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「それは、間違いない事ですかな」
 中年男性から、当惑しながらの確認がある。
 私は頷いた。
「間違いないです。その女性と同じ牢にいた男が、『王子に殺されるから助けてくれ』と言っていましたし、王子本人にも確かめましたから」
「それを確かめに、貴方は王子に会われた」
「いいえ。私は、ただ、その女性の仇を取る為に王子を殺しに行っただけです。結局は、元帥に阻まれて出来ませんでしたが」
「キャス……あなた……」
 胸元で組んだ手を震わせながら、ミシェリアさんが呟いた。
「ごめんなさい、ミシェリアさん。でも、私はどうしても王子が許せなかったんです。今でも許せない」
 私は、元の椅子に戻って呆然とする美香ちゃんに言った。
「美香ちゃん、私、この二ヶ月間で、いっぱい人が死ぬところ見たよ。知らない人の死体を山ほど見た。一人や二人じゃなくて、百人とか千人とかその位、大勢の人達が死んだの。私達と同じくらいの年の人達もいた。生きていても、腕を失ったり、足を失ったりした人もいた。私達のせいで。戦の死傷者数としては、それでも少ない方なんだって。私自身は人を殺したりはしなかったけれど、それでも、お陰で肉とか食べられなくなった。でも、ルーディが死んだのが一番、堪えたよ。私の手紙を貴方に渡したってだけで、王子に鞭打たれて、焼きごて当てられて、手の爪もぜんぶ剥がされていた。顔なんか、痣になって腫れていた。凄く苦しそうな死に顔だった。ねえ、美香ちゃんはその時、何してた? なんで、ルーディを守ってくれなかったの。ちゃんと書かなかった私も悪いけれど、敵国にいる私からの手紙の事を王子に喋ったらどうなるかなんて、考えなかった?」
 ひっ、と美香ちゃんの咽喉が鳴った。震えながら涙を溢し、嗚咽をあげはじめた。
 その顔を見たら、久し振りに煙草が吸いたくなった。
「正直に言って、本当は、私の知らない人が知らない所で死んでいったところで、気の毒とは思うけれど痛くも痒くもない。『へえ、そうなんだ』って感じ。『好きにすれば』って。その点、私もジェシー王子と変わらない。でも、知っている人が、好きな人が殺されるのは耐えられない。王子が死んで、美香ちゃんもそう思ったでしょ。それでも、王子は自業自得だった。大陸の覇者なんて世迷言を信じて、自分がその父親になろうとした。戦争は止めて貴方を引き渡せ、って言っているランデルバイアを最後まで突っぱねた。ルーディを殺した事についても、国を守る大義の前では、娘ひとりの命なんてどうでもいい、って言った。国を裏切ろうとした者を殺してなにが悪い、って開き直っていた。本気で殺したかった。でも、今更どうしようもないから、早くこんな事をやめにしたい。だから、今日、美香ちゃんに会いに来たの」
 美香ちゃんは、私の話を聞いているのか聞いていないのか。しゃくりあげながら、ぐったりと女性に寄りかかっていた。
「……そんなの知らない」
 ぽつり、と呟く言葉があった。
「そんなの知らないよ。ジェシーはそんな事、言わないもの。そう言って、皆、わたしを騙そうとしてるんでしょ。どうして? どうして、ジェシーから引き離そうとするの。わたしは幸せになっちゃいけないって言うの? ルーディだって急に意地悪、言い出して、おかしいのは皆の方だよ」
「ルーディ? ルーディが何か言ったの?」
「騙されてるんだって、ジェシーに騙されてるんだって言った。わたしのことをこれっぽっちも愛してなんかいないって嘘ばっかり! わたし達の事なんか、なんにもしらないくせに! なのに、高原さんの所へ一緒に行こうって。助けて貰えるからって、馬鹿じゃないの。敵の前に出たら、そんなん殺されるに決まってるじゃん! だから、嫌だって言うのに、無理矢理、引っ張って行こうとしたんだよ! 私がいると戦争になるからって、施設のみんなや街の人を苦しめてもいいのかって、脅すんだよ!? これ以上、親のない子を増やすなって、わたしを悪魔かなにかみたいに言って、ファーデルシアから追い出そうとするの。そんなんマジ有り得ないじゃん。なんでわたしが、ジェシーのそばにいちゃ駄目なの? そんなん個人の勝手じゃん。わたしが好きなんだから、騙されていたっていいんだよ。それを、なんで人から間違っているとか言われなきゃいけないわけ? そんな伝説とかさ、関係ないのに。すっかり真に受けちゃって、みんな馬鹿みたい。頭おかしいよ。イカレてる。戦争なんてわたし、関係ないよ! そんなの知らない!」
 ああ、ルーディ!
 優しいルーディ。彼女にとっては、自分と同じ思いをするこどもを増やしたくないが為に、必死だったのだろう。手紙を渡すだけでなく、そんな事まで……それが、王子の耳に入ったか。
 自然と手が握り拳を作った。
「確かに馬鹿みたいな話。皆、おかしいよ。多分、私も。でも、それは、美香ちゃんもだよ」
 私は言った。
「美香ちゃん、怖いのは分る。でも現実を見て。ここは王子さまもお姫さまもいるけれど、決して御伽話の国じゃないんだよ。何もしなくても王子さまが助けてくれて、めでたしめでたしになる様なディズニー映画みたいな世界じゃない」
「そんなん分っているよ」
「分っていないよ」
「分ってるって! 年下だからって、馬鹿にしないでよ! 高原さん達がジェシーを殺したんでしょっ! それで、今度は私もお腹の中の赤ちゃんも殺すって事でしょっ! なんで! なんでなの!? なんで邪魔するの!? 幸せになりたいって言ってるだけなのに! なんで、殺されなきゃいけないの!?」
 美香ちゃんは私に向かってそう叫ぶと睨みつけ、そして、また力を失った様に俯いた。
 彼女も内心では分っているのだろう。理解できていないわけじゃない。ただ、現実を受入れたくない、認めたくないだけだろう。
 無理もない話だ。
 年齢もあるだろうが、美香ちゃんはこの世界に来て、これまでずっと同じ場所にいて、大して危険もなく来れたのだろうから。この世界の価値観どころか、色んな人が生きてどんな生活をしているかなんて事すら、実感としてないに違いない。急に戦争だ、人の生き死にだと言われたところで、実感が湧かないに違いない。
「そうだね。もし、ここが元の世界だったら、私もそう言ったと思うよ」
 怒鳴りつけたくなるのを我慢しながら、声を落として言う。
「私、美香ちゃんがいなければ、今頃、この世界でやっていけてなかったと思う。美香ちゃんが一緒にいたから、痩我慢して見栄張って、平気な振りが出来たと思う。年上なんだからって、踏ん張れた。言葉だって覚える気になったし、外に出る気も起きた。だから、美香ちゃんにも幸せであって欲しいとは思う。でも、今はルーディを殺したあの男の血を引いているその子が産まれる事を、私は許せない。他の人が相手だったら、産ませてあげたいと思ったかもしれない。でも、違う。その子自身には関係ないと分かっているけれど、逆恨みに近いかもしれないけれど、気持ちが許さない。私みたいな思いをする人が増えるのが、許せない。ランデルバイアも騒乱の元になるだろうその子を許さないでしょう」
「いやっ! やめてっ! そんな話っ!」
 美香ちゃんが怒鳴った。
 でも、私は聞こえないふりをして、言葉を続けた。
「無事、産まれたとしても、それを知った時点で殺そうとする。それは、ランデルバイアに限らず、他の国でもそう。大陸の覇者を産む事は、他の国々の王家を潰す事に繋がるから。そして、大した後ろ盾がないところで無事育ったとしても、知識や知恵を持たない状態では将来的に誰かに利用されるがオチだし、例え、髪を脱色してどこかに隠れ住んだところで、一生、目の色を隠していくのは難しい。なにより、この世界ではこどもを抱えて、貴方ひとりで生きていく事すら困難でしょう。他人にちょっとした助けを求める事すらできない」
「やめてっ! そんな話、聞きたくない!」
「その中で、どうやって生活していけば良いのか。大陸の覇者の父になりたい男達に、子供が産める内はつけ狙われる事にもなるから。もし、見付かれば、その子は殺され、強姦されるかもしれない。一生、怯えて暮さなければならない。産んだからと言って、教育はどうするか、友達も作れない状態でちゃんと育つのか」
「やめてって言ってるでしょっ! 高原さん、酷いよっ! そんな事、言って愉しいのっ!? わたしをいじめてそんなに愉しいっ!? 嬉しい!? 酷すぎるよっ! 残酷すぎるっ! 人でなしッ!」
「愉しいわけないでしょっ! いいから、人の話をちゃんと聞きなさい! こんな現実も知らずに、こどもを育てられるわけないでしょっ! 甘ったれるのもいい加減にしなさいっ!」
 堪えきれず、私も声を大きくして叱り飛ばした。そうしてから、蹲るようにする美香ちゃんを眺め、溜息を吐いてクールダウンした。
「兎に角、問題が多過ぎる事は分かるでしょう。だから、それだけの覚悟が出来なければ、その子は諦めるしかない。まず、それが、貴方がこれから先、生きていく為のこちら側からの条件でもある。そして、少なくとも子供が産める内は、ランデルバイアの看視下で暮す事。常に護衛付きでね。そこで、巫女としてジェシー王子とその子の冥福を祈っていくのは自由。女性としての価値は失われるけれど、厳重に守られた状態でなら、或程度の自由は許される筈。色々言われているようだけれど、ランデルバイアの王はそこまで非道じゃない。特に女性に対してはね。寿命が尽きるまでは生きてはいける」
「そんなの……そんなの、死んだも一緒じゃない。それとも、最初からわたしが死ねば良かったわけ?」
「確かに、聞くだけだとそう思うかもしれないけれどね。ランデルバイアの人達も血も涙もないわけじゃない。きちんと話しさえすれば、交渉の余地は充分にある。今、私が生きているのがその証拠」
 私は溜息を吐いた。
「実際は、そう悪くはないよ。付き合ってみれば、人間として変わるところはないって直ぐに分かる。ねえ、美香ちゃん。生きるにしたって、何の代償もないって事はまず有り得ないんだよ。何らかの犠牲を払っていかなけりゃならない。ましてや私達は、この世界では異分子なんだし、既に私達の為に大勢の人が不幸になっている。命を亡くしている。自分の手は汚してないにしても、関係ないわけじゃない。何もしない事で、充分に罪は犯しているんだよ。私達はそれに贖わなければならないと思わない?」




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