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 城に帰って馬車から下りると、のっけから馬を連れたグレリオくんに会った。
 彼の顔を見るのも随分と久し振りだ。グレリオくんも少し驚いた顔をしていた。ふわふわ髪のわんこみたいな所は変わらない。でも、戦いの経験からだろうか。少し大人っぽくなったというか、男っぽさが増したような気がする。
「キャス……元気になったんですね」
「まだ本調子とまではいかないけれど」
「外に出られるようにまでなれたんですから、良かったです」
 あの、と瞳を伏せ、躊躇いがちの声がある。
「お友達の事、残念でした。助けられなくて……一言、お悔やみを」
「……ううん、皆、ルーディの為に力を尽くしてくれたんでしょ。丁寧に埋葬もしてくれたって聞いた……有難う」
「いえ、そのくらいの事しか出来なくて」
 悔しさとは違う後悔の影が、なんの関係もなかったグレリオくんの上にも落ちていた。が、気を取り直すように顔が上げられた。
「そう言えば、グルニエラとも会ってないでしょう。連れてきましょう」
「え、でも、仕事中でしょ」
「丁度、馬達の散歩をさせていたところですから。待っていて下さい。直ぐに連れてきます」
 馬を牽き、厩舎のある方に向かっていく後ろ姿にも逞しさを感じた。
「どうかしましたか」
 眺めている内、ウェンゼルさんから問い掛けられる。
「いや、なんか大人っぽくなったな、って。この間までは子供っぽいって印象があったのに」
「彼も、幾つか別れを経験しましたから」
「そうなの」
「隣で戦っていた仲間を失うのは、やはり、辛いものです」
「そうか……そうだよね」
 私の知らない所で、皆、なにかしら辛さを抱えて生きているのだろう。辛いのは私だけではない、と視線が言う。それは分かっているのだけれどな。
 そこへグレリオくんが、グルニエラを引っ張って……って!
「グルニエラッ!」
 グレリオくんは叫び、手綱を放すまいと踏ん張り、それを振りほどこうと暴れるグルニエラ。ウェンゼルさんが加勢に走るが、グルニエラは前脚を振り立てて、近付くのさえ許さない。
 ……ありゃぁ、怒ってんなあ。
 グスカで三週間ほど放っておいた時も、会った途端に頭突きをくらわされた事を思い出す。その後も拗ねて宥めるのが大変だった。そのわりには甘ったれだし、変な馬だ。ツンデレ馬のお嬢様。人間だったら、マニア受けする性格だろう。
 グルニエラのあまりの暴れっぷりに、周囲にいた騎士達もわらわらと集まってきた。大勢に囲まれて、ますます頭に血が上ったか、高い嘶きをあげてグルニエラも威嚇する。
 私はどうしようもなく、離れた場所にひとりぽつんと立って、ただ様子を見ているしかなかった。
「随分と賑やかだな」
 私の横に並んで立った人が言った。
「……カリエスさん」
 顔を見た途端、気まずい思いにかられた。
 あの夜、宿を飛びだして以来だ。実際、その時の事はあまり具体的には覚えていない。だが、自分が酷い言葉を投げつけて、この人を傷つけた事は覚えている。暗闇の中でもはっきりとしたその時のカリエスさんの表情は、脳裏に焼き付けられている。
 まともに顔を見ていられなくて、俯いた。
「具合は良くなったのか」
 何を言えば良いのか、と迷っている内にカリエスさんの方から口を開いた。
「あ……お陰様で」
「そうか」
 相づちがあって、沈黙が続いた。カリエスさんに怒っている雰囲気はないが、どうにも、居たたまれない空気が漂っている。
 こういう時は、さっさと謝ってしまった方が楽になる。どういう理由であれ、私も悪かったんだし。
「あの、すみませんでした。酷い事、言っちゃって」
 どう考えても、あれは八つ当たりだった。正義を名乗ると詰っておいて、それを提案したのは私だ。彼等の苦しみを全く理解していなかった事に気付いた今では、言いがかりにしてもお粗末すぎるし、恥ずかしいばかりだ。
 すると、カリエスさんは、ああ、と溜息を吐いて、
「あれには、傷ついた」
「ごめんなさい。ヒルズさんにも謝らないと」
「うん、だが、謝らなければならないのは私達の方だ。ヒルズも君に謝罪を伝えてくれと」
 カリエスさんは声を落として言った。
「君の友人の事は聞いた。本当に彼女には申し訳ない事をしたと思っている。これは、謝ってすむことではないだろうが、心よりすまなかったと思っている。そして、君にも。手紙を託すにしても、もう少し注意を払うべきだった」
 ……そうか。
「そういう意味であれば、私も同罪です。ちゃんと口止めをしておかなかったんですから」
 自分宛の手紙の内容を知らせる程、のめりこんでいるとは思いもしなかった。自分で思考する事を放棄するまで依存しているとは。彼女の性格を読み違えた私の責任だ。
 手紙に誰にも口外しないように書いておけば、誰にも知られないように注意をしておけば、ルーディが死ぬ事はなかったかもしれない。王子にバレたとしても、それまでの時間を長引かせる事が出来たかもしれない。拷問を受けさせる事なく助け出せたかもしれない。
 でも、今更そんな事を考えたところで虚しいだけだ。死んでしまった人の命は、二度と戻らない。ルーディが生き返る事はない。
「無念だよ」
 一向に大人しくならないグルニエラを見ながら、カリエスさんが言った。
「私にとっては二度会っただけの女性だが、君にとっては本当にかけがえのない存在であったのだな、彼女は。その命を失ってしまった事に、返す返すも悔いが残る。君を深く傷つけたという意味で」
「……いえ」
「ヒルズも、君がこれほどまでに苦しむ事が分かっていたら、届け出なかった方が良かったかもしれない、とまで言っていた。その時は良かれ、と思っていたそうだが」
「え?」
「君は意識がなかったそうだから覚えていないだろうが、最初、彼が土手に倒れている君を見付けて介抱した後、神殿関係者に届け出たんだそうだ。今と髪の色が違うから最初は分からなかったそうだが、話をしている内に気がついたそうだ」
「最初……ああ、そうだったんですか」
 だから、私が『神の御遣い』って知ってたのか。でも、確かに私も、『助けてくれて有難う』、なんて言えないな。でも、そうか。そうだったんだ。
 人の縁の、なんと奇妙なこと。
「だが、戦も終った。君がこれ以上傷つく必要はない。ランデルバイアに戻れば、穏やかに暮す方法も見付かるだろう。だから、」
「いいえ、カリエスさん、まだ終っていませんよ」
 僅かに熱を帯び始めた言葉を遮って言った。
「まだ、黒髪の巫女が見付かっていません」
「これ以上、君が関る必要はない」
「そうですね。関る事はないにせよ、無関係ではないです。ひょっとしたら、あの娘の立場が私であったかもしれないのですから」
「そうかもしれない、だが、現実は、」
「あ、ランディさん」
 グルニエラの所へ、自分の馬に跨がったランディさんが近付いていくのが見えた。
「どう、グルニエラ、どう」
 掛け声と共に近付くランディさんの馬に、グルニエラも気がついたようだ。足が止まった。……ああ、そうか。グスカではランディさんの馬がリーダーだったもんな。その意識が、まだあるのか。
 鼻先を寄せるランディさんの馬に、グルニエラは低く首を落した。その耳元に話しかけるように、ランディさんの馬は頭を擦り寄せた。
「どう、グルニエラ、そう怒るな。おまえの主は病に臥せっていたんだ。おまえの事を忘れていたわけじゃない」
 グルニエラの肩を叩きながら、ランディさんの宥める言葉が聞こえた。
 そういう彼からも、少し窶れた雰囲気が伺えた。
 アストリアスさんが、深刻だ、と言っていたが……私が、死を望んだ事にそんなに傷ついたと思ってしまうのは、自意識過剰というものだろうか。
 私はまだ何か言いたそうにするカリエスさんを置いて、グルニエラに近付いた。
 グルニエラは顔をあげて私を見た。尻尾が左右に振られ、耳がぴくぴくと動いている。ぶるっ、と鼻が鳴らされた。
「グルニエラ、ごめんね」
 まだ腹の虫が完全に収まっていないのだろう様子に恐る恐る手を伸ばすと、掌に鼻面をこすりつけてきた。そして、ぐいぐいと押してくる。撫でてやると、ふいに逸らされて、頬に口を擦り寄せて来た。
 髪の先が、鼻息で揺れた。
『なにやってたのよう』
 そう言いたげに、もどかしそうにしながらスキンシップを求めてくる。
「ごめんねえ」
 低くするその首を抱いて、髦や手の届く範囲を撫でた。
 そうしながら見上げると、馬上にいるランディさんと目が合った。
 何か言いたそうに口を開きかけるが、直ぐに閉じられる。哀しそうな瞳だけが向けられた。
 私は視線をグルニエラに戻し、撫でながら言った。
「私がいなくても、皆の言う事を聞かなきゃ駄目でしょう。世話をして貰っているんだから、私以外の人も乗せてあげなよ。私なんかよりずっと上手に乗れる人ばっかりだよ」
「馬は情が深いですから。グルニエラは、一度、主と決めた者以外には乗られるのを好まない性質なのでしょう。そういう馬も稀にいますよ」
 傍で見ていたグレリオくんが言った。
「馬鹿だね、おまえ。もっと良い主人はいっぱいいるのに」
 そう言って首を抱くと、
「それでも、傍にいたいのだよ」
 ランディさんの優しい声が落ちてきた。
「そうですか。そういうもんですか」
「うん。理屈でなくね」
「……ほんと、お馬鹿ですね」
 私は答えて、尚も甘えてくるグルニエラの鼻面を柔らかく撫でた。




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