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 アストラーダ殿下が帰って後、夕方、顔を出したケリーさんに計画の話をしたら、喜んで協力してくれる事になった。
「デ・ニーロばりの名演を見せてあげよう」
 と、にんまりと笑い、それから暫くお気に入りの映画やスターの話になった。……いや、名前貸してくれるだけで良いから。噂で流すだけだし。ジーン・ケリーと名前が似ていて嬉しいのも、よっく分かったから。
 本場、映画の都が地元だった人は、ノリが違う。
 取り敢えず、毎日、診察と称して訪問してくれる事だけを約束して貰った。
 そして、次の日の昼過ぎに、アストリアスさんの訪問があった。
「一時期に比べて随分と回復したみたいだね。良かった」
 アストリアスさんは、私に微笑んで言った。
「はい。皆さんのお陰で楽させて貰っています」
「ああ、そうしていなさい。これ迄の分も含めてね」
 こどもの頭を撫でるみたいな答えの後、それで、と問われる。
「私に話があると聞いたんだが、何かあったかな」
「いえ、特に何があったわけでもないんですが、今後の事をお訊きしたくて」
「今後の事か。うん、その事は私も話さなければならないと思っていた」
 顎のお髭が撫でられた。
「その件に関して話す前に、少しの間、皆に別の仕事をしてくれるようお願いできるかな、ゲルダ夫人」
 アストリアスさんの言葉にゲルダさんは頷くと、他のメイドさん達を伴って部屋を出ていった。
 二人きりになったところで、さて、とアストリアスさんは居住まいを正し、私に向きあった。
「まず、こちらの現状を君に伝えておこう。殿下は、戦勝に伴う様々な行事やグスカ、ファーデルシアに関しての対応や調整に従事なさっておいでの為、お忙しくしていらっしゃる。が、それとは別に、君に関する噂で、少々、面倒にもなっている。それは、君も聞いているね」
「はい」
「たかが噂ではあるのだが、少々、過敏な反応をみせる者もいて、刺激しない為にも殿下も君と直接、接触を持つのは避けた方が良いと判断されている。暫く顔を会わせる事もないと思うが、決して君の事を忘れているわけではないから、安心して欲しい」
 ……変な言い方。
「つまり、私の先行きに関しても、暫くの間は決められるものではないし、伝えられるものではない、という事ですか」
「うん、そうだね。だから、もう暫くの間はこのまま我慢していて欲しい」
「それは良いですけれど……でも、逆に、早めに殿下から離れた方が良いんじゃないですか。今もここにいるから、余計に噂になっている面もあるでしょうし」
「ここを離れて、君は何処へいくつもりだい」
「いや、何処って言われても、」
「君が殿下のお傍を離れる事になれば、それこそ兵士達が騒ぐよ。見捨てられたと思う者すらいるだろう。現に、君が臥せっている事になっている今、不安に感じている者もいる。君が運んできた幸運が逃げてしまうのではないか、とね」
「まあ、今はそうかもしれませんが、それでも、いつまでもここにいるわけにもいかないでしょう。殿下だって奥方さまをお迎えするだろうし」
 そう言った途端、アストリアスさんの片方の眉が、ぴくり、と跳ね上がった。
「キャス、君がなにを危惧しているか、なんとなく分かったよ」
 眉が元の位置に戻り、鼻で溜息を吐くようにアストリアスさんは言った。
「そうですか」
「だが、その危惧は的外れだ。まず、ないと言っていい。今はまだ、ここだけの話だがね」
 ちょっと待てぇい!
「私はコランティーヌ様の事を話しているつもりだったんですが、それとも別に誰か」
「いや、間違っていないよ。その話だ」
「復縁はないと?」
 頷かれる。あっさりと。
 じゃあ、どうすんだよ、あのお姫さま。マジ自殺しちゃうんじゃね?
「殿下もこれまで明言される事がなかった為、あれこれと言う者も多かったが、破談を決められた時点で、殿下に復縁される御意志はなかった。それは今後も変えられないよ」
「黙っていたのは、騎士達の忠誠を繋ぎ止める為にですか。それとも政治的な理由で?」
「その両方だよ。コランティーヌ様は多くの騎士や兵士達にとって、守るべき姫の象徴とも言える存在だった。女王陛下もおられるが、信頼を寄せるディオクレシアス殿下の婚約者であった方であり、あのお美しさだ。憧れの存在とするのも無理からぬ話だろう」
「夢見る存在だったって事ですか。お伽噺みたいに」
「もう少し現実的なものではあるけれどね。騎士にとって、守るべき愛すべき姫の存在はあってしかるべきだからね」
「はあ」
 まあ、分からんでもないけれどなあ……男のロマンチシズムってのも、現実離れしたところに傾き易いし。メイド喫茶や、二次元美少女に熱狂する連中と一緒にされるのは不本意だろうが、方向性は違えど、根っこは一緒のような気もする。
「それと共に、コランティーヌ様の御実家であるフィディリアス公爵家の力を考えれば、当然、あって然るべき縁組みだったとも言える。それを破談するというのは、普通、有り得ない話だ。力を得ようするならば分かるが、自らの力を削ごうというのだからね。だが、殿下はそれを良しと判断されている」
「でも、それは国の安定の為に仕方なかった事でしょう。陛下と拮抗する、或いはそれ以上の力を持つ者が並び立つわけにもいかないだろうし。自分が国王になる意志がなければ、当時としてはそうするしかなかったんでしょう」
 エスクラシオ殿下にしろアストラーダ殿下にしろ、あれだけハイスペックなんだ。やって出来ん事はないだろうし周囲が推すのも分かるが、一番必要な本人の意志が欠いていれば、下剋上も有り得ない。
「その通りだ」
 アストリアスさんは、頷いた。
「それでも、現在は陛下の治政で安定しているのでしょうから、復縁したって問題ないんじゃないですか。周囲もそれを許そうって雰囲気みたいだし」
「うん、だが、肝心の殿下に、その御意志はないんだよ」
 それは、気持ちの問題? それとも、やはり、社会的な配慮の為か。
「……コランティーヌ様には御意志があるように、私には見受けられるんですが」
「確かにね。だが、既に陛下の側室という地位についておられる今、妃殿下がどうにかする話でもないだろう」
 お髭を撫でる手は止まらない。
「殿下の御意志は変わらないよ。そういう意味で言えば、君には不本意だろうが、君との噂は殿下にとって都合の良いものでもあるんだ。兵士や騎士達の意識がコランティーヌ様から離れつつある、という点に於てね」
「でも。それこそ、殿下にとっても不本意過ぎるでしょう。相手が私である時点で」
「君の命を助け、保護される事を決めたのは殿下の御意志だよ」
 そうなのか。だが、それにしても、結婚とは別の話だろう。




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