですか」
「はい。とは言え、お好きかどうかは分かりかねますが」
「いえ。それはそれで面白いかもしれません」
「そうですか。では、早速、参りましょうか」
「はい」
 その背中に疑った様子はない。
 というよりも、この人の優しさは私に罪悪感を抱かせる。選択を間違えているのではないか、と思わせる。
 ……間違っていない筈なのに。今でも何処かで迷っているのか、私は。




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