-18-


「殿下」
 ゆったりとした足取りで、エスクラシオ殿下が取り押さえられている私の横を通りすぎて、男の前に立った。
 ウェンゼルさんとアストリアスさんが殿下の護衛らしく付き従っている後ろからグレリオくんが走ってきて、レティを外へ連れ出した。
 息を呑む音からして、男も誰だか分かっているみたいだ。
「古の聖地の者か」
 殿下の問いに、金髪が更に低く下げられた。
「はっ。カルスティア聖地にて修業を積んでおりました」
「カルスティア……確か、ダルトンの山麓にあったと記憶しているが」
「はっ」
「ファーデルシア王より、黒髪の巫女の護衛として召還されたか」
「はっ」
「だが、ファーデルシア王も黒髪の巫女も既に亡き者となった今、この地に留まる理由はなかろう。国は滅びはしたが、ランデルバイアは聖地にまで手を出すつもりはないから安心しろと、戻って司祭長に伝えるが良い」
「いえ、聖地に戻るつもりは御座いません」
「ほう、では、どうするつもりだ」
「お許しが頂ければ、今一度、ここにおられる巫女をお守りする役目を頂きとう存じます」
 また、言ったぁっ!
 ド突く! ド突き回して、崖から突き落としてやるっ!
「と、言っているが」
 殿下が、にやり、と笑って私を見る。
「いりません、そんなヤツ」
 考えるまでもない。即答だ。
 そんな、と縋る三白眼が私を見上げた。
「もう貴方を亡き者にしようという気持ちは失せました。勘違いからとは言え、お許しになれないのは尤もな事で御座います。お気の済むまで伏してお詫びを、」
「違う」
「それをお怒りになっての事ではないと。では、何故」
「気に入らない」
「私の何が気に入らないと仰せられる。直せるところがあれば、直しましょうぞ」
「なにもかも」
「は」
「なにもかも気に入らない! 人の話を聞かないところもそうだし、くどい喋り方も、くどい性格も、くどい顔も、あと、なんか分からないけれど、全部!」
 ああ、顔を見ているだけでムカつく。殴りてぇっ! 張っ倒してぇっ!
「そんな……ご無体な……」
 男は、殿下の足下でがっくりとうな垂れた。
「珍しいですね、キャスがここまで嫌うなど」
 アストリアスさんが、しげしげとランディさんに取り押さえられたままの私を見て言った。
「余程、気に障る何かがあるらしいな」、と殿下。
「分かりました」、と男が呟くように言った。
「元より、もう御一方の巫女をお守りする務めも果たせず、このまま恥辱に塗れたまま生きる事を良しとせず、死を覚悟して参った身。それを受入れて頂けないとすれば、ここで潔く己が剣で果ててみせましょうぞ」
 いやあーーーっ! こいつ、いやぁあああああっ! 嫌いだああああっ! バッキャロォ様ァ!!
 と、その時、ごん、と硬い音がした。
 見れば、エスクラシオ殿下が男の頭を片手で掴み、床に打ち付けていた。
 ……うわお。
 手加減はしただろうが、石の床だ。相当、痛かっただろうと思う。
 突然の殿下の行為に、その場にいた他の人達も驚いたようで、アストリアスさんも、ランディさんも呆気にとられて殿下を見ていた。ウェンゼルさんだけが、片眉を僅かに上げた程度だったけれど。
「成程な」
 手を放し立ち上がった殿下は、憮然として言った。
「嫌うわけだ」
 分かったような口振りだった。そして、男に問いかけた。
「名は何という」
「……ギリアム・ルイード・オリレウスと申します」
 起き上がった男は、初めてその名を名乗った。
 ……おい、止血しなくていいのか? 血ぃダラダラ出てっぞ。
「ファーデルシアの生まれか」
「はっ。ソメリアとの国境沿いの村にて幼き頃、両親と死に別れ、その後、神のお導きあって、行脚中の導師と出会う事が出来ました。以来、師と共に聖地へと居を移し、その下で二十余年に渡って修業を続けて参った次第です」
「そうか。では、ギリアム・ルイード、よく聞くが良い」
「はっ」
「これは、なにより束縛を嫌う。身体に於ても、また、精神に於ても、だ。己についてもそうだが、他人が同様の立場にあるのも嫌うようだ。そして、死を厭うわけではないが、無駄に人の命が蔑ろにされたり血が流される事を厭う。命よりも誇りを守ろうとするを善しとしない。しかし、清さばかりを偏重する者ではない。場合によっては、己が手を汚す事も厭わぬ。分かるか」
 ちょっと吃驚……不思議だ。なんでこの人、いつの間に私をこんな風に把握してるんだろうか。
「はっ、自刃は許されるものではない、と」
「そうだ。それでも死にたければ、これの知らぬ内、見ていないところでしろ。それに、これはタイロンの神を信じてはおらぬ」
「は?」
「つまり、これを巫女とは呼べぬ、という事だ」
「しかし、それでは、」
「嫌われたくないのであれば、これの事はキャスと呼べ。敬称もいらぬ。今は縁あってランデルバイアの庇護の下にあるが、巫女がいる、と噂が流れれば、我が国がファーデルシアを攻めたのと同様に、他国が攻めて来よう。他国どころか、伝説に惑わされた不届き者により、これの身の危険も増すだろう。おまえは守ると言いながら、そう呼ぶ事でこれの身を脅かしている事になる。今後、二度と口にするな」
「……はっ、確かに軽率でありました」
「それと、信仰心を捨てろとは言わないが、微に入り細に入るまで教義に従うもどうかと思う。己の頭で考え、判断し、教義に頼らず、己の心のみで正否を感じ取る事も、人の世にあって生きるに必要な事だ。聖地にあっては神に隷属するも善しとされるかもしれぬが、様々な価値感が並ぶ俗世にあれば、神も全てを取り仕切るものではないであろう。善悪の判断のつかぬ事も多い。今後、野にあって行を続けるつもりならば、教義に依存しすぎれば、己自身の魂の成長を止めるものでしかなく、教義は本来の意味をなさなくなる。それを心得よ」
「はっ」
「ひとつ訊くが、剣の腕には自信があるか」
「はっ、自信という程のものではありませぬが、聖騎士と名乗るに恥じない程度には修めて御座います」
「ならば、見せてみよ。ランディ、少し相手をしてやれ」
「はっ」
 え、なに。
 ランディさんは私から手を放すと、前に進み出た。
「多少の手傷を負わすは構わぬが、殺すな」
「御意」
「キャス、貴方はこちらへ。怖ければ、外に出ていても構いませんよ」
 ていうか、何?
 取り敢えず、ウェンゼルさんに促されて、壁際の位置まで下がった。




 << back  index  next>> 





inserted by FC2 system