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「……分かった。聞こう」
 漸くあった言葉に、私は長く息を吐いた。
「有難う御座います」
「ただし、ラシエマンシィに戻っても暫くは、おまえの身は私が預かる。戻って後、陛下の承認を受けて、身柄をどうするか、改めて決める事になる」
「はい」
 あの誓いの言葉を、律義なまでに常に守ろうとしていたのは、殿下の方。
 そして、これで、お互いに自由になれる。束縛から解き放たれる。
 多分、殿下もその意味は分かっているだろう。それでも、受け入れられた事は良かったと思う。少し、胸の痛みはあるが、大したものじゃない。
「まったく」、と岩の向こうから、いつになく静かな声が聞こえた。
「どこまでも思い通りにならないやつだ」
「……すみません」
「しかし、天に拳を突き続けようとする者ならば、それも致し方ないのだろう。だが、ひとつだけ約束しろ。今後、いかなる状況下に置かれようとも、決して自らの命を粗末にするな。拳を我が身へ打ち付ける真似だけはするな」
 死ぬな、と。辛くとも生きろ、とまだ私に言うか。
「神には届かずとも、なにも伝わっておらぬわけではない。どんなに弱々しき拳であっても、響きは伝わろう。最後の一打まで諦めるな」
「……はい」
 この人の傍を離れる事は、おそらく、生かしておくままならば、どこかに繋がれて幽閉するぐらいしか手立てはなくなるという事だろう。私の瞳が黒い事を知る者はそう多くはないし、今後、明かされる事もないだろう。そんな、なんの役割も持たない者を城に置いておく理由はなくなる。
 もし、なんらかの大義名分を立てたところで、要人でもない、直接、関係のない者に護衛の騎士を常時つかせる事はなくなるに違いない。また、どこぞの暗殺者の手にかかる確率も高くなるのだろうな。
 まあ、それも良いさ。そうなったら、それまでって事なんだろう。私は何もする気はない。後は成り行きに任せるさ。
「殿下は、何をお望みになるのですか」
 ふ、と訊ねてみる。
「何がだ」
「陛下から今回の戦の御褒美がいただけるのでしょう。やはり、コランティーヌ様ですか」
「何故、そこで妃の名が出てくる」
 いや、だって。
「既に片が付いている」
「え、そうなんですか」
 戦に出る前にケリをつけたって事か。私が知らないだけで、もう決まっている事なのかもな。やはり、王族だから婚礼の儀式は派手なんだろうか。ちょっと見てみたい気もする。
「お城に戻ったら、殿下もまた、お忙しいんでしょうね」
「そうだな」、と溜息を吐くような返事があった。
「こんな時間も、この先、なかなか取れなくなるな」
「少しは休めば良いのに」
「そう出来ればな」
 ふ、と笑う。それは、休みが取れたら取れたで、落ち着いてもいられないだろう、と自嘲する響きが含まれて聞こえた。典型的なワーカホリックの症状だ。
「何かしたい事はないのですか。仕事以外で」
「したい事か……そうだな」
 考える間があった。
「特にはない」
「そうなんですか?」
「ああ。だが、気ままに時を過したいとは思う。遠乗りに出掛けたり、退屈な本を読んだり、好きな時に寝て、食べて、自由に過したいと思う時がある」
 だらだらしたい、って事か。ま、そうだろうな。でも、性格がそれを許さなかったりするんだろうなあ。
「おまえはどうしたい」
「私ですか」
「もし、自由に出来るとすれば、何がしたい」
「自由ですか」
 夢物語だな。
「旅がしたいです。色んな所へ行って、色んなものが見たいです」
「何処か具体的に行きたい所はあるのか」
「そうですね。まずは、海のある所へ行きたいです」
「季節が良ければそれも良かろう。海が見たいか」
「いいえ。良い所があれば暫くそこで暮して、捕れた魚で料理がしたいです」
 それで、もうちょっと肉をつける。それから、色んなものを見たい。奇麗な景色とか、物とか、遺跡なんかもあるならいいな。
 途端、く、と笑う声があった。
「やはり、思い掛けない事を言い出す」
「こっちにしてみれば、死活問題なんですよ。食べられるものが少ないから、食べられるものを探さないと。味付けも自分の好みに合ったものが食べたいですし」
 美味しいものが簡単に手に入る日本では、そんな事、思いもしなかったけれど。肉が食べられなくなった以上、魚介類に頼るしかない。
 私の返答に、「そう言えば、そうだったな」、と笑いながら頷く答えがあった。
「食事は、口にあわないか」
「はっきり言えば、あいません。時々、美味しいものはあるけれど、概して味は濃いし、油っぽすぎます」
「そうなのか」
「特に陣での食事は最悪です。野外料理で大量に作っているのに、なんであんなに不味いのか、不思議なくらいです」
「確かに美味いとは言い難いな。が、物資にも限りがある。仕方あるまい」
「そうかもしれませんけれど、あれ、絶対、士気にも影響しますよ。もう少し工夫して、マシなものを食べさせれば、兵士の士気はもっと上がると思います」
「覚えておこう」
 そう答えて、また、くくっ、と笑い声が響いた。
「やはり、おまえは妙な女だ」
「食事は大事ですよ。生活の基本です。たとえ、戦場であっても」
 ちょっと、むっ、としながらの返事に、また笑う声があった。

 お湯からあがってほこほこの状態で、私はまた殿下の馬に跨がった。
 やはり、温泉の効果は絶大だ。レティの結婚祝いの事やらを考えながら、久し振りに機嫌良く天幕へと帰った。
「有難う御座いました。おやすみなさい」
 改めて頭を下げて、頷きひとつで戻っていくその人の背が闇に溶けて見えなくなるまで見送った。
 エスクラシオ殿下は私を妙だと言い、私は殿下を不思議な人だと思う。
 でも、嫌いじゃない。腹が立つ事は色々とあったし、何を考えているか分からないところもあるけれど、理解できないわけではない。良い人だと思う。
 だから、殿下もどういう形であれ、幸せになって欲しいと思う。

 ……せめて、少しは気苦労が減って、酒量も減ると良いな。




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