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「でも、それが、お腹の子を犠牲にする事だなんて……あんまりです。なんの罪もない命を殺せだなんて、しかも、人々に希望をもたらす神の子を。そんな事、神がお許しになる筈がありません。きっと、貴方には恐ろしい呪いがかけられているのです。天罰が下りますよ」
 黙っていられなくなったのだろう、震える声で、美香ちゃんを抱く女性が言った。
「確かに呪われているのかもしれません、貴方の言う神のね。この状況がそうでしょう。今更、天罰が下ろうともなんとも思いませんよ」
 蒼ざめた顔を見返して答えた。
 でも、と反論がある。
「それにしたって、貴方も女性なら分かるでしょう。それがどんなに、母親にとって惨い事か。しかも、人々に希望をもたらす神の子を殺すなんて、魔王にも匹敵する恐ろしい行いです。それとも、貴方は魔王の化身とでも言うのですか」
「魔王の化身でもなんでもないですが、魔女とは呼ばれています」
 自然と自虐の笑みも浮かぶ。
「そうですね。確かに惨いでしょう。私が同じ立場だとしても嫌です。辛く感じるでしょう。でも、その子は人ではない。まだ人として扱うものではありません。妥協する余地はある。それに、実際、その子の存在が、将来、孤児を多くしたり、或いは、妊っている女性達を殺す事にもなりかねない。私ならば、そちらを防ぐ方を選びます。それでも貴方達が伝説を信じるというならば、貴方達が守らなくてもその子は何があっても産まれてくるし、美香ちゃんはこの試練を潜り抜けも出来ると思いませんか」
 元の世界でも、こどもの人権や命の重さが語られる様になったのは、近年になってからの事だ。ほんの数十年の事でしかない。
 古代ローマ帝国時代、人口抑制の為に嬰児殺しは当り前に行われていた。或いは日本でも、口減らしの為に、日常的に行われていた。世界各地、そんな話はゴロゴロ転がっている。堕胎技術もそれなりにありもしたろうが、親の都合により、殺すかどうか性別によって判断が行われていた。おそらく、この世界でも似たようなものだろう。
「確かにな」、とそれまでひとことも口を開かなかった初老の女性が言った。
「我らが守らずとも、聖なる伝説の巫女ならば、この試練を乗り越える事もできよう。だが、おそらくミカさまには無理であろうな」
「大聖女さま」
 隣に座っていた中年男性が、抗議を含む声をあげた。
 ああ、この女性が大聖女か。この国の巫女のトップだな。思っていた以上に大物だ。
「我らとても盲ているわけではない。奇跡は得ようと思って得られるものでない事ぐらいは知っている」
 男性が止めるのもかまわず、大聖女は続けた。
「しかし、我らとても、ファーデルシア王家にはひとかたならぬ恩義を受けてきた。それに、ミカさまにしても、神の御遣いとしての片鱗は認められる」
「そうでしょうね」
「しかし、伝説を継ぐ巫女として認めるには、たとえ容貌が同じだとしても、未だ何ひとつ為しえぬこの状態では足りなくある」
 その言葉に、「大聖女さまっ!」、ともう一人の女性から咎める声があがった。
「我々は、ミカさまを大事にしすぎたやもしれぬ。だが、なにより、神に遣える者として、縋る者を見捨てる事は許されぬ」
 僅かに後悔の色を滲ませる声が言い切った。
「分かります」
 私も頷いた。
「しかし、それにしても、我々も力不足であったに違いないだろう。ひとつお訊ねするが、ランデルバイアは大神殿ほか、我らをどうするつもりであるか御存知か」
「はっきりとした事は何一つ言えませんが、私が聞いた話では、大神殿についてはランデルバイアより司祭と巫女を数名派遣して、大神殿の運営に関る事にはなりそうです。教義についても擦りあわせが行われ、微妙な差違についてはランデルバイア側の教義に従う事にはなりそうです。ですが、ランデルバイアの大司祭であるアストラーダ大公殿下も、事を荒立てるのを好まない方です。余程の事がなければ力押しはしないと思いますし、人の話に耳を傾けるだけの度量は持ちあわせている方ですので、言うべき事は言っても良いと思いますよ。何もかもランデルバイアの遣り方に合わせる必要はないかと思われます」
「ミカさまを匿った事についてはどうか。罪に問われるか」
「さあ、それについては分かりかねますが、今の内ならば、元帥も仕方ない事と受け取るでしょう。多少の仕置きはあるかもしれませんが、私からも厳しいものにならないよう、伝えさせて貰いますし」
 大聖女は、深く頷いた。
「成程。それを聞いて安心した」
 私は言った。
「他に良い手段があれば別ですが、私からの提案は以上です。呑むか呑まないかは美香ちゃんに任せますが、いずれにせよ、早期に決着をつけるべきでしょう。ランデルバイアの兵士達も、今は元帥の言葉に従って大人しくしていますが、長引けば不満もたまり、不埒な真似をする者も出てくるかもしれません。その時、被害を受けるのはファーデルシアの人々です。それが、また、更なる争いの火種ともなるでしょう」
「そうだな。それは我らとても本意ではない」
「私もそれを聞いて安心しました」
 流石、巫女のトップだけの事はある。大した落ち着き振りだ。
 考えてみれば、聖職者であっても宗教を繋がりとした社会組織だ。大勢の人々を纏める技術や知恵、政治力もそれなりに必要だろう。
「では、私はこれで。そろそろ戻らないと怪しまれます」
 私は立ち上がった。
「もし、ミカさまを引き渡す事になった場合にはどうすれば良い」
 大聖女から問いがあった。ああ、そうか。
「王城にいらしてくれれば、元帥にお引き合わせしましょう。ただ、堕胎についてはランデルバイア側の医師に任せる形にしないと、いらない疑いを持たれる事になるかと思います」
「その時、ミカさま御身の保証は」
「それは信じて頂くしかありませんが、信頼できるファーデルシア側の医師の同席を願い出てみると良いかもしれません」
「なるほど。よく分かった。少なくともランデルバイアの目的は分かったように思う」
「そうですか。なら、ひとまずは良かったというべきでしょうね。ああ、それと念の為、ここは直ぐに出た方が良いでしょう。私の足取りから突き止められないとも限りませんから。結構、鼻が利く人もいますので」
「その忠告には従おう」
 私は大聖女に頷き、打ちひしがれたように俯いたままの美香ちゃんを見下した。
「美香ちゃん、現実的によく考えて決めて。強制はしないけれど、良い判断が出来る事を祈っている」
 返事はなかった。
「では、私は戻ります」
 別れの挨拶もなく席を離れれば、ミシェリアさんが皆に軽くお辞儀をしてついてきた。そのまま黙って家を出た。そして、また、大神殿の小さな通用口から中に入った。




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